artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

Frozen Screams 凍れる叫声 山川冬樹

会期:2022/12/10~2023/02/10

SNOW Contemporary[東京都]

作品は計10点で、すべて正方形のキャンバスに同心円状の波紋が広がる白いレリーフ作品。きつめに張ったキャンバスを指で弾くとビンビン音がして気持ちいいが、このキャンバスを鼓膜または共鳴板に見立てて大理石の粉を盛り、下からスピーカーで大音響の叫び声を流して波紋をつくり、固定したという。つまり叫び声を視覚化したもの。作者は「絵画」といっているが、大理石の粉を盛り上げているので「彫刻」ともいえる。ところで、叫び声の視覚化といえばムンクの《叫び》が思い出されるが、中央が丸い空白になった今回の作品も叫んでいる口のかたちに見えなくもない。ただしムンクの絵の登場人物は叫んでいるのではなく、どこかから聞こえてくる叫びに耳を塞いでいるのだが。

山川が採集した叫び声はさまざまで、切腹直前にバルコニーから檄を飛ばした怒鳴り声から、AV女優がカメラの前でレイプされて泣き叫ぶ声、524人を乗せた航空機のパイロットが墜落寸前に発した怒声、名古屋入管で姉を殺された女性が報道陣のカメラの前で叫んだ声、そしてこれをつくったアーティストが生まれたときにあげた泣き声まである。いわば叫び声のコレクション。こうした叫び声をもっと精確な装置で厳密に波紋化したら、レコードの溝のようにその凹凸から叫び声が再生できるかもしれない。だからといってなんの役にも立たないが、イグノーベル賞の候補くらいにはなるだろう。



会場風景 [筆者撮影]


公式サイト:http://snowcontemporary.com/exhibition/current.html

2023/01/12(木)(村田真)

小平雅尋『杉浦荘A号室』

発行所:Symmetry

発行日:2023/01/09

小平雅尋の新しい写真集『杉浦荘A号室』のページを繰っていて、彼が東京造形大学の学生だった頃から私淑していた大辻清司の作品《間もなく壊される家》(1975)、《そして家がなくなった》(1975)を思い出した。同作品は、「大辻清司実験室」と題する連載の第11回目と12回目(最終回)として、『アサヒカメラ』(1975年11月号、12月号)に連載されたもので、大辻の代々木上原の古い家が取り壊されるまでのプロセスを淡々と記録したものである。小平もまた、長く住んだ世田谷区のアパートの部屋から移転することになり、その最後の日々をカメラにおさめようとした。部屋の中のさまざまな“モノ”の集積を、丹念に押さえていこうとする視線のあり方も共通している。

だが、小平の今回の作品は、彼自身の姿が頻繁に映り込んでいることで、大辻の旧作とはかなり印象の違うものになった。セルフタイマーを使った画像から浮かび上がってくるのは、まさに「写真家の日常」そのものである。撮影やフィルムの現像などの作業のプロセスを、これだけ見ることができる写真シリーズは、逆に珍しいかもしれない。それに加えて、窓の外の庭にカメラを向けて写した植物や小鳥の写真が、カラー写真で挟み込まれている。写真集の最後のあたりには、結婚してともに暮らすことになる女性の姿も見える。大辻の作品と比較しても、より「私写真」的な要素が強まっているといえそうだ。

小平の前作『同じ時間に同じ場所で度々彼を見かけた/I OFTEN SAW HIM AT THE SAME TIME IN THE SAME PLACE』(Symmetry、2020)は、それまでの抽象度の高いモノクローム作品の作家という彼のイメージを覆す意欲作だった。今回はさらに、プライヴェートな視点を強めて、新たな領域に出ていこうとしている。写真家としての結実の時期を迎えつつあるということだろう。

関連レビュー

小平雅尋『同じ時間に同じ場所で度々彼を見かけた/I OFTEN SAW HIM AT THE SAME TIME IN THE SAME PLACE』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2020年12月15日号)

2023/01/10(火)(飯沢耕太郎)

鈴木清「天幕の街 MIND GAMES」

会期:2023/01/04~2023/03/29

フジフイルム スクエア 写真歴史博物館[東京都]

1982年に自費出版で刊行された『天幕の街 MIND GAMES』は鈴木清の3冊目の写真集である。『流れの歌 soul and soul』(1972)、『ブラーマンの光 THE LIGHT THAT HAS LIGHTED THE WORLD』(1976)に続くこの写真集で、鈴木はそれまでのように自分でデザイン・レイアウトするのではなく、その作業を他者(グラフィックデザイナーの鈴木一誌)に委ねた。そのことによって、装丁、内容ともに前作よりも大胆で自由度を増したものになった。

今回、フジフイルム スクエア 写真歴史博物館で開催された本展には、同写真集に掲載された作品を中心に39点が出品されている。サーカス団の団員たちや彼らを取り巻く環境にカメラを向けた「サーカスの天幕」、たまたま知り合ったホームレスの男性との交友を軸にした「路上の愚者・浦崎哲雄への旅1979-1981」などの作品群を見ると、被写体との距離感を自在に調整しつつ、融通無碍にシャッターを切っていく鈴木ののびやかなカメラワークに、あらためて強い感動を覚える。鈴木はこの時期に、写真の選択、配置、テキストとの絡み合いなどにおける独自のスタイルを確立し、自費出版写真集という形態をほぼ極限近くまで突き詰めようとしていた。やがて鈴木一誌とのコラボレーションを解消し、ふたたび自身で写真集をデザイン、レイアウトしていく下地が、既にでき上がりつつあったことが伝わってきた。

