artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

「新・博多粋伝。」──織と人形の若いクリエーターたち

会期:2013/08/24~2013/09/08

東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]

後継者の確保と育成。新商品の開発。新市場の開拓。「伝統工芸」はどの地域でもどの製品でも同様の課題に直面していると思われる。つくり手がいなくなってしまっては振興もなにもないので、後継者の育成はもっとも関心が持たれる分野であろう。しかし、後継者不足は商品の魅力、産業の未来が不透明であるためでもあるので、こうした課題は同時に解決していかなければ具体的な姿を描くことは難しい。
 本展は、福岡市伝統的工芸品振興委員会などが主催し、博多の織と人形の、若いつくり手と製品を紹介するもの。すなわち後継者の育成と新商品の開発に焦点をあてている。博多織は鎌倉時代に生まれ、その後、黒田長政が幕府に献上したことから、「献上博多織」の名で知られている。もともとは男性職人が中心であったが、現在は女性が増え、新しいデザインが生まれ、帯ばかりではなく着物の生地もつくられているという。博多人形は誕生して400年余。素焼きの陶器に着彩してつくられる。時代に応じてさまざまな意匠の人形がつくられてきたが、今回の目玉はアニメーション「秘密結社 鷹の爪」とコラボレーションした人形。伝統的な意匠の人形のほか、現代的なモチーフの作品が並んだ。また、九州産業大学との協働によるカジュアルな人形の提案も興味深いものであった。地方の伝統工芸の振興においては、しばしば外部デザイナーによるデザインの導入も見られるが、博多織や博多人形においては、伝統的な技術を学んだ職人の新しい発想に期待しているところが大きいのではないかという印象を受けた。技術と意匠とが不可分であるということも言えようが、ものづくりを維持するだけではなく、博多織・博多人形ならではのアイデンティティを考えるならば、当然の方法であろう。[新川徳彦]


永野繁大《せせらぎ》


九州産業大学《HAKATA DOLLES》

2013/09/06(金)(SYNK)

第91回ニューヨークADC賞入賞作品展

会期:2013/08/31~2013/11/24

印刷博物館 P&Pギャラリー[東京都]

ニューヨークを拠点として、1920年に創立されたアートディレクターズ・クラブが公募する広告賞の第91回目の受賞作品展。海外からの応募も多数あり、日本の広告関係者にとっても重要な賞のひとつである。昨年まではアド・ミュージアム東京で開催されていたが、今年は印刷博物館P&Pギャラリーに会場を移して開催されている。賞は分野別に七つの部門から構成され、ゴールドキューブ、シルバーキューブ、ブロンズキューブのほか、その年のもっとも革新的な作品にはブラックキューブが与えられる。今回の作品展では、ブラックキューブの2作品を含め49点を展示。会場が印刷博物館ということもあり、展示には受賞作品のなかから紙や印刷に関連した作品の比率が高くなっている。気になった作品は、ガリ版刷りの《2011年手づくりカレンダー》(アイルクリエイティブ)、プリントゴッコによる《白馬村観光局ポスター》(新村則人デザイン事務所)、レーザーカッターで海苔に和の文様を切り抜いた《Design NORI(デザイン海苔)》(I&S BBDO)など、手触りを感じる作品。ロッカールームは受賞作品のひとつ、《マスキングテープ「mt」》で装飾されている。展覧会を担当した印刷博物館の本田真紀子学芸員によれば、パネル展示にとどまることなく、できるかぎり実物で見せられるものを集めたとのことである。ところで、第91回ニューヨークADC賞の受賞決定は1年以上前の2012年4月、受賞作品の制作は2年以上前である。展覧会企画者の都合ではどうにもならないことだとは思うが、作品の鮮度を考えると、このタイムラグがもう少し短くなると良いのだが。[新川徳彦]

2013/08/30(金)(SYNK)

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紙とグラフィックデザイン──八木保の選択眼

会期:2013/07/10~2013/08/30

見本帖本店[東京都]

1984年にアパレルメーカー・エスプリ(ESPRIT)の仕事のために渡米して以来、ロサンゼルスを拠点に活動しているグラフィックデザイナー・八木保。7年以上にわたってエスプリのディレクターを務めた後、1991年に独立。ベネトンの香水瓶TRIBUのデザインは、19994年のクリオ・アワードを受賞。アップルストアのデザインコンセプトや携帯端末パームのパッケージデザイン、日本ではアパレルブランドUNTITLEDのデザインコンセプト、INDIVIのロゴなどの仕事を手掛けている。今回の展覧会では、2011年に刊行された『八木保の選択眼──The Graphic Eye of Tamotsu Yagi』(ADP、2011)をベースに、彼の仕事、そして紙を中心にデザインのイメージソースとなったさまざまなオブジェが紹介されている。ロール紙に連続出力した書籍『八木保の選択眼』を展示台にしつらえ、書籍に掲載されたオブジェや製品、パッケージの実物、本人によるコメントが配置されている。クライアントへのプレゼンテーションのためのカラー・サンプル(色見本ではなく、植物の葉や卵の殻など!)、倉俣史朗による椅子のスケッチ(倉俣が気に入らなくて捨てたものをもらったという)、倉俣が手がけたバー・オブローモフで使われていたテーブルの脚(!)、ボディウェアメーカー・ダンスキンのためのワイヤーマネキン、請求書などの封筒の「内側」のコレクション、バスチケットなどの紙モノのコレクション等々が、八木保の人と仕事とを雄弁に語っていた。[新川徳彦]


展示風景

2013/08/29(木)(SYNK)

レイ・リケット バッグ展──BAG, ALL RIGHT!(バッグ、オーライ!)

