artscapeレビュー

書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー

北野謙『our face: Asia』

発行所:青幻舎

発行日:2013年4月26日

「ショッピングセンター前に作られた特設野外映画場で映画を観る31人を重ねた肖像(主に建設現場で働く出稼ぎ労働者)」(中国北京市、2009)、「日本のアニメのコスプレをする少女34人を重ねた肖像」(台湾台北市、2009)、「原宿の少女43人を重ねた肖像」(東京都原宿、2000~2002)、「2011年の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故後、脱原発の声をあげる25人を重ねた肖像」(東京都代々木公園、首相官邸前、2012)──写真集におさめられた1枚目から4枚目までの作品のタイトルを書き抜いてみた。北野謙が「our face」のシリーズを撮り進めるプロセスの、愚直なほど生真面目で丁寧な姿勢が、これらのキャプションからも伝わってくるのではないだろうか。トルコからインドネシアまで、アジア11カ国53都市を1999年以来15年にわたって回り、数千人以上の人々に声をかけてポートレートを撮影し、印画紙に焼き付けていく。気が遠くなるほどの労作であり、133点の作品がおさめられた写真集のページをめくっていると、彼が費やした時間の厚みが凝縮して、壁のように立ち上がってくるように感じてしまう。
北野が採用したフォトモンタージュによる集合ポートレートは、19世紀以来人類学や犯罪者の調査のために使われてきた手法だった。ある集団に共通する身体的な特徴を、モンタージュ写真から抽出するために用いられたのだ。ところが北野のこのシリーズには、それらの写真を見るときに感じる不気味さ、禍々しさ、威圧感などがあまりない。たしかに集団の一人ひとりの個性は、写真の中に溶け込み、一体化しているのだが、そこにはある種の安らぎや信頼が芽生えてきているように思えるのだ。プロジェクトを開始してすぐに撮影した千葉県鴨川の漁師さんが、自分たちの写真を見て「これは俺たちの顔だよ」といったのだという。写真を「俺たちの顔」つまり「our faces」ではなく「our face」にしていくためにこそ、北野は全精力を傾けている。その強い思いが、モデルになる人々一人ひとりにも、きちんと伝わっているのではないだろうか。

2013/06/18(火)(飯沢耕太郎)

カタログ&ブックス│2013年6月

展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。

建築資料にみる東京オリンピック 1964年国立代々木競技場から2020年新国立競技場へ

発行日:2013年5月8日
発行・監修:文化庁
サイズ:B5判、40頁

2013年5月に東京都の湯島にオープンした国立近現代建築資料館の開館記念特別展示の図録。丹下健三設計の国立代々木競技場の図面、建設過程の写真をはじめ、ザハ・ハディドによる新国立競技場最優秀案のCGなどの展示内容を豊富な図版によって紹介。また、建築資料の役割、位置づけに関する文章を多数掲載。




螺旋海岸|album

著者:志賀理江子
デザイン:森大志郎
発行日:2013年3月1日
発行所:赤々舎
サイズ:257×364mm、280頁

2012年11月7日〜翌1月14日まで、せんだいメディアテークにて開催された同名の展覧会の内容がおさめられた写真集。展覧会に向けて10回にわたり開催された、志賀によるレクチャーがおさめられたテキスト集『螺旋海岸|notebook』も会期中に発売されている。


児玉房子作品展「東京 around1990」

著者:児玉房子
発行日:2013年5月8日
発行所:JCIIフォトサロン
サイズ:250×240mm、31頁

東京のJCIIフォトサロンにて2013年の5月8日〜6月2日にかけて開催された児玉房子の「東京 around 1990」の図録。1990年台前半、バブル崩壊寸前の終焉が色濃く写し出された東京の街並みや人々の営みを追い続けた作品群を紹介する。


石原正道写真集 叢 KUSAMURA

著者:石原正道
発行日:2013年5月10日
発行所:株式会社日本写真計画
サイズ:189×263mm、60頁

2013年5月、ペンタックスフォーラム ギャラリーⅠにて開催された、石原正道の展示「叢(KUSAMURA)」の写真集。普段見過してしまう身近な草に目を向け、叢と題し、立夏から立秋にかけて生い茂る夏草の繊細な魅力を、格調高くモノクロで表現した作品約50点を掲載。


