2022年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー

カタログ&ブックス | 2020年6月1日号[テーマ:ビエンナーレ]

テーマに沿って、アートやデザインにまつわる書籍の購買冊数ランキングをartscape編集部が紹介します。今回のテーマは、アーティゾン美術館(※2020年6月1日現在、臨時休館中)で開幕を待つ、第58回(2019年)ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展の日本館展示の帰国展「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」にちなみ「ビエンナーレ」。2年に1回のペースで開催される美術展覧会全般を指すこのキーワード関連する、書籍の購買冊数ランキングトップ10をお楽しみください。
ハイブリッド型総合書店honto調べ。書籍の詳細情報はhontoサイトより転載。

「ビエンナーレ」関連書籍 購買冊数トップ10

1位:スイミー ちいさなかしこいさかなのはなし

著者:レオ・レオニ
翻訳:谷川俊太郎
発行:好学社
発売日:1969年4月1日
定価:1,457円(税抜)
サイズ:28cm

【産経児童出版文化賞】【国際絵本ビエンナーレ金のリンゴ賞(第1回)】小さな黒い魚スイミーは、広い海で仲間と暮らしていました。ある日、なかまたちがみんな大きな魚に食べられてしまい、一匹のこったスイミーは…。


2位:英語でもよめるスイミー

著者:レオ・レオニ
翻訳:谷川俊太郎
発行:好学社
発売日:2013年6月1日
定価:1,700円(税抜)
サイズ:28cm

【産経児童出版文化賞】【国際絵本ビエンナーレ金のリンゴ賞(第1回)】泳ぐのが誰よりも速い魚スイミー。ある日、恐ろしいまぐろに襲われ、兄弟たちが1匹残らず飲み込まれてしまった。逃げたのはスイミーだけで…。多彩な技法で描いた美しい海の様子をダイナミックに伝える絵本。英語訳付き。


3位:共感・時間・建築(TOTO建築叢書)

編著:山名善之、塚本由晴
共著:槇文彦、西田司、猪熊純、能作文徳、伊藤暁
発行:TOTO出版
発売日:2019年4月15日
定価:1,500円(税抜)
サイズ:19cm、157ページ

第15回ヴェネチア・ビエンナーレ(※編集部注:国際建築展)の日本館帰国展にあわせて行われたシンポジウムを再構成し書籍化。展示によって開かれた可能性を検証し、この先の建築を展望する。縮小時代を生き抜くための、建築家による議論の集成。


4位:アール・ブリュット(文庫クセジュ)

著者:エミリー・シャンプノワ
翻訳:西尾彰泰、四元朝子
発行:白水社
発売日:2019年7月4日
定価:1,200円(税抜)
サイズ:18cm、137+13ページ

鑑賞されることを目的としない、真に純粋で生の芸術、アール・ブリュット。その起源、呼び名、概念、作品の素材や形式、愛好家やコレクター、近年のブーム、美術館や市場までを概説する。



5位:我々は人間なのか? デザインと人間をめぐる考古学的覚書き

著者:ビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリー
翻訳:牧尾晴喜
発行:ビー・エヌ・エヌ新社
発売日:2017年10月27日
定価:3,000円(税抜)
サイズ:21cm、319ページ

我々は人間なのか? 今、デザインに求められるのは、この問いだ──。第3回イスタンブール・デザイン・ビエンナーレの準備をしていた過去1年半の活動記録。人間という動物を定義する上でのデザインの役割を考える。


6位:山形 米沢・鶴岡・酒田(ことりっぷ)電子版

発行:昭文社
発売日:2019年11月8日
定価:600円(税抜)

山形県全域を舞台に、「いい感じの小さな旅」を提案する『ことりっぷ』。注目のテーマは、「文翔館と山形ビエンナーレ」、「七日町をぶらりおさんぽ」、「山を感じるカフェ&レストラン」、「新庄マルシェと金山町でレトロさんぽ」、「かみのやまクアオルトウオーキング」、「熊野大社で良縁祈願」、「フラワー長井線に乗って花めぐり」、「手仕事の技がキラリ置賜クラフト」、「羽黒山麓へ、湯殿山麓へ」、「飛島へワンディトリップ」、「最上峡と幻想の森を訪ねる」など。
※本誌は2018年版内容について詳細データの更新を行い、2019年版としたものです。※一部コンテンツが採用されていない場合があります。


