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美術に関するレビュー/プレビュー

シカゴ美術館 本館、モダン・ウィング

[アメリカ、シカゴ]

1893年の万博時にオープンした建築を使う、シカゴ美術館へ。いったん中央の細い展示エリアを介して、奥に新棟が続くが、ここはなんと線路の上を横断している。増築されたのは、レンゾ・ピアノによるモダン・ウィングだ。洗練されたワンパターンのデザインだが、ミレニアムパークへの見通しが抜群の、気持ちのよい展示空間である。ただし、湖への眺めはない。ここはヨーロッパの近代、古美術、家具、アジアのコレクションも充実しているが、やはりアメリカが強い。シェーカー教の家具特集展示のほか、サイ・トゥオンブリーの彫刻、ジャスパー・ジョーンズの懸垂線シリーズなどである。またジョセフ・コーネルによる箱や額の作品をこれだけまとめて揃えた常設はあまり見た記憶がない。

写真:左上=シカゴ美術館、右上=シェーカー教の家具、下段=レンゾ・ピアノ《モダン・ウィング》

2015/12/27(日)(五十嵐太郎)

プラド美術館展──スペイン宮廷 美への情熱

会期:2015/10/10~2016/01/31

三菱一号館美術館[東京都]

チラシを見てもパッとしないし、始まって1カ月半も経つのに評判も聞かないのでスルーしようかと思ったけど、やっぱり腐ってもプラド、たとえカスでも見る価値はあるだろうと思い直し、朝早く出かける。さすがに日曜日は東京駅周辺も静かちゃんだが、館内に入るとこれがけっこう混んでるんだな。会場をざっと半分くらい見て、いつになく小品が多いことに気づく。海外から借りる場合、運搬の事情で小品が多くなるのは仕方ないけど、今回は本格的に小さい。ベラスケスのコピーとおぼしきスペイン王妃のミニアチュールなど、わずか7.3×5.3センチしかない。もちろん小さけりゃ悪いってもんじゃなく、たとえばイタリア時代のエル・グレコの小品や、ルーベンス自身の手になる習作などは、弟子の筆の入った大味な大作よりはるかに魅力的だ。もうひとつ見どころは額縁。昔ながらの額縁がそのまま使われているものが多く、とくに初期フランドルの油彩画には画面と額縁が一体化しているものがあって興味深い。個々の作品では、晩年のティツィアーノの特徴が出ている《十字架を担うキリスト》、義父を描いたベラスケスの初期の肖像画とヴィラ・メディチの風景画、十字架が折り重なる迷宮画のような作者不詳の《自らの十字架を引き受けるキリスト教徒の魂》、自ギャグ(自虐的ギャグ)を感じさせるダーフィット・テニールス2世の《猿の画家》と《猿の彫刻家》、小品を組み合わせた動物図鑑のようなヤン・ファン・ケッセルの《アジア》、18世紀末の熱気球を描いたジョン・フランシス・リゴーの《3人の花形空中旅行者》、ジャポニスムもあらわな19世紀のマリアノ・フォルトゥーニ・イ・マルサスの《日本式広間にいる画家の子供たち》など、見るべきものは多い。

2015/12/27(日)(村田真)

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最初の人間国宝──石黒宗麿のすべて

会期:2015/12/08~2016/01/31

松濤美術館[東京都]

