artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
像形人間
会期:2015/03/31~2015/04/19
みうらじろうギャラリー[東京都]
木村了子、関本幸治、藤井健仁、松山賢による「人間像」の展示。手づくりの人形や小道具を使ってあたかも肖像写真のような作品をつくる関本は、写真作品のほかに撮影に用いた椅子も出品。ほかの作品に比べると破格の安さだが、椅子だよ。鉄板を叩いて有名人の顔にする藤井は、東電のトップだった勝俣某の顔を彫刻した《T.K. 鉄面皮》を出している。だいたい彼のつくる顔彫刻は悪人面が多いが(タイトルが「鉄面皮」だし)、こいつの顔はとりわけずる賢そう。もちろん見る側の思い込みも反映されてるのかもしれないが。T.K.本人は自分の顔がこんな「鉄面皮」になって人前にさらされてるなんて思ってもみないだろうなあ。
2015/04/03(金)(村田真)
マグリット展
会期:2015/03/25~2015/06/29
国立新美術館[東京都]
「マグリット」展は、いまさらと思いつつ見に行ったが、1920年代の最初期の作品とポスターデザインの仕事、1940年代の印象派風とヤケクソなスタイルが紹介されており、いわゆるマグリット風でないものが含まれていて、彼の軌跡を楽しめた。ちなみに、一番面白いのは、キャプションで紹介されていた、おのおのの絵に彼が書簡で記した説明文である。これは真面目な哲学なのか、ギャグなのか? とにかく、人を食ったような奇妙な文章で笑える。
2015/04/03(金)(五十嵐太郎)
ルーヴル美術館展 日常を描く─風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄
会期:2015/02/21~2015/06/01
国立新美術館[東京都]
国立新美術館の「ルーヴル美術館」展は、いわゆる格が高い、正統派の歴史画や宗教画ではなく、日常を描くサブカルチャーとしての風俗画をピックアップした内容である。したがって、17世紀のオランダや18世紀のロココなどの作品が目立つ。室内画も多く、以前、研究室で絵画の中の窓を網羅的に調べた窓学のリサーチを思い出す。ちなみに、窓はおおむね、左側に描かれる。
2015/04/03(金)(五十嵐太郎)
春を待ちながら──やがて色づく風景をもとめて
会期:2015/02/28~2015/04/05
十和田市現代美術館[青森県]
阿部幸子、高田安規子・政子、野村和弘によるグループ展。共通しているのは、いずれもささやかでひそやかな手わざによる作品という点である。
野村が発表したのは、おびただしい数のボタンを集積したインスタレーションなど。来場者が持ち寄ったボタンを投入させる観客参加型の作品である。高田姉妹の作品は、透明な吸盤に緻密な模様を彫り込んだり、軽石から円形競技場を彫り出したり、いずれも非常に繊細で緊張感の漂う制作過程を連想させる。ボタンや吸盤などの日用品を素材にしながら、ささやかでひそやかな感性を育んでいる点は、昨今の現代美術のひとつの傾向と言えるだろう。
とりわけ印象深かったのが、阿部幸子。会期中の毎日、会場内でパフォーマンス作品を披露した。白い雲が立ち込めたかのような幻想的な空間の中心で、阿部自身がはさみで紙を切り続けている。行為そのものは非常にシンプルだが、その白い雲が彼女が切り出した紙片の塊であることに気付かされると、その行為にかけた並々ならぬ執念と反復性に驚かされる。このような持続的な行為の反復は、数ミリ単位の細長い円形模様を長大なロール紙の上に繰り返し描きつけた彼女のドローイング作品にも通底していた。
はさみは紙の四辺に沿ってリズミカルに進む。その音はマイクで拾われ、会場内に大きく反響している。脳裏を刻まれているように錯覚する者もいれば、封印したはずの遠い記憶が呼び起こされる者もいる。視覚的には単純な情報しか入ってこないにもかかわらず、脳内では実に多様で豊かな感覚が生まれるのだ。
しかし思えば、このような変換による感覚の増幅こそ、美術の可能性の中心ではなかったか。本展で展示されていた作品は、華々しいスペクタクルを見せつけるようなものでも、コンセプトという知的ゲームに溺れるようものでもなく、ごくごく控えめで、どちらかと言えば地味な部類に入るが、いずれも美術の王道を行く作品であると言えるだろう。
2015/04/02(木)(福住廉)
古賀絵里子「一山」
会期:2015/04/01~2015/04/10
エモン・フォトギャラリー[東京都]
古賀絵里子は2009年にはじめて高野山を訪れ、ほとんど啓示としかいいようのない「決定的」な衝撃を受ける。とりわけ、その奥の院は「六感にまで訴えかけてくるようで、その独特の雰囲気には圧倒された」という。翌月から、月一度ほどのペースで通い詰め、2010年の春からは山内に撮影の拠点となるアパートを借りた。だが自然の景観を中心に撮影していた写真には、3年ほどで行き詰まりを感じ、それからは高野山に暮らす人々にも、積極的にカメラを向けていくようになる。「「写真」以前に「人」がある」と考えたからだ。そうやって、少しずつ「一山(いっさん)」のシリーズが形をとっていった。
このシリーズは、既に2013年に、同じエモン・フォトギャラリーで個展の形で発表されたことがある。その後も着実に撮り続けて枚数を増やし、展覧会と同時に発売された写真集(赤々舎刊)の収録作品は、100点にまで膨らんだ。今回は、そのうち40点を選んで展示している。シリーズとしての骨格は、2年前の個展の時にでき上がっていて、それほど大きな変化はない。だが、単純に枚数が増えただけではなく、その間に結婚して京都に移り住むという大きな出来事を経験したこともあり、写真を選び、並べていく手つきに、揺るぎない確信と深みが加わったように感じる。1枚1枚の写真が伸び広がり、結びつき、照応し合ってあらわれてくる世界に、女性らしい細やかさを残しながらも、堂々とした風格が備わってきているのだ。タイトルの「一山」というのは、高野山の別名であるだけでなく「ある一つの山」という意味でもあるという。つまり、固有名詞である高野山に収束するだけではなく、より普遍的な、人と自然と宇宙との出会いの場をイメージして作品を作り続けているということだろう。そのことが、たしかな実感をともなって伝わってきた。
こうなると次作も楽しみになってくる。いい意味で期待を裏切って、新たな領域にもチャレンジしていってほしい。なお本展は、2015年4月18日~5月10日に、京都・妙満寺に会場を移して開催される。
2015/04/02(木)(飯沢耕太郎)