7位:日本画を描く悦び オールカラー版(光文社新書)

著者:千住博
発行:光文社
発売日:2013年10月12日
定価:920円(税抜)
サイズ:18cm、180ページ

第46回ヴェネツィア・ビエンナーレで東洋人初の絵画部門名誉賞を受賞し、大徳寺聚光院別院の襖絵を完成させた著者。母の影響から人生を変えた岩絵の具との出合い、「日本画の持つ底力」まで、思いのすべてを描き尽くす。


7位:都市のエージェントはだれなのか 近世/近代/現代 パリ/ニューヨーク/東京(TOTO建築叢書)

著者:北山恒
発行:TOTO出版
発売日:2015年8月12日
定価:1,500円(税抜)
サイズ:19cm、209ページ

東京という都市の生成変化を、パリ/ニューヨーク/東京という、異なる都市の成り立ちから論考。2010年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展「トウキョウ・メタボライジング」の展示コンセプト像を詳述したもの。


7位:ゲンロン 2(2016 April)慰霊の空間

編集:東浩紀
発行:ゲンロン
発売日:2016年4月7日
定価:2,400円(税抜)
サイズ:21cm、315+24ページ

特集:慰霊の空間
特集の中心をなすのは、津田大介らが参加した、2016年ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館のコンペ展示案。挑戦的なプランを2色刷りで完全再現。中沢新一へのインタビュー、五十嵐太郎・黒瀬陽平とともに災害と慰霊を再検討する鼎談など、多様な側面からこの国における慰霊のありように迫る。


10位:越境と覇権 ロバート・ラウシェンバーグと戦後アメリカ美術の世界的台頭

著者:池上裕子
発行:三元社
発売日:2015年12月19日
定価:4,600円(税抜)
サイズ:22cm、347+59ページ

【サントリー学芸賞芸術・文学部門(第38回)】1964年のヴェネツィア・ビエンナーレでアメリカ人初の大賞を受賞し、名声を得たラウシェンバーグ。彼の越境性に着目し、戦後の国際美術シーンにおけるパリからニューヨークへの覇権の移行を、世界美術史の見地から検証。


10位:建築の民族誌 第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館カタログ

著者:貝島桃代、ロラン・シュトルダー、井関悠
発行:TOTO出版
発売日:2018年5月29日
定価:1,500円(税抜)
サイズ:21cm、198ページ

第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館カタログ。建築のドローイングをめぐる新たなアプローチの探究を映し出す42作品とともに、貝島桃代らキュレーターによる3本の論考を掲載する。英語版も同時刊行。





artscape編集部のランキング解説

数年おきの美術展覧会を指す「ビエンナーレ」(2年に1回)、あるいは「トリエンナーレ」(3年に1回)といった語は日本でもすっかり浸透しましたが、そのオリジナルであるイタリアのヴェネツィア・ビエンナーレには100年以上の歴史があり、そのなかで国際美術展だけでなく、音楽祭や映画祭、演劇祭、そして建築展などが派生・独立していったという経緯があります。今年2020年の5月から開催されるはずだった国際建築展と、2021年に予定されていた国際美術展は、新型コロナウイルスの影響でそれぞれ開幕延期が発表されており、今後の展開にも注目したいところです。
「ビエンナーレ」というキーワードで抽出された今回のランキングは、ヴェネツィアだけでなく世界各国の多様なビエンナーレの姿が垣間見えるものになりました。1位と2位はいずれも絵本『スイミー』(2位は英語併記版)。第1回国際絵本ビエンナーレ「金のリンゴ賞」を受賞したレオ・レオニの代表作として、長年広く親しまれている作品です。トルコのイスタンブール・デザイン・ビエンナーレの共同キュレーターである二人が著した『我々は人間なのか? デザインと人間をめぐる考古学的覚書き』(5位)は、従来型のアートではなくデザインのビエンナーレをつくるというバックグラウンドを端緒として、現代の人間にとってデザインとは何か?と問いかけ新たな定義に思索を巡らせることのできる一冊。
近年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展の日本館に関連する書籍も目立ちます。2018年に開催された第16回の日本館のカタログ(10位)だけでなく、第15回の帰国展でのシンポジウムを採録した『共感・時間・建築』(3位)、日本館のコンセプトや展示コンペを振り返る『都市のエージェントはだれなのか』と『ゲンロン 2』(いずれも7位)など、設計や展示を支えるリサーチや言論の場も含めて、ヴェネツィア・ビエンナーレが建築家たちにとっての大舞台のひとつであることが伝わってきます。
緊急事態宣言の解除を受けて、営業を再開する美術館も少しずつ出始めてきました。アーティゾン美術館が再オープンした暁には、ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展の空気が日本にいながらにして体感できる「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」展にもぜひ足を運んでみてください。


