artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
おいしい東北パッケージデザイン展 in Tokyo
会期:2015/03/06~2015/03/29
東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]
東北の食品メーカー10社10商品のパッケージデザインを全国のデザイナーから募集し、商品化を目指すプロジェクト。東北経済産業局と日本グラフィックデザイナー協会による企画で、応募作品623点から受賞作品・入選作品の合計270点が展示された。質の高い商品をどのように売っていくのか、どのようにその魅力を伝えていくのかがデザインに求められた課題。メーカー側からは商品の特徴、コンセプトやターゲット、販路などの条件、要望、希望が示され、デザイナー側はそれに応えたデザインを提案する。審査では見た目が優れているだけではなく、現実の販売力を持っていること、制作コストが見合うかどうかが問われている。リンゴのスパークリングジュースやゼリー、たらこや干し芋、ラーメンやふかひれスープなど、商品の性格はさまざまであるが、価格帯や販路を見ると、自家用と言うよりは概ねお土産品であり、土産物店や道の駅、百貨店やスーパーの地方物産展などで販売されることを想定しているようだ。となれば、初見のお客さんの目を惹くこと、商品の特性をよく表わしシズル感があること、同業他社の製品との差別化が求められよう。その点、受賞作のパッケージはその食品の「らしさ」のイメージと、それでいて「新しい」「オリジナル」ということとの間の微妙なバランスの上に成立していることがわかる。審査評を見ると、メーカー側がよいとするデザインに対してデザイナー側の審査員がダメ出しをする場面もあったようで、優れた商品パッケージが生まれるまでのケーススタディとしても興味深く見た。ただし、このプロジェクトは表面的には地方の企業に外部から「ガワのデザイン」を持ち込んでいるように感じられなくもない。審査総評でデザイナーの梅原真氏は「この事業が『善意のデザイン』であってはならない。企業の覚醒のきっかけとなってほしい」と述べているとおり、デザインがどこまで自分たちの商品と一体としてブランドを作りうるかが、企業にとっての本来の課題であろう。コンペでパッケージを選んで終わるのではなく、これから商品をどのように育ててゆくのか、そこまでフォローされると良いのだが。[新川徳彦]
2015/03/17(火)(SYNK)
科学開講!京大コレクションにみる教育事始
会期:2015/03/05~2015/05/23
LIXILギャラリー[東京都]
京都大学総合博物館、京都大学吉田南総合図書館に保存されている歴史的な物理実験機器、教育掛図、生物学地質学関連の模型・標本約100点を通じて、明治期日本における科学教育の姿をひもとく展覧会。京都大学の前身である旧制第三高等学校(三高、1894年/明治27年発足)は、日本で最初の理化学校として1869年/明治2年に大阪に開講した舎密局(せいみきょく)を始まりとしており、科学教育に力を注いでいた。近代化を推進する人材を育てるために、こうした学校はヨーロッパ製の高価な機材を多数購入してきた。京都大学総合博物館にはこうした三高由来の多様な物理実験機器が約600点保存されている。これらの機器は教場の準備室の片隅で長い間埃にまみれて放置されていたという。現在は使われていない機器や、使用方法がわからない装置が多数あるなかで、永平幸雄・大阪経済法科大学教授らは残されている機器の購入記録やメーカーのカタログなどを渉猟し、品名や使用法、購入年、価格、納入業者や製造業者を同定し、機器の歴史的意義を明らかにしてきた。実験機器の詳細を明らかにすることは、三高の教育、黎明期の日本の科学教育の歴史を明らかにすることでもある。本展で個々の機器にわかりやすい解説が付されているのはこの調査研究の成果だ
。とはいえ、学術上の意義とは別に、これらの古い実験機器に独特の美を感じるのは不思議である。特定の実験のみに対応するために単純な構造を有する装置の機能美。真鍮などの金属でつくられた機器の質感と重量感。鉱物や宝石のレプリカ、生物標本、解剖模型、教育掛図も、そのビジュアルがじつに魅力的なのだ。本展を見た人は、東京大学の資料が展示されているインターメディアテクの展示を思い出すと思う。生物学・地質学関連資料が多いインターメディアテクの展示に対して、三高コレクションは物理実験機器が中心。LIXILギャラリーとインターメディアテクは徒歩で10分ほどの距離にあるので、両者を併せて見たい。[新川徳彦]2015/03/12(木)(SYNK)
