artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
カタログ&ブックス | 2022年6月15日号[近刊編]
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
※hontoサイトで販売中の書籍は、紹介文末尾の[hontoウェブサイト]からhontoへリンクされます
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ワタシの迷宮劇場 森村泰昌
京都市京セラ美術館にて、2022年3月12日〜2022年6月5日まで開催されていた展覧会「森村泰昌:ワタシの迷宮劇場」の図録。
彫刻刀が刻む戦後日本
町田市立国際版画美術館にて、2022年4月23日(土)~7月3日(日)まで開催されているの展覧会「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」の図録。
ヴェネチア・ビエンナーレと日本
世界最大級の現代アートの展覧会、ヴェネチア・ビエンナーレ美術展の日本公式参加70周年記念出版。
福島菊次郎 あざなえる記憶
被爆者、学生運動、公害問題――。戦後史の先端を活写した報道写真家・福島菊次郎を近くで四半世紀にわたり見つめてきた著者が、時代と切り結んだ「師」の姿と言葉を追い、その覚悟と葛藤、老いと死をつづる極私的フォトエッセー。
閉ざされる建築、開かれる空間 社会と建築の変容
脱「建築」――構築から接続へ。読売新聞連載コラム「建築季評」20年による建築・都市の読み解きから、空間の捉え方を考える。
創造とアナーキー 資本主義宗教の時代における作品 (シリーズ〈哲学への扉〉)
スイスの建築学校でおこなわれた連続講演をもとに、芸術作品の考古学、創造行為とは何か、我有化しえないもの、命令とは何か、宗教としての資本主義、という五つの主題をめぐり、諸学を横断しつつ概念の星座を探索する、アガンベンの思考のエッセンス。
ミュージアムの教科書 深化する博物館と美術館
ルーヴル美術館、万国博覧会、MoMA、ヴィクトリア&アルバート博物館、東京国立博物館、日本民藝館、セゾン美術館、森美術館、アイヌ民族博物館――国内外の重要なミュージアムや展示をピックアップして、各館の歩みや社会的な役割を丁寧に解説する。
田中信太郎アトリエ
没後のアトリエに残された「物」と空間をとらえた写真と本人のアフォリズム、中井康之による評伝から構成。
ディック・ブルーナ 永遠のデザインとことば
世界中で愛され続けているミッフィーの作者ディック・ブルーナの言葉と、あたたかくかわいいイラストが詰まった名著復刊!
誰のための排除アート? 不寛容と自己責任論 (岩波ブックレット)
「排除アート」設置の歴史・背景をひもとき、日本の公共空間づくりの問題点を浮き彫りにする。
関連レビュー
名古屋の排除アート|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2022年04月15日号)
建築家の解体 (ちくま新書)
「スター建築家」から「顔の見える専門家」へ――。安藤忠雄、隈研吾、谷尻誠……「建築社会学」を探究する社会学者が、来たるべき建築家の職業像を示す。
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2022/06/14(火)(artscape編集部)
カール・ゼーリヒ『ローベルト・ヴァルザーとの散策』
翻訳:新本文斉
発行所:白水社
発行日:2021/11/10
本書は、スイスの伝記作家・ジャーナリストであるカール・ゼーリヒが、作家ローベルト・ヴァルザー(1878-1956)との40回以上におよぶ散策の記録を書き留めたものである。本書は晩年のヴァルザーの人となりを伝える書物として長らく知られてきたが、たとえヴァルザーの作品について何も知らなくとも、本書はそれ自体できわめて興味深い読み物として成立している。