アーキエイド活動年次報告2012 | ArchiAid Annual Report 2012

編集:アーキエイド事務局
発行日:2013年3月11日
発行所:一般財団法人アーキエイド
サイズ:A4判

アーキエイド事務局編集のもと、設立当初からの活動をまとめた昨年度のAnnual Report 2011に続く、2冊目の活動報告書。全ページPDFにてデータ公開中。
アーキエイド ウェブサイト

2013/06/17(月)(artscape編集部)

カタログ&ブックス│2013年5月

展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。

墨田のまちとアートプロジェクト[墨東まち見世2009-2012ドキュメント]

編者:墨東まち見世編集部
発行日:2013年03月21日
発行所:東京文化発信プロジェクト室
サイズ:A5判、170頁

2009年から4年間、東京の濹東エリアで東京都、東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)、特定非営利活動法人向島学会の三者共催で毎年開催されている、新たな形の地域アートプロジェクトのカタログ。本書は、活動に詳しい編集者・まち見世の事務局担当者・公募による「編集部員」による「墨東まち見世編集部」によって制作された。


中谷宇吉郎の森羅万象帖

執筆者:福岡伸一、神田健三、中谷芙二子
発行日:2013年03月15日
発行所:LIXIL出版
サイズ:A4判変型、80頁
価格:1,890円(税込)

本書では、随筆家でもあった彼の言葉を道しるべに、科学者・中谷宇吉郎の軌跡を図版豊富に辿り、宇吉郎の科学に対する姿勢を浮き彫りにする。...それぞれの研究で図版紹介する写真の多くは、宇吉郎が「観察の武器」として膨大な数を残した撮影記録で、自然現象のかたちを見事に捉えている。...巻末に収録する福岡伸一(生物学者)を含む3名の論考等が中谷宇吉郎の思想を今日の科学につなげる。
LIXIL出版サイトより]


Magazine for Document & Critic:AC2 No.14

編集・発行:青森公立大学 国際芸術センター青森(ACAC)
デザイン:小枝由紀美
発行日:2013年3月21日
サイズ:256×167mm 110頁

国際芸術センター青森が、2001年の開館以来、およそ毎年1冊刊行している報告書を兼ねた「ドキュメント&クリティック・マガジン エー・シー・ドゥー」の第14号(通巻15号)。2012年度の事業報告とレビューのほか、関連する対談や論考などを掲載。





AIR2012 淺井裕介「八百万の物語─強く生きる 繰り返す─」

著者:淺井裕介+野坂徹夫+服部浩之
発行所:青森公立大学 国際芸術センター青森(ACAC)
サイズ:50頁

2012年4月28日(土)〜6月24日(日)に国際芸術センター青森(ACAC)で開催された淺井裕介滞在制作展「八百万の物語 -強く生きる 繰りかえす-」のカタログ。本展示で淺井は、国際芸術センター青森周辺、浅虫温泉、夏泊半島など青森各地で採取した土を主に用い、2月にインドで描き上げた「八百万の物語」という同名の作品を解体再構成し、それを継承するかたちでまったく新しい作品を描く。淺井本人やACAC学芸員による解説つき。
http://www.acac-aomori.jp/air/2012-1/


磯崎新建築論集2 記号の海に浮かぶ〈しま〉──見えない都市

著者:磯崎新
編者:松田達
発行日:2013年3月26日
発行所:岩波書店
サイズ:四六判、308頁
価格:3,780円(税込)

建築家・磯崎新の集大成的著作論集(全8巻)第2巻。
「19世紀以降の都市の変貌を「虚体都市」「不可侵の超都市」など独自の視点で整理し、脱近代の都市像を鮮やかに浮かび上がらせる卓抜な現代文明論、一見均質な近代都市空間が重層的なネットワークの形成で変容し、海に浮かぶ群島の如く、相互に異質な集合体=虚体都市が出現する現代社会の様相を明らかにする。21世紀世界への予見的洞察」。[岩波書店サイトより]