ハイブリッド型総合書店honto(hontoサイトの本の通販ストア・電子書籍ストアと、丸善、ジュンク堂書店、文教堂)でキーワード「ビエンナーレ」の書籍の全性別・全年齢における購買冊数のランキングを抽出。〈集計期間:2019年5月18日~2020年5月18日〉

2020/06/01(月)(artscape編集部)

池田安里『ファシズムの日本美術──大観、靫彦、松園、嗣治』

翻訳者:タウンソン真智子

発行所:青土社

発行日:2020/05/22

「日本ファシズム」という概念的枠組みを設定することで、戦闘や兵士を描かず、一見「政治色を帯びていない」非戦闘画が、いかに戦争と共犯関係を取り結んだかを検証する、意欲的な研究書。欧米圏のファシズム研究理論を取り入れた、日本の戦争美術研究である。著者の池田安里は、日本で生まれ育ち、北米で大学教育を受け、バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学で執筆した博士論文が本書の元になっている。英語圏における日本の戦争美術研究の逆輸入という点でも、英語で執筆された文章の邦訳という手続きにおいても、外部化された視線の導入という構造が特徴だ。


本書で池田は、近年の欧米ファシズム研究を参照し、ファシズムを「個人主義・合理主義・物質主義などの近代の産物を非難し、集団主義・精神主義・国家の神話に傾倒するイデオロギー」(226頁)と定義した上で、戦時期の日本への適用を試みる(日本の左派研究者の見解を踏襲し、1931年の満州事変を戦争開始時期と見なす)。池田によれば、「日本ファシズム」とは、「ドイツやイタリアでのファシズムと同様、近代化によって破壊されかけている国家の『有機的な共同体(オーガニックコミュニティ)』の復活を掲げる二十世紀初頭のイデオロギー」を指し、「戦時中の日本がどのように近代化の影響に対抗し、伝統と純粋な日本人の精神によって結ばれた国家共同体の『再構築』を求めて民族主義に基づく全体主義を推し進め、民主主義・個人主義・自由主義を主張したアメリカやイギリスへの暴力を正当化したか」(14頁)に着目する。

「ファシズム美術は国家イデオロギーを反映したもの」(64頁)とする分析事例が、横山大観の富士、安田靫彦の中世の武士像、上村松園の美人画、東北の祭りと風習を描いた藤田嗣治の壁画である。

横山大観は、中国伝来の水墨山水画から距離を置き、近代以前の文学的背景や土着信仰から切り離された、「日本」の象徴としての富士にフォーカスを絞り、太陽や桜など同様の象徴的モチーフとのモンタージュによって新たな視覚言語をつくり上げた(ただし、「富士=日本の象徴」は、開国以降の欧米人によるオリエンタリズムの眼差しの内面化であるというねじれた構造がある)。安田靫彦の《黄瀬川陣》(1940-41)は、平家打倒のため、兄・頼朝の元に駆けつけた義経という「兄弟の結束」を描くなかに、(同じく近代以降に「創造」された)「死に殉じる武士道」と「儒教的な上下関係」を暗示する。

上村松園の美人画は、「質素倹約に励む女性」「夫と息子を天皇に捧げた女性」を描くことで、戦時中の模範的な日本人女性像を示す。また、浮世絵を参照しつつ性的要素を排除した松園について、「先駆的なフェミニスト」ではなく、「西洋に染まった性的なモガ」への反動として理解すべきだという主張も興味深い。「戦争協力」を通した公的領域への女性の参入は、「女性と国家は戦争を通してそれぞれの目標を達成するという共生的な関係を発展させた」(190頁)からだ。

