artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
生誕110周年記念:ウォルト・ディズニー展
会期:2012/07/20~2012/08/12
美術館「えき」KYOTO[京都府]
1937年《白雪姫》、1940年《ファンタジア》《ピノキオ》、1941年《ダンボ》、1942年《バンビ》……。数々の作品とそれらが制作された年代を見て感じたのは、「これでは日本が戦争に勝てるわけがない」。第二次世界大戦に向かう時期に、カラーの長編アニメーションをつくるための企画を立て、資金と人を集め、それを実現させる。戦後はアニメーション制作をプロデュースするほか、ディズニー・ランド、ディズニー・ワールドの建設により、人々に夢を売るビジネスを成功させる。ウォルト・ディズニーの才能と、それを受け入れたアメリカの底力とが改めて印象に残った展覧会であった。展示のテーマは夢と希望の実現。ウォルト・ディズニー(1901-1966)の生涯を作品、解説パネル、セル画、文書などの資料、映像によって辿る。夏休みの子ども向け企画かと思ってさほど期待していなかったが、そうではなかった。すべてを一通りみるだけでも2時間近くかかるほど充実した内容で、とくに大学生や若いビジネス・パーソンにオススメする。ディズニーが好きな人も嫌いな人も、ウォルトの人生には学ぶところがたくさんあると思う。ただし、物足りない部分もないわけではない。初期の試行錯誤を除けば、ウォルトの夢はすべて実現され、彼の人生にはなんの困難も挫折もなかったかのように描かれている。また、家族の絆はたびたび強調されているが、弟ウォルトの夢の実現を経営面から支え続けた兄ロイ・ディズニーにはほとんど触れられていない。ウォルトや彼のビジネスの全貌を知るには、他の文献茨城県天心記念五浦美術館(北茨城市、2012年8月18日~10月8日)、松坂屋美術館(名古屋市、2012年12月15日~2013年1月20日)、パラミタミュージアム(四日市市、2013年2月1日~3月31日)。[新川徳彦]
2012/07/28(土)(SYNK)
京都工芸繊維大学美術工芸資料館における杉田禾堂の作品展示
会期:2012/07/17~2012/09/07
京都工芸繊維大学美術工芸資料館[京都府]
京都工芸繊維大学はその母体のひとつである京都高等工芸学校創立時(1902)から内外の美術工芸資料を収集しており、現在、その稀有なコレクションは1980年に学内にオープンした美術工芸資料館で保存・展示されている。膨大な所蔵品には知られざる貴重な資料も多数含まれる。2012年9月7日まで展示されている金工家・杉田禾堂の指導による昭和初期の産業工業品もそのひとつだ。
灰皿や花器、ブックエンド等の展示品は、杉田が大阪府工業奨励館工芸産業奨励部長の職にあった折、彼の指導のもとに製作された試作品である。その一部は、デザイン史家・宮島久雄の調査により、1935年の「近畿聯合輸出向工芸試作品展」および「商工省第3回輸出工芸展覧会」に出品されたものと推察されている。つまり、これらは輸出促進の国策の一環として海外市場向けに試作されたものなのだ。なるほど、和製アール・デコや構成派とも形容できるフォルムに蒔絵等、日本の伝統技法が組み合わされているところは、輸出用としての意図を強く感じさせるだろう。喫煙具が多数を占めるのも欧米市場を意識したためと考えられている。