Booklet 21 光源体としての西脇順三郎

発行日:2013年04月17日
発行所:慶応義塾大学アート・センター
サイズ:B5変判、146頁
価格:750円(税込)

大正末年に3年間のイギリス留学から帰国した西脇順三郎について、村野四郎はいみじくも「西脇さんが泰西の新しい詩的思考の匂をぷんぷんさせて、日本におりたった時に、わが国の文芸復興ははじまった」と評している。昭和初年度の西脇順三郎のめざましい活躍は、単に詩や詩論にとどまることなく、ヨーロッパ文学の深い理解のもとに新しい思考のスタイルと感性の変革をもたらした。その感化は言語学や民俗学の領域にも及んでいる。それは恰も、『新論法』(Novum Organum)を著して、イギリスのルネッサンス期に新しい学問の土台を作った、あのベーコンの仕事に匹敵するのではないだろうか。 西脇アーカイヴ発足より一年を経て、今ここに新しい西脇像を多角的に結ぶ。[慶応義塾大学アート・センターサイトより]


3びきのこぶた 〜建築家のばあい〜

著者:スティーブン・グアルナッチャ
翻訳:まきおはるき
発行日:2013年04月
発行所:バナナブックス
サイズ:33×23cm上製、14場面(オールカラー)
価格:1,890円(税込)

おなじみの三匹のこぶたがフランク・ゲーリー、フィリップ・ジョンソン、フランク・ロイド・ライトの3人の建築家であったらどうなるかを描いた絵本。それぞれ、スクラップ、ガラス、石とコンクリートの家が、オオカミに襲われる。家のなかに配置された世界中の有名なデザイナーによる名高い調度品もみどころ。イラストは、スウォッチの腕時計やMoMAのカードのデザインでも活躍するスティーブン・グアルナッチャ。
http://www.transview.co.jp/bananabooks/isbn/9784902930276/top.htm


S-meme 05 SSD 2012 PBL studio01: media

発行:せんだいスクール・オブ・デザイン 発行日:2013年2月24日 サイズ:A5判、76頁

仙台から発信する文化批評誌『S-meme』第5号。前号に引き続き、現代美術がテーマ。受講生それぞれの視点による志賀理江子「螺旋海岸」展のレビューが今回のひとつの柱。また、受講生のひとりが提唱した、仙台から国分町まで四時間かけて歩く試みであるスローウォークがもうひとつの柱になっている。
http://sendaischoolofdesign.jp/



2013/05/15(水)(artscape編集部)

志賀理江子『螺旋海岸 album』

発行所:赤々舎

発行日:2013年3月28日

2012年11月~13年1月にせんだいメディアテークで開催された志賀理江子の個展「螺旋海岸」が、日本の写真表現の行方を左右するような途方もない問題作であることが明らかになりつつある。展覧会の会期中に刊行された『螺旋海岸 notebook』(赤々舎)が、志賀自身の連続レクチャーの記録を中心にした「テキスト編」だとすれば、今回の『螺旋海岸 album』は「作品編」と言うべきものだ。あの等身大以上の木製パネルが斜めに林立する展示会場の衝撃を再現するのはまず無理だが、この写真集も相当に凝った造本である(デザインは森大志郎)。基本的には見開き断ち落としのダイナミックなレイアウトなのだが、同じ写真が何度か違うトリミングで出てきたり、畳み掛けるように同種のイメージが繰り返されたりして揺さぶりをかける。鈴木清がデザイナーの鈴木一誌と組んだ『天幕の街』(1982)や『夢の走り』(1988)の造本を思い起こした。
それにしても、「螺旋海岸」の黒々としたブラックホールのような写真群は、見る者の視線を吸い寄せ、捉えて離さない強烈な引力を備えている。今回特に茫然自失させられたのは、30ページ以上にわたって続く「鏡」と呼ばれる白く塗られた石、石、石の写真だ。闇の奥からぬっと目の前に現われてくるこれらの石は、大きさも出自もまったく不明で、なぜこれらの写真が撮影され、他の写真群を取り囲むように配置されているのかまったくわからない。それでも、名取市北釜の住民たちとともに繰り広げられる儀式めいたパフォーマンスの記録が、これらのっぺらぼうの石たちを「鏡」として、反映・増殖していくプロセスには確かな説得力がある。『螺旋海岸』をどのように読み解いていくのかは、これから先の大きな課題だ。誰かに本気で志賀理江子論に取り組んでほしいのだが。