東北の祭りと風習を描いた藤田嗣治の壁画《秋田の行事》(1937)は、柳宗悦の民芸や柳田國男の民俗学と呼応しつつ、「近代化に染まっていない、最も純粋で真正の日本」の表象として「東北」を特権視する。

こうした事例を通して本書は、国粋主義的な日本賛美、日本人特有とされる精神性、文化的真正性、(欧米やアジア諸国に対する)優越性、近代以前の美意識の「再発見」、「伝統」との繋がりの回復といった諸相を明らかにしていく。

本書の意義はまず、戦闘や兵士を写実的に大画面で描いた洋画中心の「戦争画(作戦記録画)」ではなく、見えにくい領域に光を当てることで、より包括的・多角的に戦争と美術を考える視座を開くことにある。「純粋な美の領域」か「政治的プロパガンダ」かに二分するのではなく、狭義の「戦争画」はファシズムの部分的要素であり、非戦闘画もまた同じイデオロギーのなかで機能していたと本書は指摘する。

さらに、本書のより広範な射程は、ファシズム・ナショナリズムとモダニズムとの結託・共犯関係である。「伝統的」とされる様式やモチーフを採用しつつ、「物語性や装飾性の排除」「写真的視覚」「平面性や幾何学性の強調」「構図の簡素化」といった(視覚様式としての)モダニズム受容により、刷新と近代化を図った日本画が、体制に与すること。「既存の体制や権威への異議申し立て」としてのモダニズムはファシズムによって消滅したという通念を覆し、モダニズムの美学が真逆の反動的政治学に「収用」(アプロプリエーション)され、変容して存在し続けたと筆者は指摘する。また、台湾や朝鮮といった帝国内部の植民地と同様、東北を「近代化されていない周縁」と眼差す構造は、モダニズムと表裏一体のオリエンタリズムや植民地主義を浮き彫りにする。西洋近代化の推進としての領土獲得は、その外部に「遅れた/純粋な文化の残っている」地域をつねに生み出し、これから帝国の支配領域に組み込まれるべき、未来完了形の領土として欲望するからだ。本書はそうした、「伝統」「古典」がモダニズムを取り込み、あるいは逆にモダニズムが「近代以前」を欲望しながら、国粋的なファシズムと結託していく輻輳的な回路を浮き彫りにしている。

2020/05/30(土)(高嶋慈)

クレア・ビショップ『ラディカル・ミュゼオロジー』

翻訳者:村田大輔

発行所:月曜社

発行日:2020/04/30

『人工地獄―現代アートと観客の政治学』(フィルムアート社、2016)、「敵対と関係性の美学」(『表象』05、2011)の邦訳が紹介されている美術史家・批評家のクレア・ビショップ。本書は、副題の「つまり、現代美術館の『現代』ってなに?」が示すように、「現代美術館」における「コンテンポラリー」の意味を問い直す美術館論である。

ビショップはまず、ロザリンド・クラウスの論考「後期資本主義的美術館の文化理論」(1990)を引きつつ、グローバル資本主義下における現代美術館のあり方を批判する。それは、スター建築家の署名を冠した巨大で派手な建造物の中で、(白人男性が多い)スター作家の個展が開かれるという、「新しさ、クールさ、フォトジェニック」といった「イメージの水準」での「コンテンポラリー」を劇場化する装置に過ぎず、コレクション形成を通した歴史との対話が軽視されているとビショップは指摘する。

またビショップは、「コンテンポラリー」の定義を時代区分で定める態度にも懐疑的だ。それは、「第二次大戦後」、「1960年代」、「冷戦終結の1989年」と、時代の変遷によって絶えず揺れ動いてきたからだけではない。そもそもそうした歴史認識自体が覇権的な西洋中心主義であり、非欧米圏のなかでも、(旧)共産圏、旧植民地およびその終結時期の差異により、「現代」の開始をどこに措定するかが異なるからだ。

