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美術に関するレビュー/プレビュー

題名のない展覧会─栃木県立美術館 50年のキセキ

会期:2022/04/16~2022/06/26

栃木県立美術館[栃木]

学生のとき以来だから、宇都宮の《栃木県立美術館》を訪問したのは20年以上ぶりになる。確か、初めてこの建築の存在を知ったのは、世田谷美術館の「日本の美術館建築」展(1987)で紹介されていたときである。《栃木県立美術館》は、大阪万博の《万国博美術館》(旧国立国際美術館、1970)も手がけた川崎清が設計し、1972年に開館したから、日本において早い時期に登場した県立美術館だろう。樹木を象徴的に残し、それを映しだすハーフミラーの外観が特徴である。塔状のヴォリュームでありながら、存在感を消すようなデザインは、近年の建築の動向と共振するだろう。意外に古びれていない。もっとも、段状の広場を囲むガラス面は、作品への日射の影響から後に不透明になり、当初の外部と内部が連続するような空間ではなくなっていた。またセキュリティのためとはいえ、屋外彫刻を展示する広場が、隣接する公園に対し、閉ざしているのももったいない。ここはアクティビティをもたらす、効果的な場として活用できるはずだ。ちなみに、直交座標系で完結させず、壁の角度を振った内部の空間体験は今も楽しい。



栃木県立美術館


研究員の案内で、常設展示のエリアも含む(1981年にオープン)、全館をフルに用いた50周年記念の「題名のない展覧会─栃木県立美術館50年のキセキ」をじっくりと鑑賞した。プロローグとしてコレクション無しの状態から発足した美術館誕生の経緯(模型や図面、建築雑誌において紹介されたページなど)、基金を活用した購入作品(コロー、モネ、ターナーなど)、調査研究をもとに企画した展覧会群、美術館が所有する名品、女性アーティストへのフォーカス(福島秀子ら)、西洋の挿絵本、「美術館と同級生」として1972年に制作された作品、21世紀の栃木の現代美術、栃木の建築や風景を表現した作品群など、さまざまな角度のテーマが続く。全展覧会のポスターを年譜として並べたり、カタログや鑑賞ガイドなど、「印刷物でたどる美術館のあゆみ」も興味深い。なお、いくつかの企画展については、ポスターの撮影者やデザイナーも明記し、さらに担当した研究員のコメントも交え、活動を振り返る。そもそも美術館とはどういう場であるのか、また展覧会を実現する背景をていねいに教える内容だった。なお、建築のここを見て、といったキャプションも館内に用意され、建築も作品として再発見してもらう試みも良かった。



「題名のたくさんある展覧会」セクション




模型




石井幹子の《シャンデリア》(1972)




奥に全ポスターによる年譜




ポスターの展示にもキャプション




壁の素材を説明する


2022/06/04(土)(五十嵐太郎)

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彫刻刀が刻む戦後日本—2つの民衆版画運動 工場で、田んぼで、教室で みんな、かつては版画家だった

会期:2022/04/23~2022/07/03

町田市立国際版画美術館[東京都]

タイトルを縮めてしまえば「戦後日本の民衆版画運動」になるが、それではクソおもしろくないしだれも見に来ないだろうから、「彫刻刀が刻む」というちょっと刺激的な言葉を入れたに違いない。事実この一言が入ることで、小学校の図画工作で木版画(ゴム版画ってのもあった)をやったことを思い出し、そういえばクラスでひとりかふたり彫刻刀で指切ってたヤツがいたなあ、ひょっとしたらそのせいでいまの小学校ではあまり推奨されていないのかも、などと連想が広がったものだ。同展は、そうした学校教育のなかに版画を採り入れた「教育版画運動」と、その源流である「戦後版画運動」の2つを紹介している。

戦後版画運動は、敗戦まもないころ日本に紹介された中国の木版画(木刻)に刺激され、1940年代後半から50年代半ばにかけて盛り上がった版画運動。中国の木刻運動が抗日戦争や農村の生活風俗を刻んだ作品が多かったこともあり、日本でも労働運動や政治風刺などプロパガンダ色の強い木版画が数多くつくられた。木版画はモノクロームが基本だが、油絵や日本画はいうにおよばず、リトグラフやシルクスクリーンに比べても容易に制作できるため、全国に波及した。美術史的にいえば、戦前に弾圧されたプロレタリア美術の精神を受け継ぎ、戦後のルポルタージュ絵画と並行しながら発展した美術運動と位置づけられるだろう。だが、比較的容易に量産でき、社会運動と結びつく長所が、皮肉にも美術史から遠ざけられる要因にもなった。ルポルタージュ絵画が1950年代後半に日本を襲ったアンフォルメル旋風によって影が薄まったように、社会主義的なリアリズムを基本としたこの版画運動も衰退していく。

