artscapeレビュー

鬼海弘雄『Hiroh Kikai: Asakusa Portraits』

2009年04月15日号

発行所:ICP/Steidl

発行日:2008年

鬼海弘雄が1970年代から続けている「浅草のポートレート」の集大成。草思社から2003年に刊行された『PERSONA』を定本に、ニューヨークのICP(国際写真センター)とドイツのSteidl社の共同出版で刊行された。
6×6判のカメラを使い、雷門の無地の壁をバックにたまたま通りかかった人たちに声をかけて真正面から撮影する。何とも味わい深い、一言でいえばとても「濃い」人間たちのコレクションである。こういう写真群を見ていると、八つ当たりで申しわけないのだが、やなぎみわの「マイ・グランドマザーズ」のシリーズがどうしても上滑りで単調なものに思えてしまう。鬼海の仕事はノンフィクションであり、やなぎの作品はフィクション的な虚構の世界の再構築だから、比較しようがないという見方もあるだろうが、本当にそうだろうか。鬼海の「浅草のポートレート」のモデルの大部分は、かなり自覚的な演技者なのではないかと思う。彼らのやや特異な風貌や身振りは、長年にわたって鍛え上げられた“藝”であり、鬼海は雷門に小舞台を設定してその演技を記録しているのだ。それ以前に、写真を撮る─撮られるというシチュエーションが、必然的にモデルを演技者に変身させてしまうということもありそうだ。
「浅草のポートレート」と「マイ・グランドマザーズ」がどちらも演劇的設定によってできあがった作品だとすれば、問われるのはその演技の質ということになるだろう。いうまでもなく前者は人間(というより人類)の生の厚みを感じさせる凄みのある存在感を発しており、後者はどう見ても底の浅いお嬢様芸でしかない。やはりこの分野はやなぎには分が悪そうだ。何度も書くように物語化、記号化を徹底させていくべきではないだろうか。

2009/03/07(土)(飯沢耕太郎)

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