2013/05/06(月)(飯沢耕太郎)

熊谷晋一郎『リハビリの夜』

著者:熊谷晋一郎
出版社:医学書院
発行日:2009年12月
価格:2,100円(税込)
判型:A5判、264頁


例えばこんな文章が出てくる。
──「これがあるべき動きである」という強固な命令とまなざしをひりひりと感じながら、焦れば焦るほど、その命令から脱線する私の身体の運動がますます露わになっていく。
脳性まひの体とともに生活してきた、小児科医で研究者でもある熊谷晋一郎。少年期に通ったリハビリ施設でのトレイナーとの時間を振り返って綴った一文がこれなのだが、まるでダンスをめぐる文章のように読めてしまう。トレイナーが思い描く理想像を実現しようと努力しながら、それが叶わず、自分の体がバラバラになったかのように感じる。その切なさ、情けなさがとても丁寧な筆致で描かれる。この本の読みごたえがそこにあるのは間違いない。けれど、本書の白眉は、熊谷がトレイナーとトレイニーの関係性を、《まなざし/まなざされる関係》であるとき、《ほどきつつ拾い合う関係》であるとき、《加害/被害関係》であるときとに分けて論じる、その考察の確かさにある。
「自らすすんで私に従え」と告げているかのように、運動目標を押しつけるトレイナーの態度はトレイニーに対して監視的で、トレイナーにまなざされるトレイニーの体はこわばり、自壊する。こうした空しい《まなざし/まなざされる関係》やさらに強引に体の現状を見捨て体を矯正しようとする《加害/被害関係》を回避し、相互的に情報を拾い合うようにトレイナーがトレイニーに介入する状態、つまり《ほどきつつ拾い合う関係》こそ両者の望ましい関係なのではないか、と熊谷は説く。
熊谷の考察は豊かな発見に満ちている。介護という場の問題にとどまらず、ぼくが専門にしているダンスの現場にとっても充分刺激的だ。ナタリー・ポートマンが主演したバレエ映画『ブラック・スワン』に描かれたような、まなざし/まなざされる関係の苛烈さは、ダンスにおけるダンサーと見る者とのあいだに潜む基本的な状態であろう。それはそうとしてそこからさらに、ほどきつつ拾い合う関係というものへと意識を向けるのは、ダンスという枠のなかではなかなか難しい。ダンサーが目指すエリート的な身体ではなく「脳性まひの体」にフォーカスしたがゆえに、熊谷は「ほどきつつ拾い合う」などという関係を解きほぐしえたのではないか。そう思うと、ダンスという場の硬直性に気づかされる。しかし、それ以上に大事なのは、こうした視点の移動が体へ新鮮な向き合い方をうながしてくれる点に気づくことだ。他者にもわかるように自分の体験を内側から語る「当事者研究」という方法を推進してもいる熊谷の狙いは、まさにそうした新鮮な気づきを与えることにあるのだろう。
この本にはもうひとつの大きな魅力がある。「敗北の官能」「退廃的な官能」と熊谷が名づける、不可能性に直面したときに生じる独特の快楽に言及しているところだ。これをマゾヒズムに還元してしまうのは容易いが、トレイナーやボランティアと接して感じさせられる切なさや苦しさが、ある種の官能を喚起させもするということについての具体的で繊細な記述には、文学的な感動さえ受ける。授けられたこの体で生まれて死ぬほかないということは万人に共通の運命なのだ。この運命とどうきちんと向き合って自分の体ととともに生きていくか、その問いに熊谷はひとつの解答を与えてくれている。綾屋紗月との共著『つながりの作法──同じでもなく違うでもなく』もあわせて読むと、熊谷の考えをより深く知ることになるだろう。

2013/04/27(土)(木村覚)