最終的に、これらの試作品は実際に生産されることなく試作品の段階で終わったのだが、もし、欧米に輸出されていたら、どのように受容されたのか、想像がふくらむ。また、昭和初期の日本国内においてはこの種の洋風のプロダクトの需要はほとんどなかったが、杉田自身は、「今後は国内にも洋風のものが採り入れられる」と考えていたようだ。それゆえ、これらはたんに欧米人の好みにおもねった品々というよりは、日本の生活デザインの質を高めようとする杉田の気骨に溢れたものとみなすこともできるかもしれない。いずれにせよ、近代化と富国強兵が進む時代の日本にあって、これらの試作品が、現在「プロダクト・デザイン」と称されるものを取り巻いていた当時の状況の一側面を伝えるものであることは確かだ。京都工芸繊維大学美術工芸資料館ではこの常設展示とともに、企画展示として「創造のプロセス 想像力のありか──京都工芸繊維大学教員作品展」を9月7日まで開催中であり、そちらも充実の内容である。[橋本啓子]
2012/07/21(土)(SYNK)
タイポロジック2012
会期:2012/07/06~2012/08/10
竹尾 見本帖本店[東京都]
文字を素材になにができるのか。どのような表現が可能なのか。「タイポロジック2012」展は、タイポグラフィの現在をデザインとアートの両面から紹介する展覧会。2009年に大手町のSPACE NIOで開催された第1回の展覧会から3年ぶり、2回目の開催である。前回からずいぶんと間が開いたが、実験的な試みが中心ということを考えれば、このぐらいの頻度が妥当なのかもしれない。学生作品も含めて、30点ほどの作品が展示されている。欧文をモチーフにした作品と、和文をモチーフにした作品とが半々ぐらいであろうか。
大日本タイポ組合「ア°クリル(アクリルアニマル)」は、動物の名前を英語で綴ったアクリル板を上下逆さにするとその動物の形になっている。表音文字であるアルファベットが単語になったときに、その形が意味を持つという仕掛けが面白い。インタラクションな試みとしては、三戸美奈子+清水裕子「Inter-Action」。カリグラフィでアルファベットが書かれた板紙を、来場者が自由に並べ替え、そのなかから言葉が浮かび上がってくる。小さな会場ではその面白さが十分に発揮されていなかったのが残念である。安永紗也子「有機タイポ」は、文字を組み合わせていくと文字と文字のあいだに木漏れ日のような空間が生まれるもの。ポジとネガとそれぞれが異なる意味を持つ点で「ルビンの壺」のようであるが、選んだ文字の組み合わせによって現われる形が変わる点が秀逸。松田マイケ直穂「Across the Univers」はアドリアン・フルティガーの書体ユニバースをダンスのステップの軌跡で表現する。身体全体を使って表現するアルファベットはよくあるが、ステップのみというのは新しいのではないか。
鹿又亘平「いろは」は、日本語がもともと横書きの言語であったら、という発想でつくられたひらがなの「筆記体」。同じコンセプトで漢字をつくることもできるだろうか。ヨアヒム・ミュラー=ランセイ「東西文字遊び」は、アルファベットと日本語との融合させた文字や、複数の仮名を組み合わせて「漢字のようなもの」を作りだした楽しい作品である。伊東友子「タイピングによるギャル文字(枕草子)」はタイトルの通り、一部の「ゎヵゝм○σt=ち(わかものたち)」のあいだで用いられる例の文字表現を素材に枕草子を綴る。いっそ原典ではなく桃尻語訳を素材にしてもよかったかもしれない。仮名文字は漢字から音だけを取り出し、漢字の形を解体していって出来上がったものということを考えれば、ギャル文字は日本語の正統的な進化の線上にあるのではないか、と(少しばかり)思った。[新川徳彦]
2012/07/20(金)(SYNK)
アン・グットマンとゲオルグ・ハレンスレーベンの世界──リサとガスパール&ペネロペ展
会期:2012/07/14~2012/08/26
明石市立文化博物館[兵庫県]