ごく個人的な話になるが、わたしはかつて、エンリーケ・ビラ=マタスの『バートルビーと仲間たち』(木村榮一訳、新潮社、2008)を通じて、このローベルト・ヴァルザーという作家に大きな関心をもった。ハーマン・メルヴィルの小説中の人物「バートルビー」に類する人物を文学史のなかに探っていくこの驚嘆すべき書物は、まさしくこのスイス人作家をめぐるエピソードから始まる。そこで描き出されるヴァルザーの実人生は、カフカやゼーバルトを魅了したその作品と同じく、あるいはそれ以上に興味をそそるものだった。
本書の主役であるローベルト・ヴァルザーは、この「散策」が始まった時点ですでに文学的には沈黙し、スイス東部ヘリザウの精神病院に収容されていた。かたや、編集者でもあった本書の著者ゼーリヒは、この散策に先立って──世間がヴァルザーにあらためて目をむけるべく──その作品をふたたび世に問おうとしていた。そうした背景のもと、1936年以来、ゼーリヒはヴァルザーのいた精神病院をたびたび訪れ、本書に収められた長期間にわたる「散策」を敢行する。本書の初版が世に出たのは1957年、ヴァルザーが亡くなった翌年のことである。
したがって本書はまず、晩年に沈黙したこの作家の言葉を伝える貴重な資料として読むことができる。しかし同時に、本書には「著者」ゼーリヒによる数多の脚色が施されていることに注意せねばならない。訳者あとがきでも指摘されるように、本書の端々にあらわれる箴言めいた言葉のなかには、どこかこの作家には似つかわしくないものも含まれる。この『ローベルト・ヴァルザーの散策』は2021年にズーアカンプから出た最新版の邦訳だが、その編者のひとりであるペーター・ウッツの指摘によれば、本書には「後見人」ゼーリヒの政治的な身振り、さらにはひとりの「作家」としての介入が数多くみとめられるという。
だが、それを単純に本書の瑕疵と考えるべきではないだろう。本書が、ローベルト・ヴァルザーという謎めいた作家との散策を伝える貴重な「資料」であり、それをもとにしたカール・ゼーリヒという人物の「作品」でもあるということはいずれも事実であり、この二つは単純な排他的関係にはない。晩年に沈黙したひとりの伝説的な作家の「生」が、ここには幾重にも捻れたしかたで描写されており、そのことが逆説的にも本書を魅力的なものとしている。さらに本書には、ゼーリヒ本人によるヴァルザーの肖像写真が多数収められている。二人きりの散策の「真実らしさ」を強調するかのようなその数々の写真をいかに「読む」か──それもまた、このミステリアスな書物がわれわれに突きつける問いのひとつである。
2022/06/07(火)(星野太)
フリードリヒ・シュレーゲル『ルツィンデ 他三篇』
翻訳:武田利勝
発行所:幻戯書房
発行日:2022/02/09
2019年6月に刊行開始された〈ルリユール叢書〉(幻戯書房)が、先ごろシリーズ30冊に達したという記事を読んだ
。その玄人好みのラインナップもさることながら、たったひとりの編集者が、月に一冊を超えるペースでこの叢書を切り盛りしているというのは驚異的というほかない。ところで数ヶ月前、その新刊書のなかにひときわ目を引く表題を見つけた。それが本書、フリードリヒ・シュレーゲルの『ルツィンデ』である。フリードリヒ・シュレーゲル(1772-1829)といえば、兄アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル(1767-1845)とともに雑誌『アテネーウム』を立ち上げるなど、多彩な活動で知られる初期ドイツ・ロマン派の作家だ。そして、この学者肌の作家による唯一の小説作品が、かれが27歳のときに発表した『ルツィンデ』(1799)なのである。
これは翻訳にして140頁ほどの中篇小説であり、ドイツ・ロマン派に格別の関心を寄せる読者を除けば、本書の存在を知る読者はそう多くはないだろう。ただ、『ルツィンデ』はけっして「知られざる」作品というわけでもない。戦前には1933年と34年に二種類の(!)翻訳が出ており、文芸同人誌『コギト』第30号(1934年11月号)には、かの保田與重郎による『ルツィンデ』論が掲載されている。すくなくとも戦前の日本では、本書は──おもに日本浪曼派を通じて──それなりに知られていた作品であった。戦後に目を転じてみると、1980年代から90年代にかけて刊行されていた『ドイツ・ロマン派全集』の第12巻に、やはり『ルツィンデ』の新訳が収められている(平野嘉彦訳、国書刊行会、1990)。そしてこのたびの『ルツィンデ 他三篇』は、当該作品に加え、関連する「ディオテーマについて」「哲学について」「小説についての書簡」の三篇を収録した、いわば決定版とでも言うべきものである。