会期:2013/07/17~2013/08/25

世田谷文化生活情報センター:生活工房[東京都]

ビジネス向けのバッグには、機能にフォーカスしたものが多い。ここにはケータイ。ここには財布。ここに手帖とペン。ここにファイル。ここに新聞とビジネス誌……。分類性と使い勝手の良さが最大限にアピールされる。これに対して女性が結婚式やパーティの場で持つバッグはなんなのだろう。ほとんど何も入らない小さなバッグ。はたしてあれをわざわざ持つ必要はあるのだろうか、ということは機能主義者にとっての積年の謎なのである。実際のところ、あれはアクセサリーである。ネックレスやピアス、ブレスレットと同様に、手元を飾る装飾品なのである。進化の過程で何かを入れて運ぶという機能の名残はあるものの、何かを入れるという視点で選ばれることはない、バッグに似た何かなのである。とはいえ、機能性で選ばれると考えられるビジネスバッグも「できる俺」を演出するための小道具であったりもする。バッグは機能と装飾とのあいだでつねにバランスを取りながらデザインされ、消費されているのだ。
 バッグ作家レイ・リケットのバッグは、機能や装飾をさらに突き抜けたところにある。コンセプトは「ハンカチとお財布が入るアート」。持ち手があり、蓋をあければ収納スペースがあるので、バッグとしての条件は満たしている。しかし、「こういうバッグが欲しかったの」といって巡り会うバッグとは思えない。たとえば、世界旅行をテーマにしたバッグのひとつはナイアガラの滝。大瀑布が青い色のビーズで表わされている。蓋にピラミッド、ロックがファラオのヒゲになっているエジプト観光のバッグもある。氷山とシロクマが載ったバッグの蓋から溢れる海水は地球温暖化をイメージしているのだろうか。金色のバッグに赤い花びらがしつらえてあると思ったら、じつはカルビ肉の韓国焼き肉バッグであったり。名画シリーズで秀逸なのは、岸田劉生の《麗子像》の頭部をモチーフにしたバッグだろう。持ち方によっては普通の黒い丸いバッグに見えるが、くるりと向きを変えると「でろり」とした麗子の顔が現われる。反原発をテーマにしたバッグのシニカルなデザインもすばらしい。ファッションモデルのようなポーズの女性の姿がトートに刺繍されているが、彼女がまとっているのは放射能防護服とマスク。あるいはヨーロッパ各国の言葉が刺繍されたバッグがある。一見したところはただのお洒落なデザインのバッグなのだが、よく見るとそこに書かれているのは原発撤廃や民族差別反対、資本主義風刺のメッセージである。たいていのアートは、それが展示されている場に行かなければ見ることができないが、彼女のバッグは「持ち運べるアート」。もちろんあくまでもバッグなので、街にも、電車の中にも、カフェにも持って出かけることができる。それでいながらメッセージをユーモアに包んでさりげなく、かつ効果的に伝えるコミュニケーション装置でもあるのだ。[新川徳彦]

2013/08/24(土)(SYNK)

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ふくいの面とまつり

会期:2013/07/19~2013/09/01

福井県立歴史博物館[福井県]

現在でも福井県では各地に面を用いる祭が種々残っており、人々に親しまれているという。白山信仰が盛んであったことから信仰に関わる寺社で猿楽などが演じられてきたこと、また越前の戦国大名であった朝倉氏が芸能を保護してきたことが、よい面がつくられてきた背景にある。本展ではそうした福井の祭と面の関係を三つに分けて紹介している。
 第一は「面、神となる」。面は本来人がそれを付けて神を演じたりするものであるが、地域によっては祭や芸能が廃れて面のみが残され、いつのまにか面そのものが神として奉られる場合がある。ここではこのように神となった面が紹介される。第二は「人、神となる」。神楽を中心に、現在も祭で用いられている面が紹介されているほか、ビデオ映像で各地の祭で演じられる面の姿を見ることができる。南越前町の妙泰寺で開催される七福神祭の面と衣裳を着せたマネキンは、人が面をつけて神になることのイメージを十分に伝えている。その迫力は、実際に人が面を着けている姿を見たら、小さな子どもたちは逃げ出すかも知れないほどである。第三は「人、演じる」。本来は神への奉納として面を着けて演じられた芸能は、見る者、演じる者たちにとっての娯楽ともなる。ここではそうした楽しみへと変化した芸能の例として、福井県指定無形民俗文化財の「馬鹿ばやし」が紹介されている。
 面を主題におくことで、形として残りにくい祭の姿やその変化をわかりやすく解説する好企画。紹介されている面の多くは現在行なわれている祭のなかで用いられているものである。面を使った祭が残る地域、廃れて面のみが残った地域、娯楽へと姿を変えた地域は、いずれも同時に存在している。地域による祭の姿の違いは、それぞれの地域の共同体のあり方の変化に大きく影響されてきたのである。祭がそこで暮らしている人々とともに変化を続ける生きた存在であることが示されている点がとても印象に残った。[新川徳彦]

2013/08/21(水)(SYNK)