代わりに台頭してくるのが、学校教育に版画を採り入れていこうという教育版画運動だ。小学校低学年でも彫刻刀を使わずにできる「紙版画」を普及させたり、クラス単位、グループ単位で大画面に挑む共同制作を推進したり、さまざまな工夫が凝らされ、これも全国的に広がっていく。圧巻は小中学生の共同制作によるベニヤ板大(90×180cm)の大判版画。川崎市の小学校では黒煙を吹き出す工場地帯、青森県十和田市の小学校では切田八幡神社のお祭り、石川県羽咋郡の小学校では収穫風景や干し柿づくりというように、それぞれの地域に根ざしたモチーフを彫り込んでいる。なかでも、青森県八戸市の中学校養護学級14人によるファンタジックな「虹の上をとぶ船・総集編」の連作は、動物が空を駆けるシャガールの幻想絵画を思わせ、プリミティブながらも子どもがつくったとは思えないほどの完成度を示していて驚いた。余談だが、この「虹の上をとぶ船」のレプリカが三鷹の森ジブリ美術館に展示されており、それにインスピレーションを得た画像が宮崎駿監督の映画「魔女の宅急便」(1989)にも登場するという。実は教育版画運動の推進者である大田耕士は宮崎の義理の父にあたり、宮崎自身も教育版画運動に協力したことがあるそうだ。

2022/06/04(土)(村田真)

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韓国画と東洋画と

会期:2022/06/03~2022/06/26

FINCH ARTS[京都府]

「国名を冠した絵画ジャンル」を掲げつつ、何らかの差異やズレを示唆する点で、本展タイトルは「『日本画』から/『日本画』へ」展(東京都現代美術館、2006)を連想させる。「『日本画』から/『日本画』へ」展では、天明屋尚、町田久美、松井冬子、三瀬夏之介など、2000年代以降のポップで具象性の高い「日本画」が、歴史との(非)連続性の下に提示された。そこでは、「日本画」という同一の名称が反復しつつ差異をはらんで回帰していた一方、本展タイトルは、「韓国画」と「東洋画」という分裂を抱えている。この分裂や二重性は、日本の植民地統治における文化政策と、韓国におけるその批判的検証がもたらしたものだ。本展は、植民地政策や国家的アイデンティティと美術、美術制度の政治性と教育システムといった歴史的で大きな視点から、韓国の若手ペインター8名を紹介する意欲的な企画である。企画者は紺野優希。



展示風景[© Artists, Photo by Kai Maetani, Courtesy of FINCH ARTS]


明治の近代国家形成期に、それまでの諸流派を再編成しつつ、「書画」からの切り離しや浮世絵を排除し、西洋絵画を取捨選択的に取り入れながらも「西洋画」と自らを弁別する「日本画」が創設され、教育制度や官展という国家による受賞システムによって権威を確立していった。同様のシステムは、植民地統治下の朝鮮半島にも移植され、1922年に朝鮮総督府が創設した官設公募展「朝鮮美術展覧会」では、「西洋画」と区別して、「東洋画」というジャンルが公式化された。以降の植民地期において、日本人主体の運営や審査制度により、内地・中央の近代日本画の規範に従いつつ、「朝鮮の郷土色」「朝鮮らしいイメージ」が求められるというダブルスタンダードの状況が続いた。一方、民主化運動やソウルオリンピックへの機運が高まる1980年代に、「東洋画」に代わる民族的アイデンティティの基盤として公に提唱されたのが、「韓国画」の呼称である。だが、大学の学科名や画家の自称などには、「東洋画」との混用が今も続く。

本展出品作家は、壯紙(韓紙の一種)や墨など伝統的画材を用いる者が多いが、アクリル絵具との併用など技法や素材は多様だ。また、大学での専攻も「東洋画」出身が半数を占めるが、「西洋画」出身者もいる。ひとつの志向性としては、風景(画)の再構築というベクトルに、現代的表現を見てとることができる。例えば、イ・イェジンは、低解像度に落とした風景画像を、色域ごとに層に分けて壯紙を7枚重ねることで、デジタル画像を壯紙のレイヤーとして再物質化する。チェ・カヨンも、画像を元に、雄大な山河の風景を、緻密な筆触とフラットな色面、「空白」の混合体として再構築する。ズレて2枚重ねられたキャンバス、そしてキャンバスの「裏」に貼られた「元ネタの風景写真」の存在は、支持体の物質性や「表/裏」という空間性に言及する。キム・ヘスクは、シャープペンと墨による繊細かつ硬質な線描で建築物を幾何学的秩序に解体しつつ、半透明のレイヤー構造が、建物の表皮に蓄積した時間の層を示唆する。