そもそも本書はいわくつきの小説である。哲学および文学に深い造詣を示した若きフリードリヒ・シュレーゲルは、本書『ルツィンデ』が引き起こした一大スキャンダルによって、アカデミズムへの道を永久に絶たれることになった。それは、本書がシュレーゲル本人と、8歳年上の人妻ドロテーアの恋愛をただちに想起させる「モデル小説」だったからだ。本書におけるユーリウスとルツィンデは、その数年前、すでにベルリンのサロンで噂になっていたフリードリヒとドロテーアを明らかにモデルとしたものだった。本書の解説によると、『ルツィンデ』をめぐる騒動は、1801年に行なわれたシュレーゲルの教授資格審査の場にまで及んだという(293-294頁)。その小説としての内容の評価以前に、本書はそうしたスキャンダルとともに受容されたのだ。
だが、『ルツィンデ』の本当の「スキャンダル」はそこにはない──かつてそのことを指摘したのが、批評家のポール・ド・マンであった。ド・マンは「アイロニーの概念」(『美学イデオロギー』上野成利訳、平凡社ライブラリー、2013)において本書『ルツィンデ』を取りあげ、ヘーゲルやキルケゴールといった錚々たる哲学者たちが、この小説をなぜかくもヒステリックに論難するにいたったのかを説明する。ごくかいつまんで言えば、その理由は次のようになる。この小説──とりわけ「ある省察」と題されたパート(124-129頁)──では、性愛と哲学をめぐる議論がほとんど不可分なかたちで繰り広げられる。つまりこの小説では、性愛的描写と哲学的思弁が、明らかな意図をもって同じ平面のもとにおかれているのだ。ここに読まれるのは、「性愛のコード」と「哲学のコード」のアイロニカルな混淆であり、そのことが本書を読んだ哲学者たちを激しく苛立たせた原因だ、というのである。
実際に本書を読んでみると、このド・マンの立論にはそれなりに理があるように感じられる。つまり『ルツィンデ』が挑発的なのは、おのれの秘すべき恋愛をモデルにしたという表層的な次元にはおそらくない。むしろ読者は「小説(ロマン)」というこの文学形式に依拠した文学的かつ思想的な挑発にこそ着目すべきなのだ。本書に収録された「小説についての書簡」をはじめとする小品は、そうしたシュレーゲルの意図をうかがい知る助けとなるだろう。巻末の充実した註や訳者解題とあわせて、本書は日本語における『ルツィンデ』の決定版と言える一冊である。
2022/06/07(火)(星野太)
カタログ&ブックス | 2022年6月1日号[テーマ:ヨシタケシンスケの視点にシンクロしてしまうかもしれない5冊]
注目の展覧会を訪れる前後にぜひ読みたい、鑑賞体験をより掘り下げ、新たな角度からの示唆を与えてくれる関連書籍やカタログを、artscape編集部が紹介します。
絵本作家として『りんごかもしれない』でデビューして以来、「もしも」の世界の豊かさをさまざまな形で描き続けてきたヨシタケシンスケ氏。世田谷文学館での初の大規模展覧会「ヨシタケシンスケ展かもしれない」(2022年4-7月)の開催も話題のなか、ヨシタケ氏の発想の種が垣間見える、大人も子どもも没入してしまう5冊を選びました。
今月のテーマ:
ヨシタケシンスケの視点にシンクロするかもしれない5冊
1冊目:りんごかもしれない
Point
言わずと知れた2013年刊行の絵本デビュー作。目の前の何の変哲もないりんごに、その中身や構造、味、来歴などすべてに「◯◯かもしれない」という仮説を掛け合わせ、想像力を働かせることで見えてくるいくつもの世界をユーモラスに示してみせた本書の構造は、その後のヨシタケ氏の絵本でも一貫しています。
2冊目:このあと どうしちゃおう
Point
