artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
角田和夫「土佐深夜日記─うつせみ」
会期:2022/10/29~2023/01/09
高知県立美術館[高知県]
1952年、高知市生まれの角田和夫は、第11回林忠彦賞を受賞した『ニューヨーク地下鉄ストーリー』(クレオ、2002)をはじめとして、『シベリアへの旅路―わが父への想い』(同、2002)、『マニラ深夜日記』(同、2016)など、ドキュメンタリー写真の力作を発表し続けてきた。だがそのなかでも、今回、高知県立美術館での個展に出品された「土佐深夜日記」のシリーズは、最もプライヴェートな要素の強い異色作といえる。
中心になっているのは、角田の母方の叔父を撮影した写真群である。叔父はゲイの世界に生きており、角田はふとしたきっかけから、彼がスタッフとして働く店とそこにうごめく人間模様にカメラを向けるようになる。当時、1984年の父親の死をきっかけとして精神的に不安定な状況にあった角田は、深夜に高知の街を徘徊し、赤外線カメラで目にした光景を撮影する「満月の夜」と題するシリーズを開始していた。その手法を「夜の怪しいエネルギーが渦巻く世界」の撮影にも向け、1990年に叔父が他界するまで撮影を続ける。それらの写真群は、2014年に写真集『土佐深夜日記』(クレオ)として刊行された。
「満月の夜」、「土佐深夜日記」、そしてその後日譚といえる「続土佐深夜日記」(2020-2022)の3部構成をとる今回の展示は、ドキュメンタリー写真と「私写真」の両方の領域にまたがるものといえる。ジャーナリスティックな報道性、客観性はむしろ後ろに退き、叔父の生死に対峙した角田自身の哀切な感情が強く滲み出てきている。
子供の頃は、むしろ恐れや嫌悪感をともなって見ていたという夜の世界(性の世界)が目の前に開けてきたとき、それを拒否するのではなく、まずは写真家として受け入れようとする姿勢が一貫しており、ほかのシリーズにはない奥行きと深みを感じる。赤外線写真というややトリッキーな手法が、必然的なものであると納得させるだけの力が備わった写真群といえるだろう。
なお、今回の展示は、地元出身のアーティストたちの仕事にスポットを当てる「ARTIST FOCUS」の枠で企画・開催された。角田以外にも、高知にはいい写真家がたくさんいるので、ぜひ紹介を続けていってほしい。
公式サイト:https://moak.jp/event/exhibitions/artistfocus_03.html
2022/12/10(土)(飯沢耕太郎)
濱田祐史「入射と反射 Incidence and Reflection」
会期:2022/12/01~2023/01/28
PGI[東京都]
1979年、大阪生まれの濱田祐史は、2003年に日本大学芸術学部写真学科を卒業後、東京を拠点に写真家として活動している。PGIでは、2013年の「Pulsar + Primal Mountain」を皮切りにコンスタントに個展を開催し、そのたびに思いがけない方向性をもつ作品を発表して驚きを与えてきた。視覚的に捉え難い「光」を可視化しようとした「Pulser」、プリントの色相を三原色(YMC)に分解して、それぞれの層を自由に組み合わせて再構築した「C/M/Y」、黒白とカラーで同じ光景を撮影し、それらを暗室で一枚の印画紙にプリントした「K」など、彼の仕事は写真という媒体の基本原理にもう一度立ち返ろうという志向性と、さらにその表現の可能性を拡張していこうとする意欲とを、両方とも含み込んだものといえる。
今回の、オフセット印刷やリトグラフの原板に使用するPS版を用いたシリーズにも、彼のしなやかで豊かな発想力、構想力が充分に発揮されていた。PS版は紫外線に感光するという特質を備えている。濱田はその機能を利用して、「目には見えないけれど、太陽から確かに届いている紫外光」を定着しようとした。しかも、PS版をカメラにセットしての撮影と、事物に押し当てて感光させるやり方とを、両方とも試みることにした。PS版をくしゃくしゃに折り曲げて、光を直接写しとった作品もある。このようなさまざまな実験の繰り返しの結果として、本作はあたかも科学者やアーティストたちが、写真術の草創期に試行錯誤を重ねつつ未知の像を見出そうとしていた頃を思わせる、活気あふれる作品群として成立していた。濱田のここ10年余りの活動は、かなりの厚みと広がりを持つものになりつつある。そろそろ、より規模の大きな写真展の開催や写真集の刊行を考えてもいいのではないだろうか。
