artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
おいしいボタニカル・アート─食を彩る植物のものがたり
会期:2022/11/05~2023/01/15
SOMPO美術館[東京都]
本展は、貿易大国として世界的に発展した大航海時代のイギリスの歴史や文化にスポットを当てた展覧会である。ご存知のとおり、15〜17世紀にかけ、ヨーロッパ諸国がアフリカやアジア、アメリカ大陸へこぞって進出した大航海時代は、ヨーロッパ帝国主義のきっかけとなり、またグローバル化の始まりにもなった。寒冷で、痩せたヨーロッパの土地に自生する植物は限られていたことから、温暖で、肥沃な“新大陸”の土地で採れる種々様々な珍しい植物は、ヨーロッパ人にはさぞ魅力的に映ったのだろう。プラント・ハンターたちが持ち帰ったこれらの植物により、彼らの食卓は一気に華やぎ、食文化も発展した。
例えばチョコレートはその最たる象徴だ。飲料としてのカカオは、もともと、原産地の中米諸国でも愛飲されていたようだが、固形のチョコレートが生まれたのはカカオがヨーロッパへ渡ってからのことである。しかも寒冷のヨーロッパでなければ生まれ得なかったという二律背反性がある。そんな激動の世界史を背景にして本展を観ると、実に感慨深い。
当然、ヨーロッパ人にとって、初めて見る植物にはどんな花が咲き、どんな実がなり、どの部分を食用にできて、どのように調理や加工をすればいいのか、皆目見当がつかなかったのだろう。味の良さや効能だけでなく、下手したら毒の危険性もあるかもしれない。そのため必須だったのが植物の科学的研究である。研究を目的として緻密に描かれたボタニカル・アートは、植物図鑑を見るようで興味深く、どれも生き生きと描かれているため、いまなお魅了される。それは植物が持つ生命感ゆえの美しさだろう。根から茎、葉、花、実、種の詳細に至るまで描かれているため、子どもの食育にも良いのではないかと思える。例えばジャガイモにはこんな白い花が咲くのかとか、コーヒーの豆はこうして採れるのかとか、リンゴにはこんなにたくさんの種類があったのかとか、恥ずかしながら大人が見ても発見が多々あった。
また本展では野菜や果物だけでなく、穀物や砂糖、お茶やコーヒー、カカオ、お酒、ハーブやスパイスとあらゆる植物を対象にしたボタニカル・アートが展示されていたうえ、ティーセットやレシピ帖など食にまつわる関連資料もあり、大変充実していた。これらボタニカル・アートからヒシと伝わるのは、人間の飽くなき探究心である。先人たちの熱心な研究があったからこそ、いま、我々はこんなにも豊かな食を享受できていることを肝に銘じたい。
公式サイト:https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2021/botanical-art/
2022/11/22(火)(杉江あこ)
小林耕平 テレポーテーション
会期:2022/09/23~2022/12/18
黒部市美術館[富山県]
小林耕平の展覧会を訪ねようと思った理由のひとつに、忘れられない作品がある。現在は豊田市美術館のコレクションになっている、《1-3-1》(1999)という映像作品だ。小さなテレビモニターで上映され、白い背景の中央にシルエットのように黒く抜かれた二人の人物が取っ組み合ってレスリングをしているような光景が小さく映し出され、しばらく見入っていたことを思い出す。この作品は私にメディア越しの視覚経験を強く印象付けた。その後、日常の素材や道具をモチーフとする場に小林自身が出演する作品や、小林と山形育弘(core of bells)が対話を繰り広げながら、そこにある事物の意味や関係性をずらし、読み替えていく映像作品へと作風を展開させてきた。
もう一つの理由は、黒部市美術館の学芸員、尺戸智佳子が手がけるリサーチベースの展覧会に興味を持っていたからだ。「風間サチコ展─コンクリート組曲」(2019)、「風景と食設計室ホー 台所に立つ、灯台から見る」(2020)、「山下麻衣+小林直人 『蜃気楼か。』」(2021)に続く今回、小林との企画で黒部の風景がどのように変貌するのか、楽しみにしていた。