フランス在住の絵本作家アン・グットマンとゲオルグ・ハンスレーベンが生み出した絵本『リサとガスパール』と『ペネロペ』の原画展。油彩による原画は、鮮やかな色彩と繊細な筆づかいをあますところなく伝える。観ているうちに、絵本の原画というより絵画作品を鑑賞しているような感覚を覚えた。不思議なのは、キャラクターたちがぬいぐるみのように図式化されて、その表情が意図的に排除された造形でありながら、どこか人間くささを感じさせることだ。展覧会チラシによれば、『リサとガスパール』は「犬でもうさぎでもない不思議ないきもの」とあり、そうしたなににも分類しがたい曖昧さは、作者自身の意図するところであるのかもしれない。不思議なキャラクターたちは、印象派風のスタイルとフォーヴィスムの絵画を想わせる色彩に溢れたパリの日常風景にすんなり溶け込んでいる。その風景もまた、実際のリアルな風景と絵本のヴァーチャル世界のあいだを行き来するものであるかに思える。本展には絵本原画のほかに、作家が使用したパレットや絵具、仕掛けのある絵本のための指示書なども出品されており、絵本の発想やプロセスの一端がわかって面白い。[橋本啓子]
2012/07/19(木)(SYNK)
奇っ怪紳士!怪獣博士! 大伴昌司の大図解 展
会期:2012/07/06~2012/09/30
弥生美術館[東京都]
大伴昌司とは何者であったのか。さまざまな分野で才能を発揮したこと。自分について多くを語らなかったこと。そのうえ、彼は「何者か」になる前に、36歳の若さで逝ってしまった。知人、友人、仕事を共にした人々の証言にも、いったい彼は何者だったのかという疑問が繰り返されている
多彩な仕事のなかでも人々に大きなインパクトを与えたのは、昭和40年代の『少年マガジン』誌で展開された大図解シリーズであろう。端緒は怪獣だった。テレビ番組「ウルトラマン」に登場する怪獣たちが、どのような能力を持っているのか、なぜ火を噴いたり超音波を発したりできるのか。大伴は空想上の存在である怪獣を、あたかも実在の生物や機械であるかように徹底的な図解を試みた。怪獣のほかにも、特撮映画に登場する基地や乗り物なども解剖されたが、それらが必ずしも公式の設定ではなく、大伴とイラストレーターたちによって生み出されたオリジナルな世界であるという点には驚嘆させられる。ただし、大伴にとっては空想の世界も現実の世界も、たいして区別はなかったようだ。大伴が『少年マガジン』の巻頭で展開したテーマにはSF的な未来像も描かれれば、地方の伝説も取り上げられている。また、「大空港」や「深夜ラジオ」といったテーマは、現実社会の裏方を豊富な写真で紹介する企画である。こうした彼の仕事のなかに一貫性を見出すとすれば、第一に二次創作が挙げられる。すなわち、彼はすでに存在するものの周辺に独自のストーリーを付け加え、オリジナルの世界をいわば勝手に拡張していった。大伴昌司が元祖オタクとも呼ばれる所以である。もうひとつはビジュアル・ジャーナリズムである。『マガジン』で展開した手法を大伴は「テレビの印刷媒体化されたもの」と語っている。彼にとってイラストや写真はブラウン管の映像であり、テキストは音声、ナレーションであった。大図解とはテレビ的表現を雑誌メディアに置き換えるという実験的手法であった。
大伴昌司の新しさはどこにあったのだろうか。SF作家たちは空想の世界にリアリティを持たせるため、さまざまな事象が合理的に見えるように説明しようと腐心してきた。現実の生物や機械などを図解する手法は古くから存在した。怪獣は大伴の創造物ではない。大伴は多数のスケッチを残したが、誌面で使用する絵を描いたわけではない。大伴が写真を撮ったわけでもない。となれば、大伴はさまざまな人々の仕事を結びつけたに過ぎないという言いかたもできるかもしれない。しかし、大伴が取り上げたようなテーマを、大伴が行なったような手法で展開した者はそれまでにはいなかった。雑誌メディアに途を切りひらき、のちの人々のために新たな表現手法を残したという点において、大伴昌司は天才的な編集者、プランナーであったのだ。
大伴昌司による多数のスケッチのほか、横尾忠則、みうらじゅんらが寄稿している図録 は同時代の文化を知る資料としても貴重である。[新川徳彦]
2012/07/18(水)(SYNK)