artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
カタログ&ブックス│2014年1月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
人間のための建築──建築資料にみる坂倉準三
2013年11月27日から2014年2月23日まで、国立近現代建築資料館にて開催された、「人間のための建築──建築資料にみる坂倉準三」展図録。坂倉研究所やフランス国立アーカイブ等の協力を得て集められた貴重な資料を全頁カラーで掲載。バイリンガル。第一部:パリ万国博覧会日本館[1937]、第二部:戦前から戦後復興期の作品、第三部:神奈川県立近代美術館[1951]、第四部:日本の都市風景となった作品群。
ドキュメント|14の夕べ||パフォーマンスのあとさき、残りのものたちは身振りを続ける
閉館後の美術館で繰り広げられたアートの饗宴、再び
2012年夏、東京国立近代美術館にて14夕連続で開催された「14の夕べ」。演劇、音楽、ダンス、朗読、美術など多ジャンルに渡る実験的イベントは大きな反響を呼び起こした。本書は「14の夕べ」とは何であったかの記録であると同時に、「記録」の新たな方法論を提示するものである。
主な出演者:谷川俊太郎、福永信、古川日出男、一柳慧、大友良英 one day ensembles、小杉武久、奥村雄樹、東京デスロック、手塚夏子、小林耕平、神村恵カンパニーほか(順不同)
[青幻舎サイトより]
シェアをデザインする──変わるコミュニティ、ビジネス、クリエイションの現場
場所・もの・情報の「共有」で何が変わり、生まれるのか。最前線の起業家やクリエイターが、シェアオフィス、ファブ・ラボ、SNS 活用等、実践を語る。新しいビジネスやイノベーションの条件は、自由な個人がつながり、変化を拒まず、予測できない状況を許容すること。ポスト大量生産&消費時代の柔軟な社会が見えてくる。
[学芸出版社サイトより]
2014/01/15(水)(artscape編集部)
伊坂幸太郎『仙台ぐらし』
発行所:荒蝦夷
発行日:2012/02/18
伊坂幸太郎の『仙台ぐらし』を読む。日常のエッセイ集で、前半は本当に普通のエピソードが多いのだが、震災へのコメントを避けてきた彼としては珍しい当時の記述は、やはり仙台在住ならではの内容だった。スーパーマーケットの開店情報を聞いて行列をするといった些細なことだが、関東圏の作家はこういう震災直後の体験をしていない。巻末の短編小説「ブックモービル」は、ボランティアによる移動図書館の話だが、視覚的にわかりやすい被害のシーンを求める映画監督に噛み付くあたりに地元の視点を読みとれる。
2014/01/13(月)(五十嵐太郎)
黒川創『いつか、この世界で起こっていたこと』
発行所:新潮社
発行日:2012/05/31
黒川創の小説『いつか、この世界で起こっていたこと』を読む。3.11に触れた震災文学のなかでも、相当変わった切り口だった。アメリカのエルビス・プレスリーからロシアのチェーホフまで、あるいはユーゴ、関東大震災のときの鎌倉の津波など、時間と空間を超え、ときには地球の外側から見るような視点さえ導入しつつ、短編をつむぐ。震災を日本の出来事として閉じるのではなく、世界史の断片的な記憶と共振する3.11と言えるだろう。
2014/01/05(日)(五十嵐太郎)
小野啓『NEW TEXT』
発行所:赤々舎
発行日:2013年12月01日
1977年、京都府生まれの小野啓は、立命館大学経済学部を卒業後、2002年頃から現役の高校生のポートレートを撮影し始めた。「大人でも子供でもない年代」の高校生たちに向き合うことで、「人としての根本」を探り出したいと考えたからだ。大学を卒業して社会に出る頃、誰しも自分自身の人間形成の時期だった高校時代が気になってくるものだ。小野はそのナチュラルな気持ちの動きを、写真家としての営みにストレートに結びつけていったということだろう。
それらの写真は「青い光」というタイトルでいくつかの写真コンペに出品され、2006年にはビジュアルアーツフォトアワード大賞を受賞し、同名の写真集として刊行された。だが、小野の撮影はさらに続けられる。途中からは雑誌やフライヤーを使ってモデルを募集して、メールのやりとりで撮影の日取りを決めるようになった。モデルたちの居住範囲も関西エリアだけでなく、全国各地に広がっていく。結局、高校生たちを写した撮影総数は2013年までの11年間で550人にまで増えていた。
小野はそれらをまとめた写真集を刊行しようと考えるが、それには小野自身にも出版社にも大きなリスクがかかる。その問題をクリアーするために2012年から「『NEW TEXT』をつくって届けるためのプロジェクト」を開始した。
5,000円で写真集を予約すると、1冊は手元に届き、もう1冊が全国の図書館や学校など希望する場所に寄贈されるというものだ。参加者が500名を超えて、このプロジェクトの目標は無事達成され、赤々舎から『NEW TEXT』が刊行された。ハードカバー、344ページの堂々たる造本の写真集である(デザインは鈴木成一)。
高校生たちのこの時期にしかない一瞬の輝き(あるいは翳り)を捉えるために小野が用いたのは、決して奇をてらった撮り方ではない。撮影場所を丁寧に選び、6×7判のカラーフィルムで細部までしっかりと画面におさめていく。中間距離の写真が多いが、時にはクローズアップ、逆にやや遠くから撮影する場合もある。「笑わないこと」だけが唯一のルールと言えるだろう。解釈を押しつけるのではなく、写真から何を読み取るのかは読者に委ねるという姿勢が清々しい。小説家の朝井リョウが「全ページが物語の表紙」という言葉を帯に寄せているが、まさに言い得て妙ではないだろうか。
2014/01/05(日)(飯沢耕太郎)
荒木経惟『死小説』
発行日:2013年10月31日
文芸雑誌『新潮』2012年2月号から13年8月号隔月20ページずつ連載されていた荒木経惟の「死小説」が、A5判変型の写真集としてまとめられた。209枚の写真が何のテキストもなくただ並んでいるだけ。それを「小説」と言い張るところがいかにも荒木らしい。
内容的には、これまで荒木が編み続けてきた「日録」的な構成の写真集と同工異曲のものだ。日々の出来事を撮影した写真の合間に、「Kaori」や「人妻エロス」や「バルコニー」などのお馴染みのシリーズが挿入され、新聞やポスターなどの複写が添えられる。前立腺癌の手術など、荒木自身の体調があまりよくなかったことが影響しているのだろうか。カダフィ、三笠宮寛仁、大鵬、サッチャーの訃報記事のような、“死”のイメージが大きく迫り出してきているように思える。それに加えて、連載中は東日本大震災とその後の福島第一原発の大事故の余波が重苦しくのしかかる時期だったことも見逃すわけにはいかないだろう。
このような荒木の写真集を、何冊となく見続けてきたわけだが、それでもなおページを繰るたびに、あらためてその中に引き込まれ、驚きと感嘆を押えられなくなる。おそらく彼自身、あらかじめ物語をこのように進めていこうというような予測や思惑を持って、写真を撮影したり選んだりしているわけではないはずだ。にもかかわらず、ラストの亡き父親の遺影や『往生要集』の地獄絵図などのパートまで、あたかも神の手に導かれるように、よどみなくイメージの流れが続いていく。そこから見えてくるのは、まぎれもなく荒木が「死を生きる」ことを写真家の日常として選びとっているということだ。そのことの凄みを、何度でも味わい尽くすべきだろう。
2013/12/31(火)(飯沢耕太郎)