artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

畠山直哉「陸前高田 二〇一一─二〇一四」

会期:2015/03/25~2015/04/07

銀座ニコンサロン[東京都]

畠山直哉は、東日本大震災の津波で、故郷の岩手県陸前高田市の沿岸部が壊滅的な被害を被った後すぐに、その状況を撮影しはじめた。それらは2011年10月~12月に東京都写真美術館で開催された「ナチュラル・ストーリーズ」展で発表され、写真集『気仙川』(河出書房新社、2012年)にも収録される。被災地の生々しい情景を、緊密な画面構成で描写したそれらの写真群は、誰もがそれぞれの「3・11」の体験を想い起こしてしまうような、強い喚起力を備えていた。
だが、畠山はその後何度も陸前高田に足を運んで、このシリーズを撮り続けた。今回の銀座ニコンサロンでの個展では、2011年3月19日から2014年12月7日までの写真63点が、撮影された順に日付を付して展示されている。それらを見ると、瓦礫の山が片づけられ、更地に盛り土がされ、道路や防波堤が整備されるなど、時の経過とともに「復興」が進みつつあることがわかる。夏の祭りが復活し、仮設の弁当屋が店を開き、かなり早い時期にコンビニの営業が再開している。畠山の撮影の姿勢は、基本的に震災直後と変わりはないのだが、少しずつ平常化していく街の眺めに向けられた眼差しの質に、柔らかな余裕が感じられるようになっていた。
畠山は2002年頃から、実家があった気仙川の周辺の光景の写真を撮りためていた。その「気仙川」のシリーズは、やや緊急避難的な意味合いを込めつつ、「陸前高田」とともに「ナチュラル・ストーリーズ」展で発表され、写真集『気仙川』にも収録された。今回の展示を見て強く感じたのは、2013~14年頃の「陸前高田」の写真群は、「気仙川」に直接結びつき、その延長上に撮影されているように見えるということだった。おそらく、もう少し長くこのシリーズが撮り続けられていけば、これまでも戦災や津波の被害を乗りこえてきたこの街の歴史と、畠山の個人的な記憶・体験とが、分ちがたく溶け合っていくような「サーガ」として成長していくのではないだろうか。そんな予感を抱いてしまった。
なお、本展は2015年4月30日~5月13日に大阪ニコンサロンに巡回する。それにあわせて、河出書房新社から同名の写真集も刊行される予定である。

2015/03/25(水)(飯沢耕太郎)

遠藤湖舟「天空の美、地上の美」

会期:2015/03/15~2015/04/05

日本橋高島屋8階ホール[東京都]

遠藤湖舟は1954年、長野県生まれ。中学時代から天体写真を撮りはじめ、その後、撮影の範囲を広げて、独自の自然写真の世界を作り上げていった。今回の展覧会では、音楽にも造詣が深い彼らしく、楽曲の構成で作品が並んでいた。
前奏曲「宇宙を受け止める」から、第一楽章「月」、第二楽章「太陽」、第三楽章「空」、第四楽章「星」、第五楽章「ゆらぎ」、第六楽章「かたわら」、終曲「雫」と続く130点余りの作品を見ると、あくまでも細やかな自然観察をベースにしながら、宇宙からごく身近な環境にまで目を凝らし、写真というフィルターを介することで新たに見えてくる「美」を定着しようという彼の意図がよく伝わってくる。特に、第五楽章「ゆらぎ」の、水の反映を色と光とフォルムの抽象的なパターンに還元していく試みは興味深い。そこに出現してくる華麗で装飾的な絵模様は、まさに「現代の琳派」につながっていくのではないだろうか。
もう一つ、可能性を感じたのは、作品を単純にフレーミングして壁に掛けるのではなく、アクリルボードでトンネルを作ったり、屏風や掛け軸に仕立てたりする展示の手法である。現代美術寄りのインスタレーションではなく、日本の観客にも馴染んでいる見せ方を工夫することで、デパートの催事場にふさわしい展示になっていた。さらに作品の何点かは、豪華な「龍村錦帯」のデザインに転用されている。写真の画像の活かし方として、これまでにない展開といえるだろう。今回は和風のテイストだったが、写真によっては洋服のファッション・デザイナーとのコラボレーションも充分に考えられそうだ。