会場には、彼が写真集の構想を固めるために制作した「ダミーブック」(手作りの見本写真集)も展示してあった。それらも含めて、生涯に8冊の写真集(1冊を除いては自費出版)を刊行した鈴木清の全体像を概観できる展覧会をぜひ見てみたい。そろそろ、その気運も高まってきているのではないかと思う。


公式サイト:https://fujifilmsquare.jp/exhibition/230104_05.html

2023/01/09(月)(飯沢耕太郎)

磯和璉子「逢瀬」

会期:2022/12/27~2023/01/16

ニコンサロン[東京都]

ニコンサロンでは、時々ユニークな経歴の写真家の写真展が開催されるが、三重県出身の磯和璉子もそんなひとりである。磯和は1981年に留学のため渡米し、1983年からは、ニューヨークを拠点に、自然関係のドキュメンタリー映像を制作・配給する仕事にかかわった。2006年に帰国。ふとしたきっかけから写真撮影に目覚め、定期的に展覧会を開催するようになった。

今回の展示のテーマは「石」である。宮崎県、奈良県、群馬県、宮城県などの渓谷や採石場に足を運び、そこで目に止まった岩石にカメラを向けた。撮り方はストレートで、光や構図にこだわるというよりは、被写体のありようをそのまま受け容れ、抱き寄せるようにしてシャッターを切っている。それらの岩石が、どのようにその場所に姿をあらわしたのか、DMに使われた写真の結晶片岩といった名称も含めて、地質学的な知識もそれなりに身につけているようだ。だが、そのことにこだわるよりも、「石」との出会い=「逢瀬」を大事にし、あまり作為を感じさせないように撮影しようとする姿勢が一貫しており、心揺さぶる、強いパワーを放つ写真群となっていた。

カメラを通して「石」と向き合うことは、いまや磯和にとってライフワークになりつつあるのではないだろうか。「石」との対話から得るものが大きいことが、かなり大きめにプリントして展示された23点の出品作からしっかりと伝わってきた。この仕事はさらに続けていってほしい。豊かな膨らみを備えたシリーズとして成長していくことが、充分に期待できそうだ。


公式サイト:https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/2022/20221227_ns.html

2023/01/09(月)(飯沢耕太郎)

面構(つらがまえ) 片岡球子展 たちむかう絵画

会期:2023/01/01~2023/01/29

そごう美術館[神奈川県]

片岡球子といえば豪快な富士山の絵で知られる日本画家だが、今回は日本の歴史的人物をモチーフにした「面構」シリーズのみの展示。このシリーズを始めたのは1966年、球子61歳のとき。「私の絵の最後の仕事に入らねばと思ったのです。人生の最後まで持ち続けられる題材を見つけようと思ったのです」と語っている。つまり還暦を過ぎ、画業の仕上げとしてこのシリーズを始めたわけだが、以来103歳で没するまで40年余りのあいだに44点もの大作をものするとは、本人も思ってもみなかっただろう。ちなみに富士山のシリーズもこのころからなので、彼女の画業は還暦すぎから始まったといっても過言ではない。すごいなあ。

展覧会には僧侶や歌舞伎役者を描いた戦中戦後の作品も出ているが、「面構」シリーズとしては1966年の足利尊氏、義満、義政の足利三代将軍の肖像画を嚆矢とする。足利氏の菩提寺にある彫刻を見てイメージを膨らませたというが、その彫刻も江戸時代の作なので、似ているかどうかは問題ではない。そもそもゲテモノ扱いされた球子の絵に似ているも似ていないもないし。そんなことより球子は人物の魂をえぐり出したかったのだ。3人の将軍はそれぞれ黄、赤、青を主調としているが、それは異なる個性を表わしているという。いずれも画面に向かって左寄りに描かれているのが奇妙だが。

その後も徳川家康、日蓮、豊太閤らが描かれたが、1971年から北斎、歌麿、広重ら浮世絵師に絞られていく。画家に絞ったのは、女性画家の球子としては武将より思いが入れやすかったからではないかと推測できる(ただし女性を描いたのは北斎の娘のお栄くらいで、女性に肩入れすることもなかった)。画家を選んだもうひとつの理由は、画中画が描けるからではないか。北斎なら富士山、写楽なら大首絵というように、その画家を特定するモチーフを再現できる楽しみがあったに違いない。実際、画家の「面構」の大半にはその画家の代表作が画中画として組み込まれている。ただ画中画ファンとしては、画家の横または背後にまるでアリバイのように画中画を描いているだけなので、あまりに芸がないといわざるをえない。

では、画家のなかでもなぜ浮世絵師に絞ったのか。晩年には雪舟も登場するが、大半は浮世絵師と戯作者に占められている。それはおそらく球子が琳派や狩野派のような高級芸術ではなく、庶民芸術の浮世絵に親近感を抱いていたからだろう。また、外連味のある大袈裟な浮世絵の表現が自分の絵に通じると感じたのかもしれない。そこで思うのは、もし球子が日本画ではなく油絵で「面構」を描いたらどうだっただろう? もちろん還暦を過ぎて油絵に転向するのは無茶な話だが、もとより球子の絵はコテコテと油絵っぽいので違和感はないし、日本の歴史上の人物だからこそ日本画ではなく西洋画で表現することに意義があると思うのだ。余計なお世話だけど。


公式サイト:https://www.sogo-seibu.jp/common/museum/archives/22/kataokatamako/

関連レビュー

片岡球子 展|福住廉:artscapeレビュー(2015年06月01日号)

2023/01/05(木)(村田真)

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