公式サイト:https://www.pgi.ac/exhibitions/8337
関連レビュー
濱田祐史「Pulsar + Primal Mountain」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2013年06月15日号)
2022/12/07(水)(飯沢耕太郎)
丸山晩霞 日本と水彩画 丸山晩霞記念館所蔵作品を中心に
会期:2022/11/12~2022/12/18
はけの森美術館[東京都]
日本の近代絵画は主に洋画と日本画の対立を軸に語られることが多く、版画や水彩画は周囲に押しやられがちだった。とりわけ水彩画は西洋から伝わった画材でありながら、技法的には水で溶く日本画に近いというどっちつかずの立場だったため、スポットライトが当たりにくかった面もある。その西洋由来の水彩画を日本画に合体させようとした画家のひとりが丸山晩霞(1867-1942)だった。
晩霞は幕末に信濃国に生まれ、上京して油絵を学び、明治美術会に入会。一時家業に専念したのち、画家の吉田博との出会いをきっかけに水彩画に転じ、日本各地だけでなくアメリカ、ヨーロッパなど世界を旅しながら水彩画を制作した。その作品の多くは名前のとおり霞がかっているが、それは空間をうやむやにする日本画のそれではなく、距離感を把握した上での空気遠近法的な霞であり、緻密な観察に基づく細密描写とともに西洋画をバックボーンとしたものであることがわかる。丸山晩霞の名が広く知られるのはおそらくこの時代の作品であり、ぼくが知っているのもこのころの花咲く山岳風景画だ。ていうか、それ以外の晩霞の作品はこれまでほとんど紹介されてこなかったのではないか。そういった意味で、その後の日本画へ接近していく過程に焦点を当てた今回の展示は興味深いのだ。
晩霞が日本画(および日本)に近づくのは1910年代、明治から大正に移るころ。当時、彼は日本の風景に独自の美を見出す志賀重昂の『日本風景論』に刺激を受け、また画壇では、旧套的な日本画に対して水彩画が新しい日本画になるのではないかと議論されていた時期だった。1918年には新しい日本画の団体「国画創作協会」と「新日本画協会」が発足、晩霞は後者の旗揚げに加わり、水彩画と日本画の融合を目指したという。さらに昭和になると、ナショナリズムの高まりとともに「日本」を必要以上に意識せざるをえなくなるという時代の空気もあっただろう。
作品もこのころから縦長の絹本に彩色し、軸や屏風に仕立てるようになっていく。描写も写実主義から離れ、山は縦に引き延ばしたように険しくなり、画面隅には余白を残すなど、明らかに日本画的な空間に変容していく。だが、山肌や植物などの細かい描写には以前のような細密な自然観察が発揮されていて、そのチグハグさが愛おしく感じるのだ。こうしたねじれ現象こそ水彩画と日本画を、もっと広くいえば西洋と東洋を無理やり接続しようとした近代日本の試行錯誤の証かもしれない。
公式サイト:https://www.hakenomori-art-museum.jp/exhibition#link1
2022/12/04(日)(村田真)
宇都宮駅東口地区再開発、「これからの時間についての夢」「印象派との出会い─フランス絵画の100年 ひろしま美術館コレクション」
宇都宮美術館、栃木県立美術館[栃木県]
半年ぶりに宇都宮駅を訪れたら、工事中だった東口地区の整備が完成していた。これはさまざまな交流施設を組み合わせたものである。JR駅からブリッジで直結する隈研吾建築都市設計事務所のデザイン監修による《ライトキューブ宇都宮》(2022)(最大2000人収容のホールを含む、17室をもつ)、《宮みらいライトヒル》(2022)(水のプラザがあり、大階段を登ると緑のテラス、3階レベルに風のホワイエ=芝生の広場)、そしてホテル、飲食店、駐車場が入る《宇都宮テラス》(2022)などだ。目玉のLRTは来年8月の開通のため、駅の全容がわかるのはもう少し先である。《ライトキューブ宇都宮》は、やはり大谷石張りのファサードによって地域性を表現しているが、建築的な空間はあまりない。おいしい水を供給する2階の宮の泉も、大谷石によるオリジナルデザインが売りだが、実物は小さくて、しかも自販機の横だった。コスパを求める現代の最適解なのだろうが、ノンデザインに近い隣の商業施設に同化しそうなくらいである。ただし、外構には可能性をもち、今後、いかに3つの広場を生かすのかが重要になるだろう。