昭和30(1955)年に重要無形文化財保持者(人間国宝)の制度が誕生したときに、富本憲吉、濱田庄司、荒川豊蔵らとともに、認定を受けた陶芸家・石黒宗麿(1893~1968)の20年ぶりの回顧展。石黒が人間国宝の認定を受けたのは鉄釉陶器の技。しかし、生涯に試みられたその技法、絵付け、表現は驚くほど多彩だ。それも時代による変遷というだけではなく、途中に断絶がありながら同じ技法が後日ふたたび試みられたりもする。陶芸に師を持たなかった石黒の制作は、中国・朝鮮の古典陶磁の再現、模倣からはじまり、そこから独自の表現へと昇華させる。いわゆる本歌取りである。展示はこうした石黒の多彩な作品を技法別に章立てし、それらを最初に試みられた順に従って構成しているのだが、漢詩や書画も含めると全部で16章にもなることからも、その仕事の多様性がうかがえよう。人間国宝の制度が技法について認定されるものであるがゆえに現代の工芸家たちは特定の技法を極める方向に進みがちであるが、石黒の多様な試みに若い世代の陶芸家たちが強く関心を抱いているようだ、とは、1月10日に松濤美術館で行なわれたシンポジウムにおける金子賢治・茨城県陶芸美術館館長の言葉。
 本展覧会が単純な優品の展示に留まらず、最新の研究成果に基づいて構成されている点は特筆しておきたい。陶芸ジャーナリスト・小野公久氏による多年にわたる調査研究★1により、石黒宗麿の書簡、石黒と交流のあった竹内潔眞・大原美術館初代館長の日記における石黒に関するの記述などの存在が突き止められ、これまでおもに小山冨士夫のテキストによって伝えられてきた年譜年代の誤りが訂正されたほか、石黒による民藝運動への批判など、作品の背後にある作家の思想が明らかにされてきた。また野積正吉・射水市新湊博物館主任学芸員は、作品の銘印や箱書の署名の調査によって石黒作品の制作年代の特定を進めている。異端の陶芸家に関するこのような実証的な方法による検証が他の伝説的な近代陶芸家についても行なわれることを期待する、とは、これもまた金子賢治氏のコメントである。[新川徳彦]

★1──小野公久『評伝 石黒宗麿 異端に徹す』(淡交社、2014)

2015/12/26(土)(SYNK)

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乃村拓郎「On」

会期:2015/11/13~2016/12/27

the three konohana[大阪府]

「日本における彫刻」について考えることを制作の出発点に据えている乃村拓郎。本個展では、近代における「彫刻」の輸入・制度化から排除された存在、例えば「人為を加えない、ありのままの自然美の提示」「自然の造形の見立て」といった態度や、器などの「工芸」を作品内に取り込むことから出発している。
乃村は今回、三つの手法で展開した。(1)材木の端材や流木を展示台や床に置き、木目のねじれが描く曲線やウロ、絡み合う根っこといった自然のままの造形を「美」として捉えてみること。(2)同じく拾ってきただけの石を台に載せ、複雑な起伏をもつ表面の陰影や微妙な色彩のグラデーションを鑑賞すること。ただし、この「石」バージョンには、高精細なデジタルプリントの写真が傍らに添えられている。(3)小さな壺や桐箱のかたちに彫られた木彫。
ここで乃村は、とりわけ(2)と(3)において、「自然美そのままの提示」「工芸」から出発しつつ、相殺するような操作を加え、ネガとして反転させている。(2)では、均一にピントが合わされ、デジタル合成によって肉眼視を超える高精細な写真プリントがワンセットで置かれ、目の前にある実物の「石」を凌駕するリアルな質感をもつ画像が提示されることで、「拾ってきただけの石」が、本物そっくりに精巧に彫られ彩色された「つくりもの」、すなわち人工物であるかのように見えてくる。また、壺や桐箱のかたちに成形された(3)は、滑らかに磨かれた表面、彩色、掌に収まる大きさもあいまって、「工芸」的な見た目をしているが、蓋は開かず、「用途」や「機能」が剥ぎ取られている。従って乃村の試みは、「自然美そのままの提示」「工芸」を相殺・反転させるような介入を行なうことで、西洋の概念・制度としての「彫刻」ではなく、「非 自然美の提示」「非 工芸」という、一度否定されたものの否定形から始まる「もうひとつの彫刻」の可能性を模索していると言えるだろう。それはまた、私たちがものを認識するときの、見た目のイメージと実体の同一性や遊離をめぐっての思索でもある。

2015/12/26(土)(高嶋慈)

TWS-Emerging 2015[第7期]

会期:2015/12/19~2016/01/24

トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]

朴ジヘ、大岩雄典、福本健一郎の3人展。朴は鉄パイプで骨組みを組み、そこに蛇腹のアルミパイプを絡ませたり、自転車の車輪やビニール製マネキンを置いたりしたインスタレーション。だからなんだよ。大岩は水槽の上に天井から電球を吊るしたり、「サメに注意」の標識を置いたり、ゴディバのチョコの包装紙を飾ったり、2台の扇風機を向かい合わせに置き、1台は回し、もう1台は回さなかったりするインスタレーション。だからなんだよ。福本は東南アジアの熱帯林に触発された2点の大作絵画と、中小50点ほどの展示。濃密な上に色彩の使い方がすばらしい。これは納得できる。やっぱり絵画は説得力がある。

2015/12/25(金)(村田真)

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