artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

野口久光 シネマグラフィックス展──黄金期のヨーロッパ映画ポスター展

会期:2012/04/28~2012/06/24

うらわ美術館[埼玉県]

1930年代から1950年代ごろまで、フランス映画を中心に数々の洋画のポスターを手掛けた野口久光(1909-1994)の作品展。1,000点におよぶ作品のなかから、約60点のポスター、その他の資料を展示する。展覧会を企画した根本隆一郎によれば、野口以前の洋画ポスターは「江戸時代からの広告媒体である『引札』や『役者絵』の流れを踏襲したようなものが多く、絵も描かれている人物の表情もタイトル文字も色調がどぎつく、ポスターの構図も作品の内容が異なっていても一定のお約束事のなかで処理され、パターン化されていた」という。ここにヨーロッパ調の色彩と表現、魅力的なレタリングで新風を吹き込んだのが、野口のポスターであった。
 会場にはフランスで制作されたオリジナルの映画ポスターも数点展示されていた。デザインとして表面的にはどちらが優れているとは言いがたいが、野口のポスターをこれらとを比較して感じるのは、作品に対する野口の深い理解と愛情である。野口は美校時代は映画研究部に所属し毎日のように映画館に通い、自主制作映画にも関わり、戦後しばらくは新東宝で映画のプロデュースも手掛けていた。また戦前から映画、ジャズ、ミュージカルの評論家でもあった。そんな野口にとって、作品の本質を見出す作業は日常だったのだろう。ストーリーのなかから名場面を抽出し、一枚のポスターに再構成する。モノクロの映像を色彩豊かな画面に置き換える。ポスターの制作には、だいたい2週間ほどの制作期間が与えられたというが、実際にはタイトルが決まらない、変更になるなど、1週間ほどで描かなくてはならかったとのこと。時間を節約するために活字を使わず、タイトルばかりか、監督や出演者名など細かい部分までをも描き文字で処理した。その勢いがまた野口のポスターに独特の雰囲気を生み出している。出品作は印刷されたポスターが中心で、『旅情』(1964)の一点のみが原画と合わせて展示されている。それを見ればわかるが、印刷されたポスターには一行のみ活字が追加されていることを除けば、人物も背景も描き文字も、すべてが一枚の紙の上で完結されている。優れた構成力である。ほかにも原画が残っているならば、ぜひとも見せて欲しかった。[新川徳彦]

2012/05/31(木)(SYNK)

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増田セバスチャンが見つけた「もうひとつの内藤ルネ」展──Roots of “カワイイ”

会期:2012/05/17~2012/06/04

PARCO MUSEUM[東京都]

現代日本の「カワイイ」カルチャーの第一人者とされる増田セバスチャンがセレクトする内藤ルネ(1932-2007)の世界。ここには『ジュニアそれいゆ』などの少女雑誌で活躍していたころの作品や、「ルネパンダ」などのファンシー・グッズはほとんどない。焦点を当てられているのは、「カワイイ」という表現の背後にある精神性である。作品に年代が記されていないが、おそらく1960年代半ばから2000年代はじめにかけてのものだろうか。4つのコンセプト──「アヴァンギャルド」「フェアリーテール」「ファッショナブル」「セクシャリティ」──で分けられた部屋に飾られた作品は、ただ目が大きく、お洒落で明るいキャラクターではない。ただ小さく、守りたくなるような愛らしさでもない。少女や少年の瞳はときに愁いをたたえ、ときに強い意志の存在を表わす。少女雑誌の付録やファンシー・グッズで人気を博したルネを陽とすれば、ここに選ばれたルネの作品は陰といえるかもしれない。増田セバスチャンのセレクションは、ルネが生み出した「カワイイ」には、このようなふたつの側面が存在していたことを指摘する。だから「もうひとつの内藤ルネ」なのだ。[新川徳彦]

2012/05/17(木)(SYNK)

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報道写真とデザインの父 名取洋之助 日本工房と名取学校

会期:2012/04/27~2012/06/26

日比谷図書文化館 IF特別展示室[東京都]

名取洋之助は写真家、編集者、プロデューサーと多面的な顔を持つ人物であり、その活動も一筋縄では捉え切れない。たしかに戦前の海外向け日本文化広報誌『NIPPON』や、1950年代に全286冊を刊行した「岩波写真文庫」など、輝かしい業績を残したが、一方では対中戦争における宣伝・謀略活動への関与や、わずか2年あまりしか続かず大失敗に終わった『週刊サンニュース』(1947~49)の刊行など、ネガティブな側面もないわけでもなかった。性格的にも、明るく派手好みでありながら、感情の起伏が激しく、怨みや妬みを買うことも多かったようだ。
今回の「報道写真とデザインの父 名取洋之助 日本工房と名取学校」に展示された作品・資料もなんとも雑駁に広がっていて、名取の仕事のとりとめのなさをよく示している。だが、その1点1点に目を向ければ、細部まで手を抜かずに仕上げられたクオリティの高さは驚くべきもので、まぎれもなく名取の優れた才能と美意識の産物であることがよくわかる。『NIPPON』のデザインやレイアウトなどは、当時の日本の水準をはるかに超えており、ヨーロッパの出版物と肩を並べる(時にはそれすら凌駕する)レベルに達している。
むしろ名取洋之助という希有な存在は、一個人としてよりは、1930~60年代の日本の写真家、デザイナー、編集者たちのネットワークの結節点(ハブ)、として捉えるべきなのではないだろうか。その意味で「日本工房と名取学校」という本展の副題は的を射ている。土門拳、藤本四八、三木淳、長野重一(以上写真家)、亀倉雄策、山名文夫、河野鷹思、熊田五郎(以上デザイナー)──綺羅星のように並ぶ若き俊英が、「名取学校」からその才能を開花させていく。その様はまさに壮観と言うしかない。

