artscapeレビュー
寺崎英子『細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム』
2023年04月15日号
発行所:小岩勉(発売=荒蝦夷)
発行日: 2023/03/31
寺崎英子は1941年、旧満州(中国東北部)で生まれ、戦後に宮城県鶯沢町細倉(現・栗原市)に移った。最盛期には3,000人以上の従業員を擁していた鶯沢町の三菱鉱業細倉鉱山は、鉛、亜鉛、硫化鉄鉱などを産出する全国有数の鉱山だったが、安価な鉱産物の輸入が自由化されたこともあって業績が悪化し、1987年に閉山に至る。
寺崎は、幼い頃に脊髄カリエスを患い、家業の八百屋の経理などを手伝っていたが、細倉鉱山の閉山前後から、カメラを購入して細倉の街並み、人、自然、取り壊されて空き家になっていく建物などを克明に記録し始めた。その本数は、黒白、およびカラーのフィルム371本(10,985カット)に及ぶ。今回刊行された写真集には、写真家の小岩勉を中心とする寺崎英子写真集刊行委員会がスキャニングした画像データから、432点が収録されている。
それらを見ると、寺崎がまさに閉山によって大きく変わり、失われていこうとしていた細倉の姿を、写真として残すことに、強い思いを抱いて取り組んでいたことが伝わってくる。細やかな観察力を発揮し、被写体の隅々にまで気を配って、一カット、一カット丁寧にシャッターを切っているのだ。とはいえ、カメラワークはのびやかで、柔らかな笑顔を向けている人も多い。愛惜の気持ちはあっただろうが、写真を撮ること自体を充分に楽しみつつ、記録の作業を続けていたのではないだろうか。結果的に、遺された371本のフィルムには、細倉とその住人たちの1980~1990年代の姿が、そのまま、いきいきと写り込むことになった。
寺崎は亡くなる1年ほど前の2015年に、小岩に電話をかけ、「これで寺崎英子って名前の入った写真集をつくって」とすべてのネガを託したのだという。彼女自身、自分の仕事の価値をしっかりと自覚していたということがわかる。写真集を見ると、掲載された写真のクオリティの高さは、一アマチュア写真家による記録写真という範囲を遥かに超えている。このような写真が撮られていて、しかも写真集としてまとめられたこと自体が奇跡というべきだろう。既に2017年以降、せんだいメディアテークなどで写真展が開催されているが、ぜひほかの地域でも展示を実現してほしいものだ。
2023/04/04(火)(飯沢耕太郎)