こうして振り返ると実際、展覧会は黒部市美術館を訪れるはるか前から始まっていたことに気づかされる。まるで時間を巻き戻すかのように、その起点を1999年と捉えるのか、美術館へ向かうために家を出た2022年11月19日の午前9時頃と捉えるのか、宇奈月温泉駅を出て、僧ヶ岳を含む山々を見ながら美術館に近づこうとしていた時間と捉えるのか、複数の解が頭をよぎる。筆者がこのような思考に取り憑かれたのは、間違いなく最後の一室にある映像作品《テレポーテーション》を観たからなのだ。
《テレポーテーション》では、小林と山形が黒部市近辺を舞台に「造形指南」を展開する。黒部川河口で語られる「リンクの解除:作品の設置」では、コップ越しの風景を実例としながら、一枚の絵の中で、ある図像は隣り合う図像と強く結びついていることが語られ、その関係を切り離してみることでほかの物事と再接続する可能性について、二人が熱く語り合う。この再接続の可能性のほか、僧ヶ岳に伝わる雪絵(山肌の残雪やそこから覗く岩肌などの形を、人物や動物などの形に例える風習。農作業や灌漑用水の目安とされた)をモチーフに、図と地の関係から立ち上がる境界について議論されたことが、私の思考を刺激したようだ。
「造形指南」は、パウル・クレーの『造形思考』(1956)を参照しているのだと尺戸が教えてくれた。「指南」はおそらく、小林が過去に引用した古典落語の『あくび指南』からだろう。言葉遊びの妙やアクロバティックとも言える引用の織物が可能なのは、それを受け止める懐の深さが黒部の成り立ちにあることに尽きるだろう。約2000年前の杉の原生林を保存する魚津埋没林博物館や、美しい造形として注目される東山円筒分水槽。黒部という舞台に圧倒されながらも、さまざまな引用に触れ、各々の経験が逆照射されるような鑑賞体験は、与えられたイメージによって構成される観光を相対化し、思考を促しているように思えるのだ。
2022/11/19(土)(伊村靖子)
藤野一友と岡上淑子
会期:2022/11/01~2023/01/09
福岡市美術館 特別展示室[福岡県]
岡上淑子の展覧会に掲げられた年譜などで、「1957年、画家・藤野一友と結婚」「1967年、藤野一友と離婚」といった記述を目にするたびに、どこか奇妙なズレを感じていた。藤野一友の画業について、それほど詳しいわけではないが、理想化された女性の裸体を前面に押し出した、緻密な幻想絵画の描き手であることは承知していたので、その作風と、岡上の繊細だが凛としたたたずまいを持つ写真コラージュ作品とがうまく結びつかなかったのだ。今回、初めて開催されたという岡上と藤野の作品が同時に並ぶ展覧会を見て、長年の疑問が氷解するように感じた。この異質な二人のアーティストたちの出会いと別れがもたらしたものが、それぞれの作品に宿っているように思えたからだ。
ともに1928年生まれの岡上と藤野は、1951年ごろに、二人が在籍していた文化学院で出会う。藤野は読売新聞社主催の日本アンデパンダン展などに出品し、1957年の二科展で特待となって、新進画家として認められていく。一方、岡上も瀧口修造に見出されて1953年にタケミヤ画廊で個展を開催し、その清新なコラージュ作品で注目を集めた。だが、1957年の結婚後、岡上は家事に追われ、コラージュや写真作品の発表は滞りがちになる。1959年に長男が誕生するが、1965年には藤野が脳卒中で倒れ、右半身が不自由になった。諸事情があって、二人は1967年に離婚し、岡上は息子とともに出身地の高知に移った。
このように二人の経歴を辿ると、すれ違いが目立つ邂逅だったといえそうだ。だが、彼らが互いに影響を及ぼしつつ、作品を制作していたことも確かだろう。岡上のコラージュ作品も、藤野の絵画と同様に女性の身体(ヌードも含む)が重要なモチーフになっているし、藤野の作品制作にあたって、岡上が助言することもあったようだ。確かに「藤野作品では、家父長的な戦後日本社会における男性優位のまなざしを、岡上作品では戦後の日本で女性が抱いた夢と苦悩を読み取ることも可能」(本展リーフレット)であることはその通りだと思う。だが同時に、二人のアーティストたちの世界が、互いを触媒としたきわめて独特な化学反応によって生じたことも事実だろう。それは、同じ時代に同じ空間を共有することがもたらした奇跡といえるのではないだろうか。