2012/05/15(火)(飯沢耕太郎)

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大正から始まった日本のkawaii(カワイイ)展──ファンシーグッズを中心に

会期:2012/04/05~2012/07/01

弥生美術館[東京都]

日本独特の文化であるといわれる「かわいい」。そのの起源はどこにあるのだろうか。四方田犬彦『「かわいい」論』(ちくま新書、2006)によれば、「かわいい」の源流は11世紀初頭の『枕草子』にまで遡ることができるという。ただし、ここで主に論じられているのは受け手の完成から見た「かわいい」の歴史である。
 それでは、ファンシー・グッズやアニメに現われる「かわいい」キャラクターの起源はどこに求められるのであろうか。弥生美術館で開催されている本展はいわゆるファンシー・グッズに焦点を当てて、その系譜をたどる。ここでは、大正3年に竹久夢二が開いた「港屋絵草紙店」をファンシー・グッズの元祖とする。夢二の店では、千代紙、封筒、半襟、うちわ、浴衣等々を扱い、若い女性であふれていたという。ファンシー・グッズにとってなによりも重要であったのは、西洋の様式や、異国情緒であった。千代紙などの女性向けの紙製品は以前から存在していたものの、そこには友禅模様や千鳥など日本古来の文様が用いられていた。それに対して、夢二は西洋のカードや書物からヒントを得て、紅天狗茸のようなモチーフ[図1]や、アール・ヌーヴォー様式のデザインを商品に取り入れたのである。小林かいちの絵葉書や絵封筒にはモダンな画風や薔薇の花といったモチーフが現われ、高畠華宵が描く少女の服にはハート模様や鈴蘭があしらわれた[図2]。戦後、女性向けの雑誌『それいゆ』『ひまわり』『ジュニアそれいゆ』を主宰した中原淳一のひまわり社が開いた小物や雑貨を扱う店は少女たちで賑わったというが、扱われた商品も、そのデザインも非日本的、非日常的なものであった。内藤ルネはヨーロッパのモードを取り入れた少女を描き[図3]、パンダをいち早く日本に紹介している。ハワイに遊学した水森亜土は、フラダンスを踊る女の子など、明るくセクシーなイラストで少女たちを魅了した。ハローキティはロンドン生まれという設定である。ファンシー・グッズ、「かわいい」キャラクターの歴史は、この100年間の日本人にとっての異国イメージ変遷の歴史ととらえることもできよう。

1──竹久夢二《木版千代紙》、大正3~5年、港屋

2──高畠華宵《便箋表紙》、大正末~昭和初年代
3──内藤ルネ《マスコット・バッグ》(『少女ブック』昭和37年4月付録)

ファンシー・グッズをテーマにすることは、つくり手と同時に使い手に焦点を当てることでもある。本展では大正生まれから平成生まれまでの女性たちのファンシー・グッズについての証言をパネル展示することで、時代の感覚、空気を振りかえる。展覧会図録は書籍として出版されており、書店で入手可能である(『日本の「かわいい」図鑑』河出書房新社、2012[図4])。日本発の文化である「かわいい」が世界の注目を集め、「kawaii」が世界共通語となりつつある今、その起源と本質をていねいに探る好企画である。[新川徳彦]

4──『日本の「かわいい」図鑑』(河出書房新社、2012)

2012/05/14(月)(SYNK)

今和次郎 採集講義──考現学の今

会期:2012/04/26~2012/06/19

国立民族学博物館[大阪府]

建築家で、考現学の創始者として知られる、今和次郎(1888-1973)のユニークな活動を概観する展覧会。今が残したスケッチ、写真、建築やデザイン図面などが紹介されている。今は、昭和初期の急速に都市化していく東京の様子や人々を観察し記録する(考現学)一方、民家研究の分野においても重要な業績を残している。さらに、農村住宅改善案の設計や住宅・共同作業場の設計などにも携わった建築家でもあった。「私はつくづく、自分はいま現在のこと、人々が働き、楽しみ、いろいろくふうをこらしているさまに興味をもつ性格だったのだと思う。だからこそ震災後の焼け跡に、つぎつぎと仮小屋がたてられ、人々が焼け落ちた過去のなかから新しい生活をたてなおす姿をみて、ほんとうに感動できたのだし、考現─いまを考え、未来をつくることの必要を痛感したのであったと思う」と今はいう★1。彼の活動の本質を表わす言葉ではないかと思った。[金相美]
★1──本展カタログ『今和次郎 採集講義』(青幻舎、2011)。

2012/05/13(日)(SYNK)

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