ビショップはさらに、「イズムの交代史」としてのモダニズムに顕著な単線的な歴史記述の最先端に刹那的な現在として「コンテンポラリー」を位置づける態度も、未来への前進の代わりに「停滞した現在」しかないというポストヒストリカルな醒めた態度も退ける。これらに代わってビショップが提示するのは、複数の時間性が乖離しながらも重なり合う「弁証法的同時代性」であり、それは過去を通して現在の状況を理解・診断し、その変革の可能性を探る「新しい政治的想像力の基盤」(32頁)であるという。

こうした「弁証法的同時代性」の実践領域としてビショップが評価・分析するのが、コレクションを持つ現代美術館である。歴史的な文化認識の指標の保管庫でありつつ、新たに加わる収集作品によって未来に予見されるオルタナティブな価値基準をつくり上げていくコレクションは、「 過去完了形 ・・・・・ 未来完了形 ・・・・・ という二つの時制を同時に考えることを要求する」(33頁)からだ。

ここで、「弁証法的同時代性」の実践領域である「コレクションを持つ現代美術館」と比較されるのが、グローバル化されたビエンナーレと、「年代順展示の廃止に代わって導入されたテーマ展示」である。前者は歴史から切り離された「現在主義」の追認であり、後者は多様な歴史的・地理的差異を新奇なテーマのもとに捨象し、交換可能なものとして等価にしてしまう相対主義であり、市場迎合的であるとして批判される。

では、ビショップが提起するコレクション展示の新たなパラダイムとはどのようなものか。ビショップはそのモデルを、ファン・アッベミュージアム(アイントホーフェン/オランダ)、ソフィア王妃芸術センター(マドリッド)、メテルコヴァ現代美術館(リュブリャナ/スロヴェニア)という三つの現代美術館のコレクション活動から、実践的に引き出す。再制作や過去の展覧会の再構築(ナチス時代の「退廃芸術展」「大ドイツ芸術展」[1937]も含む)によって、コレクション形成の力学を可視化し、過去との時代的距離のうちに現在を測定しようとするファン・アッベミュージアム。また、中東のコンセプチュアルなアートの紹介や、ピカソ作品のパレスチナ貸出プロジェクトは、現代オランダにおけるイスラムフォビアとの対峙を示す。ソフィア王妃芸術センターは、美術作品を映画、出版物、ポスター、雑誌といった視覚文化の時代的文脈に位置付けて紹介すると同時に、ファシズムと植民地支配の負の歴史への反省的思考を促す。メテルコヴァ現代美術館は、共産主義の失墜と旧ユーゴスラヴィアの内戦にどう向き合うかという歴史の表象についての問いを俎上にのせ、コレクション展示の「反復」と差異のうちにメッセージ性を込める。いずれも、欧米の周縁地域に位置し、アーカイブ資料を創造的に活用しながら、現在の政治的課題と歴史への反省的な眼差しの要請が、コレクションの再活性化を駆動させている点が共通する。

本評の執筆時の5月後半、すでにドイツや中国などでは美術館が再開し、非常事態宣言が全国で解除された国内でも6月初旬にかけて再開(予定)が進んでいる。世界的なパンデミックの終息とワクチンの実用化までは、大量集客型のブロックバスター展や海外からの大規模な作品貸出は難しく、国内の他館からの貸出や、特に自館のコレクションを中心に組み立てる企画が増えるだろう。それは、「収集と保存」という美術館活動の根幹に改めて光が当てられる機会である。と同時に、コレクション=価値の一元的な固定化ではなく、つねに生成される「現在」の眼差しの下でいかに過去を再編成し、未来への生産的な投企を行なっていくかという流動的なプロセスであることがより強く問われていく。そうした状況下で、本書の示唆はきわめて大きい。

2020/05/26(火)(高嶋慈)