公式サイト:https://kyoto-ex.jp/2019/
2022/11/18(金)(飯沢耕太郎)
DOMANI・明日展 2022-23
会期:2022/10/07~2022/11/27
国立新美術館[東京都]
文化庁の推進する「新進芸術家海外研修制度(在研)」の成果発表の場として、1998年から続いてきた「DOMANI」展も25回目となる。4半世紀は区切りがいいのか、次年度以降は新たなかたちに再編されるらしい。ちなみにここ2年、コロナの影響とはいえ在研の採択者が減少しており、このまま尻すぼみになっていくのではないかと危惧する声もある。どうやら大きな曲がり角に来ているようだ。
今回の出品は10人で、女性は珍しくひとりだけ。それがトップを飾る近藤聡乃だ。在研でニューヨークに行ったまま住みついて14年になる彼女の、同地での体験を描いた漫画が並ぶ。美術館で漫画展が開かれるようになって久しいが、天井の高い展示室に漫画(原画)が展示されているのを見ると、つくづく空間がもったいないなあと貧乏人は思ってしまう。しかもつい読んでしまうので滞在時間も長くなる。たぶん今回いちばん鑑賞時間の長い作品だったのではないか。なんかズルイような気がしないでもない。次が石塚元太良の氷河を撮った写真。なぜ氷河なのかというと、本人いわく「『氷河はなぜ蒼く見えるのか?』という問いが象徴するように、存在そのものが光学的要素と、形成の時間との掛け算で成り立つどこか『写真的なもの』」を感じるからだという。これには納得。
続いて、手紙や宅配の包装紙に描いたドローイングを青い壁に展示した池崎拓也、自分の描いた絵を水に浸して絵具が溶けていく様子を映像化した大﨑のぶゆき、水を張ったキャンバスに絵具を塗って滲ませる絵画の丸山直文と続く。このへんは作品がシリトリのように連鎖していて、展示の妙を感じさせる。ここまでは比較的穏やかな平面作品が多かったが、後半はベテランの伊藤誠をはじめ彫刻から出発したアーティストが多く、作品も彫刻、インスタレーション、映像と変化に富んでいる。
なかでも見入ってしまったのが黒田大スケの映像作品。2面スクリーンに朱色と灰色の背景に描かれたカモとアヒルが映し出され、戦前の思い出話を訥々と語る。それはある美術家の前半生の物語で、彫刻から出発して前衛運動に身を投じ、演劇や人形づくりに打ち込み、やがて国策の戦争映画「ハワイ・マレー沖海戦」に関わることになって、戦争プロパガンダに協力してしまうというものだ。前衛芸術家がいつのまにか国家に取り込まれてしまう話はよくあるが、ユニークなのはそれをアヒルの口から関西弁で、のらりくらりと歯切れ悪く語る点だ。話の内容のやるせなさと、すっとぼけた語りとのギャップに、逆に真実味が宿る。手前にはその彫刻家が映画の舞台セットのために制作したという設定のジオラマ模型が置かれている。
最後は小金沢健人の映像とドローイング。壁3面に、紙を2枚ずらして重ねた上にドローイングし、指で擦り、また紙をずらして描き続けていく映像が映し出される。《2の上で1をつくり、1が分かれて2ができる》というタイトルどおりの動きで、線と色彩がめくるめく展開していく。こうしてできあがった2枚1組のドローイングも何組か展示されているが、これがまたすばらしい。ドローイング制作の副産物としての映像か、はたまた映像制作の副産物としてのドローイングか。どちらも主産物ですね。
公式サイト:https://domani-ten.com
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[PR]24年目の「DOMANI・明日展」──これからの文化庁新進芸術家海外制度のあり方を探る|柘植響:トピックス(2022年03月15日号)