イ・イェジン《緑の夏色》[© Artists, Photo by Kai Maetani, Courtesy of FINCH ARTS]




チェ・カヨン《山・採石場―Marija Curkから》[© Artists, Photo by Kai Maetani, Courtesy of FINCH ARTS]




キム・ヘスク《Curve》[© Artists, Photo by Kai Maetani, Courtesy of FINCH ARTS]


一方、「日本の着物を着た女性像をキャンバスに油彩で描く」イ・ヒウクの《鏡-image》は一見、異色に見えるが、「鏡」の多義性によるメタ絵画論として読み解け、本展のコンセプトの鍵となる作品ではないか。描かれているのは、落ち葉と枯れ枝の積もる地面に腰をかがめ、四角い鏡を拾い上げようとする着物姿の女性である。鏡には女性自身の顔と青空が映る。だが、この「鏡に映る光景」をよく見ると、「緑の葉を付けた枝」という季節の「嘘」が混じり、女性の頬が映る鏡面に「白い絵具の線」が付着し、この「鏡」自体が「描かれた表面」にすぎないこと、すなわち「画中画」であることを告げる。ここには、「鏡と絵画」をめぐる複数の意味が折り重なっている。「自己を見つめる装置」としての鏡、「外界を映して切り取る窓」としての絵画、「鏡=虚像」としての絵画。そして絵画の虚構性は、「描かれた光景」の虚構性から、国家的アイデンティティや支配システムの基盤としてつくられた「日本画」「東洋画」という絵画制度の虚構性へと及ぶ。イ・ヒウクの本作は、「近代日本画(その象徴としての美人画)」を「お手本」として模倣した歴史を反復し、自己のルーツを見つめつつ、「鏡」をめぐるメタ絵画論を仕掛けることで、絵画の歴史的制度の虚構性にまで踏み込む優れた批評となっている。



イ・ヒウク《鏡-image》[© Artists, Photo by Kai Maetani, Courtesy of FINCH ARTS]


チェ・スリョンの「泰平女」シリーズもまた、「韓国らしさ」「東洋らしさ」を批評的に問うている。映画やドラマに登場する「東洋風」の女性像をモチーフに描くが、彼女たちは目鼻立ちが曖昧で、幽霊のような気配をまとう。つかみどころがなく曖昧で、「現在」と接続できずに浮遊し、追い払おうとしても執拗に残存する亡霊としての「東洋的イメージ」。上述のイ・ヒウク作品と並置したとき、ではなぜ、「東洋的イメージ」が女性像に担わされるのかという問いは、「東洋風の女性像」が二重に他者化されたイメージであることを照射する。



チェ・スリョン《泰平女》(2点とも)[© Artists, Photo by Kai Maetani, Courtesy of FINCH ARTS]


展覧会タイトルの「韓国画と東洋画と」に続く「空白の第三項」に代入されるのは、「日本画」、あるいは北朝鮮での呼称「朝鮮画」かもしれない。タイトルに仕掛けられた「欠如」は、東アジアの近代という俯瞰的視点に立たねば視界から抜け落ちてしまうものがあることを示唆する。このように、「他国」として切り離せない大きな歴史的視座に立って同世代の作家を紹介する展覧会が、日本人によって企画されたことに、本展の指す希望を見た。


参考文献
洪善杓「『東洋画』誕生の光と影」(『シリーズ・近代日本の知 第4巻 芸術/葛藤の現場』、晃洋書房、2002、pp.175-189)
金惠信『韓国近代美術研究──植民地期「朝鮮美術展覧会」にみる異文化支配と文化表象』(ブリュッケ、2005)
稲葉(藤村)真以「研究ノート 韓国画の変遷─葛藤と模索の軌跡をめぐって─」(『美術研究』426、東京文化財研究所、2018、 pp.75-92)

2022/06/03(金)(高嶋慈)

ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画─セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策

会期:2022/04/29~2022/07/10

アーティゾン美術館[東京都]

とてもよく練りあげられた、充実した展示だった。柴田敏雄と鈴木理策は、いうまでもなく1980年代から風景写真の分野でめざましい成果をあげてきた写真家たちである。その二人の写真作品を、アーティゾン美術館所蔵の絵画・彫刻作品と並置するという企画は、アイデアとしては素晴らしい。だが、写真と絵画・彫刻とでは、作品制作と提示のあり方が根本的に違っている。実際に展示を見る前は、単なる付け合わせ、見た目だけの一致に終わるのではないかという危惧も感じていた。幸いなことに、その予想はまったく外れてしまった。そこには、柴田、鈴木の写真とアーティゾン美術館所蔵の絵画・彫刻作品が互いに共鳴し、観客のイマジネーションを大きく広げることができるような、新たな空間が創出されていたのだ。

