artscapeレビュー
志賀理江子『螺旋海岸 album』
2013年06月15日号
発行所:赤々舎
発行日:2013年3月28日
2012年11月~13年1月にせんだいメディアテークで開催された志賀理江子の個展「螺旋海岸」が、日本の写真表現の行方を左右するような途方もない問題作であることが明らかになりつつある。展覧会の会期中に刊行された『螺旋海岸 notebook』(赤々舎)が、志賀自身の連続レクチャーの記録を中心にした「テキスト編」だとすれば、今回の『螺旋海岸 album』は「作品編」と言うべきものだ。あの等身大以上の木製パネルが斜めに林立する展示会場の衝撃を再現するのはまず無理だが、この写真集も相当に凝った造本である(デザインは森大志郎)。基本的には見開き断ち落としのダイナミックなレイアウトなのだが、同じ写真が何度か違うトリミングで出てきたり、畳み掛けるように同種のイメージが繰り返されたりして揺さぶりをかける。鈴木清がデザイナーの鈴木一誌と組んだ『天幕の街』(1982)や『夢の走り』(1988)の造本を思い起こした。
それにしても、「螺旋海岸」の黒々としたブラックホールのような写真群は、見る者の視線を吸い寄せ、捉えて離さない強烈な引力を備えている。今回特に茫然自失させられたのは、30ページ以上にわたって続く「鏡」と呼ばれる白く塗られた石、石、石の写真だ。闇の奥からぬっと目の前に現われてくるこれらの石は、大きさも出自もまったく不明で、なぜこれらの写真が撮影され、他の写真群を取り囲むように配置されているのかまったくわからない。それでも、名取市北釜の住民たちとともに繰り広げられる儀式めいたパフォーマンスの記録が、これらのっぺらぼうの石たちを「鏡」として、反映・増殖していくプロセスには確かな説得力がある。『螺旋海岸』をどのように読み解いていくのかは、これから先の大きな課題だ。誰かに本気で志賀理江子論に取り組んでほしいのだが。
2013/05/06(月)(飯沢耕太郎)