福田和代『東京ホロウアウト』

発行:東京創元社
発行日:2020/03/19


本書は近未来小説と言うべきなのか、リアリティー小説と言うべきなのか。時は2020年7月。東京オリンピック開幕直前のおよそ10日間を描いたサスペンス小説である。そう、本来ならいまごろ、東京をはじめ日本はオリンピック一色で盛り上がり、56年ぶりの高揚感を味わっているはずだった。それなのにウイルスの恐怖に怯え、経済がこれほど冷え込むとは、いったい誰が想像しただろう。本書は2018〜2019年に雑誌連載された作品を加筆修正したものであるため、当たり前だが、東京オリンピックが開催されることを前提に書かれた。東京中がハラハラとした危機にさらされるリアリティー小説だったはずなのだ。それなのにあり得た現実(東京オリンピック)があり得なくなったいま、本書は別の意味でのファンタジーとなってしまった。サスペンス小説であるのに、小説上で起きている「現実」が非常に眩しく感じてしまったのは、私だけか。

主人公は長距離トラックドライバー。正直、本書を読むまではトラックドライバーに対して何の関心も抱いていなかったが、彼らは物流を支えるプロであることが一貫して語られる。農業や漁業生産地から問屋や市場、スーパーマーケットやコンビニエンスストアへ、また個人宅から個人宅へ。そうなのだ、いまの世の中でわずかでも止まった途端、混乱が起きかねないのが物流である。例えばコンビニエンスストアに、毎日、たくさんの弁当が並べられている。その当たり前の光景を実現するために、いったいどれだけの人々が懸命に働いているのか。誰も意識すらしていなかった社会や物流のデザインを知らしめるがごとく、本書ではさまざまなテロが起きる。トラックの荷台を狙った青酸ガス発生事件に始まり、鉄道の線路破壊、高速道路のトンネル火災、トラックの車両爆破事件など。これらの事件が重なり、物流が徐々に止まることで、「東京が空っぽになる」ことに皆が気づいて恐怖を覚えるのだ。

最大消費地である東京を支えるために、この国はあるのか。実に軽やかに書かれた小説であるのに、読後にはこうしたメッセージが重くのしかかる。華々しく開かれるはずだった東京オリンピックが延期されたいまだからこそ、それをより深く考えさせられる。

2020/05/24(日)(杉江あこ)

「見る」という超能力──マーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化』

発行所:早川書房

発行日:2020/03/05

「見る」ということについて考え始めると、宇宙や生命について思いを巡らせるのにも似た不可思議な気分になる。なぜ外の世界がこれほどリアルに「見える」のか、いや、外の世界は本当に見えているように存在するのか、私が見ている赤色と他人が見ている赤色は同じ色なのか、そもそも世界に色はついているのか、視界は私の内にあるのか、外にあるのか、なぜ、どうやって外の世界が「見える」ようになったのか、見えるようになった動物はどう変わったのか……。

最後の疑問については、アンドリュー・パーカーが『眼の誕生──カンブリア紀大進化の謎を解く』(草思社、2006)で説得力のある答えを出している。生命の誕生はおよそ35億年前に遡るが、長く緩慢な進化の末、5億4300万年前からわずか500万年ほどのあいだに(地球史からすればほんの一瞬)突如として動物種が多様化し、現在のような複雑な形態をとるようになった。この「カンブリア紀の爆発」と呼ばれる大進化を促した要因が「眼」の誕生にあったというのだ。眼(レンズ眼)を獲得することによって捕食者は獲物を見つけやすくなり、逆に被食者は逃れやすくなる。そのため、ある種の動物は素早く動ける形態に進化し、また別の種は身を硬い装甲で覆うなど、生き残るために多様なデザインを編み出していく。つまり視覚の目覚めが進化圧を促したというわけだ。


これほど「目からウロコ」の大発見ではないけれど、マーク・チャンギージーの『ヒトの目、驚異の進化』は、これまでの視覚の常識を少しずつ覆していく「小発見」の連続であり、それゆえジャブの連打のようにジワジワと効いてくる本である。チャンギージーは初めに、人間の視覚はテレパシー、透視、未来予見、霊読という4つの超能力を備えているとハッタリをかます。専門書ではなく一般向けの啓蒙書なので、ある程度のホラは許容しつつ以下4章を読み進めていくうちに、まんざらホラでもハッタリでもないことが理解されてくる。