2015/03/25(水)(飯沢耕太郎)

小池隆英 New Works

会期:2015/03/14~2015/03/30

上野の森美術館ギャラリー[東京都]

1997年のVOCA展でVOCA賞を受賞した小池の個展。綿キャンバスにアクリル絵具を染み込ませた抽象画だが、かつて華やかだった色彩は抑え気味で、紫がかったグレーを基調に黄緑系を配している。茫洋とした画面で、いまどき流行らないだろうなあ、でもまた抽象画の時代が来たからわからないが。

2015/03/24(火)(村田真)

VOCA展──新しい平面の作家たち

会期:2015/03/14~2015/03/30

上野の森美術館[東京都]

今年で22回目という。初回からの常連選考委員4人は平均52歳から73歳へと高齢化し、もはやだれも引導を渡せなくなっている。ただ各地の学芸員やジャーナリストからなる推薦委員は少しずつ入れ替わってるので、新しい作家の供給にはこと欠かない(その推薦委員が選考委員の顔色をうかがってるようじゃ意味ないけど)。そんなわけで相変わらずVOCA調ともいうべきノーテンキな絵が散見されるものの、今回なぜか抽象イメージが急増している。そういえば昨夏の東京オペラシティでの「絵画の在りか」展も抽象が大半を占めていたっけ。でも見ごたえのある抽象画は少なく、むしろブラッシュストロークによる抽象パターンを巧みに採り込んだ水野里奈の、いかにもVOCA的な絵画が目を惹いた。こうした作品もさることながら、VOCA展のもうひとつの楽しみは少数ながら「平面」や「展覧会」という形式に挑戦する作品を発見することにもある。例えば、原発事故などを描いた十数枚の絵を部分的に重なるように組んだ加茂昂の作品。カタログの図版を見るとコンピュータの画面のようにフラットだが、実際にはキャンバスの厚みや隙間があるので立体的で、そうなるとキャンバスの側面や裏側も気になってくる。まだ工夫の余地はありそうだが、絵画の可能性として注目したい。さらに「VOCA展」そのものに真っ向から挑んだ(そして玉砕した)のが奥村雄樹だ。「会田誠に本気でVOCA賞を狙った絵を描いてもらう」などのプランが却下され、結局三つ目のプランである透明プラスチック板を壁に立てかけた。もし最初のプランが通っていたら、その絵は奥村の作品なのか、会田(年齢制限を10歳ほど上回ってる)の作品なのか。そしてもしそれがVOCA賞を獲ったりしたら、賞金はだれがもらうのか。また、受賞作品は買い上げられるが、買う側からすれば会田作品を市場価格よりはるかに安く購入できるチャンスではなかったか。なんて余計なことまで考えてしまいます。いずれにしても実際に展示されたのは、おもしろくもなんともない透明プラスチック板だけだったが。もうひとつ、形式としては平面だが、もっともVOCAらしくなく(それゆえ)もっとも心をざわつかせたのが村田峰紀の作品だ。悲惨なまでにささくれ立ったパネルの表面は、一見荒れ模様の風景にも、1本だけ残った木にも見えるが、これは合板をボールペンで何百回も引っ掻くというパフォーマンスの痕跡だという。ここには、おそらく洞窟壁画がそうであったように「描く(書く)」の根源が「掻く」であったろうことを思い出させる力がある。心がざわめくゆえんだ。

2015/03/24(火)(村田真)

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VOCA展2015 現代美術の展望─新しい平面の作家たち

会期:2015/03/14~2015/03/30

上野の森美術館[東京都]

上野の森美術館のVOCA展を見る。毎年気がつくと終わっていることが多いのだが、今年は奥村雄樹の提案が拒否された事件が起きたので、忘れずに足を運んだ。なるほど、現代の平面作品の年鑑化しつつあるVOCAに対して、現代美術としての一撃である。カタログで高階がこの件に多く触れている一方、他の選考委員がまったく触れないのも印象的だ。

2015/03/23(月)(五十嵐太郎)

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