死後の世界はどうなっているの? という問いをタブーにすることなく、むしろワクワクするもうひとつの世界として描いた一冊。自らの両親の他界を経た、日頃から死について気軽に話せた方がいいという想いが本作の出発点だそう。「世の中ふざけながらじゃないと話しあえないこともたくさんある」(付属のリーフレットより)。
3冊目:ヨチヨチ父 とまどう日々
Point
父親という立場になって初めて知る感覚を捉えた、ヨシタケ氏自身の視点からのイラストエッセイ。絵に添えられた率直で正直な言葉を押して、きれいごとばかりではない日常、ひいては社会のなかで育児が置かれているどうしようもない現実の姿に共感を抱くお父さんやお母さんはたくさんいるはず。
4冊目:あるかしら書店
Point
ある町の本屋を舞台に、「こんな本あるかしら?」というお客さんの問いかけから繰り広げられる、「こんな『本にまつわる本』あったらいいな」という妄想のオンパレード。読んでいるうちに何より強く感じられるのは、本や書店への愛とロマン。だんだん本屋に行きたくなってくる、子どもも大人もたっぷり没入できる一冊です。
5冊目:思わず考えちゃう
Point
ヨシタケ氏が日常的に描き留めているスケッチと、それを描いたとき考えていたこと。哲学的な問いにつながりそうな話題もあれば、言語化までは至っていなかった生活の「あるある」もあり、その粒度の幅広さにどんどん読み進めてしまうミニエッセイの集積。この一貫した肩の力の抜け具合、見習いたくなってしまいます。
ヨシタケシンスケ展かもしれない
会期:2022年4月9日(土)~7月3日(日) ※日時指定制
会場:世田谷文学館(東京都世田谷区南烏山1-10-10)
公式サイト:https://yoshitake-ten.exhibit.jp/
『ヨシタケシンスケ展かもしれない公式図録 こっちだったかもしれない』
展覧会公式図録は、ヨシタケシンスケ自身が描き下ろしたコンテンツを豊富に収録。絵本のためのラフやアイデア、絵本原画をはじめ、展覧会のために描いた未公開スケッチを1000点以上収録。さらに、展覧会オリジナルグッズを自ら考案したスケッチは170点以上に。展覧会の裏話を含む5500字インタビューや、絵本作家デビューから10年の軌跡をたどる専門家による絵本論も必読です。
◎展示会場で販売中。
2022/06/01(水)(artscape編集部)
河野和典『永遠のリズム Eternal Rhythm』
発行所:PCT
発行日:2022/04/20
河野和典は1999年から2004年まで『日本カメラ』の編集長を務めるなど、写真関係の多くの書籍の出版にかかわってきた編集者である。ところが、その彼は50年以上にわたって写真を撮り続けており、今回そのなかからカラー、モノクローム作品98点を選んで写真集を刊行した。嬉しい驚きというべきだろうか、そこに掲載されている写真群は、見ること、撮ることの歓びを、みずみずしい生命感あふれる写真群として結晶させた素晴らしい出来栄えだった。
写真集には短い「あとがき」がついているのだが、そこに記されている言葉が、そのまま彼の写真観の表明になっている。「写真を撮るということは、知らない世界を発見する行為と言ってよい。物事を記録したり表現したりする手段には、文字であったり絵であったり音であったりといろいろあるけれど、写真は眼前の被写体を光で描き記録する。そしてそのなかに時間と空間を留める。私にとって写真は、もっとも貴重な記録手段であり、表現手段であり、なにより撮るときにも見るときにも、多くのことを発見する手立てでもある」。シンプルな言い方だが、ここには、写真家/表現者の基本的な思考のあり方がよく表われている。写真集のページをめくると、河野が何よりも「もの言わぬ植物の生命力、そしてその造形力」に魅せられつつ、写真撮影を通じて「発見し、知る」ことを求め続けてきたことが、よく伝わってきた。
まさに「永遠のリズム」を感じさせる写真の配列、レイアウト、デザインもとてもいい(ブックデザインは加藤勝也)。印刷のクオリティも高い。長年にわたる編集者としての経験の蓄積が、写真集の造本にも活かされている。
2022/05/14(土)(飯沢耕太郎)