それはおそらく二人の写真家が、既にその活動のスタートの時点で、絵画や彫刻の創作原理を写真の撮影やプリントに組み込んでいく回路をもっていたからだろう。柴田は東京藝術大学美術学部で油画を学んでいるし、鈴木も高校時代には美術部に属して絵を描き、セザンヌに傾倒していた。写真家として活動し始めてからも、折に触れて絵画・彫刻作品を参照し、自らの写真シリーズのなかにそのエッセンスを取り込んでいる。といっても、絵画・彫刻作品の「描き方」をそのまま模倣しているわけではない。写真特有の視覚の働かせ方のなかに編み込むように、絵画や彫刻のそれをつなぎ合わせている。しかもその接続の仕方は柴田と鈴木ではかなり違ったものだ。どちらかといえば、色やフォルムを平面的なパターンとして取り入れていく柴田と比較すると、鈴木は奥行きやアトモスフェア(空気感)に鋭敏に反応し、ピントが合った部分とボケた部分を同時に画面に取り込む、デフィレンシャル・フォーカシングを多用している。両者の多彩で実験的な取り組みが、モネ、セザンヌ、クールベ、ボナール、カンディンスキー、ジャコメッテイ、藤島武二、雪舟らの作品と見事に溶け合っていた。

異彩を放っていたのは、鈴木理策の「Mirror Portrait」(2016-2017)である。ハーフミラーの向こう側のモデルを、鏡の周りにつけられた照明で撮影したポートレートのシリーズだが、モデルが写真家の姿を見ることができないので、思いがけない内省的な身振り、表情で写り込むことになる。鈴木の人物写真はきわめて珍しいが、この分野での可能性を感じさせる興味深い仕事だった。このシリーズは、さらに展開していってほしい。

(編集部註:2022年6月20日に作品説明部分を一部訂正)

2022/06/02(木)(飯沢耕太郎)

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抗走の系譜 The Yagi Family: Rebels Against Convention

会期:2022/05/20~2022/06/04

中長小西[東京都]

中長小西で開催されていた「抗走の系譜 The Yagi Family: Rebels Against Convention」は、前衛陶芸家の八木一夫、その父である一艸、弟である純夫、妻である高木敏子、息子の明と正の作品による展覧会だ。行く前にウェブサイトで開廊情報を確認しようとしたら、写真などのメインビジュアルはなく、以下の文字だけが載っていた。強烈だった。


八木一艸(1894-1973)
八木一夫(1918-1979)
八木純夫(1921-1944)
高木敏子(1924-1987)
八木 明(1955-)
八木 正(1956-1983)


没年を見て愕然とする。明以外はみな故人だ。立て続けの出来事。明からしたら、戦時下で叔父以外、1973年から87年にかけてみな亡くなったということが伝えられる。展覧会のキャプションには、過去の文献から、純夫の才能について言及する一夫の様子、一艸と一夫の二人展などについて触れられているが、たったいまの言葉としてあるのは明のものだ。作品とインタビュー記事と先行の研究成果と明の言葉が端的に示されるなかで、圧倒的に明の言葉が生々しい。それを押してなんとか作品を見なければと思いながら、会場をくるくる回る。本展で扱われているのは、社会や自身が慣習化してきたものを批判し創造していく一夫の「抗争」が、それぞれの芸術領域や社会での実践だけでなく、家族間にも見出せるのかという問い。その一方で、敏子の染織作品が壁に斜め掛けされることで2.5次元となることは正に、そのユニット性は明に引き継がれたのだろうかといったことを思いながら、ふと思い至る。一艸の妻である松江はどのように彼らを見て生きたのだろうか。例えば、すでに八木家の蔵書に関しても、松江が購入したとみられる書籍についても調査は進んでいるようだ。展覧会は無限の世界をくぎる装置であり、本展の「芸術一家」は見事に機能している。そこから飛躍して、松江からの視点もまたどこまでも抗争的かもしれないと妄想して帰路に就いた。



★──孫引きで申し訳ないが、以下を参考のこと(高田瑠美「八木家所蔵書籍について」:大長智広・島崎慶子・花里麻理・高田瑠美[調査・編集・発行]『八木家所蔵八木一艸関連資料調査報告書』、2020)。
筆者が参照したのは以下の論考。
花里麻理「知られざる八木和夫──一九六〇年代中ごろのスナップショットについて」(『茨城県陶芸美術館研究紀要1』茨城県陶芸美術館、2021、pp.32-49)



公式サイト:http://www.nakachokonishi.com/jp/exhibitions/yagi2022/yagi2022.html

2022/06/01(水)(きりとりめでる)