「クリエイションの未来展」第3回 隈研吾監修「岡博大展──ぎんざ遊映坐 映智をよびつぐ」
会期:2015/03/12~2015/05/23
LIXILギャラリー[東京都]
ギャラリー内部に仮設の映画空間が設えられている。空間の構造体は竹ひご。竹を割ってつくったひごを丸めて終端同士を結束バンドで締めて輪をつくり、三つの輪を重ねてゴムで結ぶと折りたたみ可能な球体ができる。その球体同士を結束バンドで連結して壁面をつくり、布の天蓋を掛けることで組立式の「モバイルシアター」が完成する。空間の設計は隈研吾氏。そして「ぎんざ遊映坐」と名付けられたこのシアターで上映されているのは、映画作家・岡博大氏が撮影を続けている隈氏の仕事。遊映坐とは旅する映画館を意味する。2008年に「湘南遊映坐」を設立した岡氏は、各地で映画祭映画イベントを主催すると同時に、2010年からは建築家・隈研吾氏の日常の仕事を追ったドキュメンタリーを撮影している。隈氏の事務所、プレゼンテーションの場、建設現場にともない、これまでに撮影した映像は200時間に及ぶという。特にプロットがあるわけではない。ただひたすら撮り続ける。海外まで追いかける。驚くのは、これを手弁当で続けていることである。なにが彼をそうさせるのか。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)時代に隈氏に学び、それまでビジネスを目指していた人生の方向を180度変えたという岡博大氏は、隈研吾氏を「諸国を行脚する漂泊の俳人」に、自身を「芭蕉の旅に同行した門人・曾良」になぞらえる。映像は日々の出来事の記録、個々の仕事の記録であると同時に、ひとりの建築家の旅の記録であり、共に仕事をした人々の記録でもあり、岡氏自身の人生の記録でもある。モバイルシアターも映像もまだプロトタイプだが、いずれ各地を遊映し、人と人の出会いの場となり、それぞれの場に映智=映像による叡智の枝を呼び接いでゆくことになるのだろう。[新川徳彦]
2015/03/12(木)(SYNK)
ハル・フォスター『アート建築複合態』(瀧本雅志 訳)
ハル・フォスター『アート建築複合態』(原題:The Art-Architecture Complex, 2011)の邦訳が刊行された。本書は、同著者による『デザインと犯罪』の続編とも言うべきもので、モダニズムとポストモダニズムの二つの事後から現代にわたる「アートと建築の複合」がテーマになっている。そこに流れる問題意識は、絵画/彫刻/建築等の旧来の美術ジャンルの解体にともない、現代建築とアートが境界を融解して、相互に干渉しあうという複合的な状況だ。同書はそこで、建築が決定的な役割を担っていると論じてゆく。著者はまず、60年代のポップアート以降のポストモダンの歴史批評から始める。そしてリチャード・ロジャース、ノーマン・フォスター、レンゾ・ピアノの建築デザインの実践を「グローバル・スタイル」ととらえ、グロピウス、ミース、コルビュジエに相対する三巨匠に数える。次に、美術との接触から活動をスタートさせた建築家たちが扱われる。ザハ・ハディド、ディラー・スコフィディオ+レンフロ、ヘルツォーク&ド・ムーロンである。そのあと、映画・彫刻・インスタレーション等のメディウムの変容について記し、それらが建築の空間に領域を侵入しているという。歴史的な芸術理論の精査と文化批評の深い洞察に裏打ちされた、読者に「読ませる」刺激的な書。[竹内有子]
2015/03/07(土)(SYNK)
志村ふくみ──源泉をたどる
会期:2015/01/17~2015/03/15
アサヒビール大山崎山荘美術館[京都府]
90歳にして現役の染織家・人間国宝である志村ふくみの60年にわたる創作の足跡をたどる展覧会。作家の道に入る契機を与えた母・小野豊とその指導者・上賀茂民藝協団の青田五浪や、工芸家・黒田辰秋、富本憲吉、芹沢銈介らの初期における志村の活動を支えた民藝運動の関係者たちの諸作品を含め、前期と後期を合わせて約90点の資料が展示された。志村の作品でなによりも注目すべきはその色の美しさ。自然の植物から採った材料から絹糸を染め、手機で織りあげる。ガラスケースに並べられた着物作品に対面する鑑賞者は、色彩の世界に没入するような感覚を覚えるだろう。色相の微妙な重なり、グラデーション、滲み、デザイン構成の全てが渾然一体となって視覚に訴えてくる。後期の展示でもっとも印象に残ったのは、《光の湖》(1991、京都国立近代美術館蔵)。その名の通り、フランスの印象派が行なったような、湖面に反射する光の輝きを染織作品に定着させた、作家の精神性を感じさせるポエティックな世界に深く魅了された。[竹内有子]
2015/03/07(土)(SYNK)