第1章では、人間の色覚がどのように発達したかを解き明かしていく。従来は、森のなかで生活していたわれわれの祖先が、色鮮やかな木の実などのエサを見つけるために色覚を発達させたと信じられてきたが、チャンギージーは自分たちの肌の色の微妙な変化を見分けるためだったと考える。かつてあった「肌色」という絵具がなくなったのは、人種によって肌の色が異なるため差別的とされたからだが、著者にいわせれば肌の色はどんな人種でも個人でも一定ではなく、体調や感情の変化によって赤、青、緑、黄色にもなるという。もちろんわずかな変化だが、赤ちゃんがいきむと赤みが増し、肌を押さえると黄色っぽくなり、鬱血すると青みがかることは経験から知っている。こうした変化が見分けられるように人間は顔から毛がなくなって肌が露出し、また、赤ちゃんの顔色で体調を判断するため女性には色盲が少ないのだという。だから人間の色覚は、第1章のタイトルどおり「感情を読むテレパシーの力」といえるのだ。これは納得。

続いて第2章では、人間の両眼が横ではなく前についている理由を探り、それを「透視」するためと喝破する。一般に、ライオンやフクロウなど肉食動物の目は前寄りに、ウサギやニワトリなど草食動物の目は両側についているが、前者は獲物に焦点を合わせるために視野が狭く、後者は捕食者に捕まらないために視野が広いとされる。人間の目も、前方に焦点を合わせて立体視するため前についているといわれてきたが、チャンギージーは立体視より、生い茂る木の葉や枝などの障害物を通して向こう側を見るためだと指摘する。ちょうど目の前に自分の鼻があるにもかかわらず、視野の邪魔にならずに透けて見えるように(鼻の高い西洋人には不思議だろう)、両眼の視差により目の前の障害物をあたかもないかのように「透視」できるというのだ。ここでわれわれの視覚は、左右の網膜に映ったままではなく、脳が修正を加えたイメージを見ていることがわかる。

そのことは次の章でより明確化する。第3章で検討されるのは錯視。チャンギージーによれば錯視とは、人間の目が光を受けて像を結ぶまでにかかる約0.1秒の時差を取り戻すために生じる現象だという。つまり脳は0.1秒遅れの動きを先取りして、ほんの少し未来のイメージをつくりあげてしまうのだ。たとえば、中心から放射状に延びる線の上に2本の平行線を置くと中央が膨らんで見えるが、これは脳が前進中と思い込んで一瞬先のイメージをつくりあげるからだ。これが第3章のタイトル「未来を予見する力」にほかならない。

最後の第4章「霊読する力」で語られるのは、文字と視覚との相性だ。人間は文字を発明したため、百年も千年も前に死んだ人たちの考えを耳にすることができる。これが「霊読」だが、もちろんそれで終わりではない。文字にはアルファベット、ヘブライ文字、アラビア数字、漢字、ひらがな、ハングルなどさまざまあるが、それぞれの文字を基本的な形態要素に分解すると、L T X Y Fなど20種ほどに還元でき、いずれも3画程度に収まる(漢字は文字単位ではなく構成要素に分解する)。この基本的な形態要素は自然を構成する形態要素と重なるため、すべての文字は自然に似るようにつくられたと考えられる。だから表音文字だろうが表意文字だろうが、自然を見るように読むことができるのだ。つまりわれわれが文字をすらすら読めるのは、文字が自然に擬態することで人間の目に適合したからであり、言い換えれば脳が進化したのではなく、文字が進化したのである。

このように、本書はこれまで考えられてきた視覚に関する常識を次々と覆し、わくわくするような新説に書き換えていく。もちろん単なる机上の空論でもオカルティックな珍説でもなく、綿密なデータに基づいた学術的な研究成果であることはいうまでもない。原題のTHE VISION rEVOLUTIONは、革命(REVOLUTION)と進化(EVOLUTION)を重ねたものだが、それは本書で語られている視覚自体の革命と進化を意味すると同時に、本書そのものが視覚論の革命と進化であることを物語っているのではないか。視覚に関する発見はまだまだ続くだろう。それだけ視覚というものは複雑怪奇なシステムなのだ。ありがちな結論だけど、結局「見る」という能力そのものがつくづく人智を超えた超能力だと思う。

2020/05/24(日)(村田真)

文字の大きさ