宇都宮美術館では、7章から構成された「開館25周年記念 全館コレクション展 これからの時間についての夢」展を開催していた。企画展ポスターの年譜に続き、第1回コレクション展の再現展示や3名の作家の新作、「1919-1943 日本とドイツ」などのテーマ展示が続く。改めて、同館がいち早くデザイン分野の収集に力を入れていたことがよくわかる。大巻伸嗣は、岡田新一による丸い空間と共鳴する円の作品だった。ちなみに、展示エリアは一層のY字プランという実に明快な建築であり、その結節点に円形の吹き抜けが位置する。髙橋銑の特別展示も、修復という視点から同館のバリー・フラナガンの彫刻《ホスピタリティー》(1990)と、群馬県立館林美術館にある同じ作家の《鐘の上の野兎》を比較する興味深い試みだった。
一方、50周年を迎えた栃木県立美術館の「開館50周年記念展 印象派との出会い —フランス絵画の100年 ひろしま美術館コレクション」展では、ひろしま美術館のコレクションをもとにフランスの近代絵画、ならびに同時代の日本人作家の絵を紹介している。常設エリアでも、所蔵品を使い、関連する展示が行なわれた。さすがに日本で人気のテーマなので、来場者が多い。ところで、最近、美術館を移転し、図書館と合体させて、体育館の跡地に新しく建てる計画が持ち上がっている。川崎清が設計した建築は、内外に独特の空間をもつ力作なので、もったいない気がするのだが、今後の行方が気になる。もし建て替えるなら、前よりも素晴らしい建築にして欲しいが、現代は安ければいいという風潮なので、はたして可能だろうか。
開館25周年記念 全館コレクション展「これらの時間についての夢」
会期:2022年9月25日(日)~ 2023年1月15日(日)
会場:宇都宮美術館
(栃木県宇都宮市長岡町1077)
栃木県立美術館 開館50周年記念「印象派との出会い──フランス絵画の100年 ひろしま美術館コレクション」
会期:2022年10月22日(土)〜12月25日(日)
会場:栃木県立美術館
(栃木県宇都宮市桜4-2-7)
関連レビュー
題名のない展覧会─栃木県立美術館 50年のキセキ|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2022年07月15日号)
2022/12/04(日)(五十嵐太郎)
鶴巻育子「芝生のイルカ」
会期:2022/12/01~2022/12/25
コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]
鶴巻育子は、ふとした機会から「視覚障害者の外出をサポートする同行援護従業者」として活動するようになった。目を使って仕事をする写真家である自分とは対照的な存在である彼らが、どんなふうに世界と接しているのかを知りたくなったためだという。鶴巻は視覚障害者たちと一緒にいて、彼らが発する言葉に強く惹かれるようになる。「ガラスは透明ではない」「月は穴ぼこ」「体温で感情を感じる」「境界線が変わる感じ」──今回のコミュニケーションギャラリーふげん社での個展の出品作では、それらの言葉を手がかりにしてインスピレーションの幅を広げ、「イメージを拾う」ことを試みていた。
ややトリッキーな動機の作品だが、結果的にはとてもうまくいっていた。視覚障害者という、まったく異なる状況を生きる者たちと自分の感覚とのズレを、むしろ積極的に活用することで、思いがけないイメージを収集することが可能になったからだ。それは鶴巻自身の予想をはるかに超えた世界の断片だったのではないだろうか。それらを注意深く選別し、大小のフレームにおさめて、撒き散らすように壁に掲げたインスタレーションも、とてもうまくいっていた。
鶴巻は普段は自らが主宰する東京 目黒のJam Photo Galleryで、日常のスナップ写真を中心とした作品を発表している。今回の展示は、それとはまったく違った水脈によるもので、自らの作品世界をより広げていこうという意欲を強く感じた。ただ、写真の間に言葉をバラバラに挟み込む展示構成だと、特定の言葉と写真との関係のあり方がうまく伝わってこない。その対応関係を、もう少ししっかりと明示すべきだったのではないだろうか。
公式サイト:https://fugensha.jp/events/221201tsurumaki/
2022/12/04(日)(飯沢耕太郎)