2022/11/18(金)(村田真)
合田佐和子展 帰る途(みち)もつもりもない
会期:2022/11/03~2023/01/15
高知県立美術館[高知県]
高知市出身の作家、合田佐和子の回顧展が高知県立美術館で開催されている。2016年に合田が亡くなってから最初の大規模な回顧展と言えるだろう。筆者はこれまで、「合田佐和子 影像─絵画・オブジェ・写真─」(渋谷区立松濤美術館、2003)や「瀧口修造:夢の漂流物 同時代・前衛美術家たちの贈物 1950s〜1970s」(世田谷美術館、2005)などを通じて合田の作品を観る機会があった。しかし今、改めて合田の活動を振り返ることは、これまでとは異なる視点で彼女の作品を受け止める契機となるのではないだろうか。
今回の展覧会がとりわけ印象的だったのは、初期から晩年まで次々と変遷を遂げる合田の作風を等価に扱おうという姿勢である。合田は、作家活動を始めた最初期から、瀧口修造や白石かずこらに見出され、その後も唐十郎や寺山修司のポスター原画や舞台美術を手掛けるほか、沢田研二、桃井かおり、ルー・リードとの仕事など、彼女自身の容姿や華やかな交友関係とともに紹介されることの多い作家である。また、1971年から油彩画に着手し、マレーネ・ディートリッヒやマリリン・モンローといったスター俳優の映画のスチルやブロマイドから選ばれた主題を扱う代表作からも、マスメディアが作り出すイメージやジャーナリスティックな言説と相性が良く、そこから生み出される関心や評価と不可分な作家と言えるだろう。それゆえ、他者から付与される言説によって合田の主体性が覆い隠され、同時代の理想の女性性を強調した形で取り上げられることに、時に居心地の悪さを感じることがあった。本展では、こうした筆者の持つ違和感に対し、正面から取り組もうとする姿勢を読み取ることができた。
私が今一度合田の作品に惹かれたきっかけの一つに、1970-80年代の唐十郎と寺山修司との仕事が挙げられる。この時期、合田はハレーションが起きたかのような光の効果を取り入れた映画俳優のポートレートを中心に油彩画を手がけている。並行して、同様の作風の原画を提供することにより、唐十郎率いる劇団状況劇場の「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」(1976)や寺山修司率いる天井桟敷がPARCO西部劇場で上演した「バルトークの中国の不思議な役人」(1977)などのポスターが制作されているのだ。合田の原画とポスターの関係を追っていくと、原画が印刷物としてレイアウトされることにより、さらに魅力を増していく様子がよくわかる。同時代の物語やスキャンダルを取り入れた戯曲を得意とする唐と西洋の古典をパラフレーズする寺山という対照的な持ち味の両者が、共に合田のイメージを採用した点は興味深い。実際、状況劇場の「鐡假面」(1972)のポスターに登場する縄で縛られた男が、「バルトークの中国の不思議な役人」の舞台美術にも採用されるという引用関係が認められるという。寺山の舞台の書き割りには、このほかにも合田が手がけたプリンスライターの宣伝ポスターに用いられているイメージが転用されるなど、イメージの連鎖が幾重にも張り巡らされることによって倒錯的な効果を生み出していたが、その媒介となったのが合田の作品なのである。
本展が示すように、合田自身、生涯を通じてオブジェ、人形、油彩画、ポラロイド写真、映像、色鉛筆によるドローイングなどさまざまなメディアによる表現を試みている。そうした融通無碍な作風には、見る/見られる関係のなかに成立する一瞬のなかに表現の活路を見出していく姿勢が窺える。合田の作品をさまざまな言説から解き放ち、身近な素材によって制作されたエフェメラルな作品を改めていま、直視することができるように思われるのだ。ソテツ並木や路面電車など、初めての高知での風景も相まって、解放されていく感覚に満たされる展覧会であった。
2022/11/17(木)(伊村靖子)