artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
東京ミッドタウン・デザインハブ5周年記念/第33回企画展「信じられるデザイン」展
会期:2012/03/30~2012/06/17
東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]
「信じられるデザインとはどのようなものでしょうか? そのデザインはなぜ信用できるのでしょうか?」という問いにデザイナー、建築家、写真家など51名のクリエーターたちが回答を寄せる。会場には回答が貼られたパネルが並ぶ、読むデザイン展である。クリエーターたちが挙げるデザイン、その理由はさまざまである。水銀の体温計にモノの実体を見る人もいれば、オムロンのデジタル体温計に信頼を感じる人もいる。めし茶碗のように、古くから人の生活とともに存在し、人の手足の延長のように用いられてきたデザインも挙げられていれば、ウォシュレットのようにモノの側から人々の生活に寄り添うことで徐々に信頼を獲得していったプロダクトもある。新幹線のシステムを挙げた人が二人いたが、これも安全運行の歴史の上に形成された信頼であろう。
「信じられるデザイン」を疑う回答者もいる。「「信じる」かどうかは、受け手の側(あるいは使う側)の主体的な問題です。デザインそのものに本質論的に「信じられる」ものがあるとは思いません」(田中正之)。「信用はあくまで結果であって、それを逆算しようとすれば何かを間違えることになる」(服部一成)。佐藤卓は「現代のデザインは、基本的に信用できない」としつつも、信頼できるものとしてトイレのサインを挙げる。男女のシルエットは「見つけた時には疑う余地なく身体が向かう」デザイン。「本当に信用できるデザインなんて、人が極限状態に至らないとわからないもの」なのである。会場の最後には空白のパネルが置かれている。「あなたにとって『信じられるデザイン』とは何ですか?」[新川徳彦]
2012/05/12(土)(SYNK)
ヨーロピアン・モード──ドレスに見るプリント・デザイン
会期:2012/04/12~2012/06/02
文化学園服飾博物館[東京都]
毎年この時期に開催されている学生向けの服飾史入門の企画。2階展示室では、18世紀ロココの時代から1970年代まで、200年にわたる欧米のモードの歴史をたどる。ドレス等の実物が展示されているばかりではなく、同時代の社会的背景が合わせて解説されており、様式や素材が変化した理由もわかりやすい。1階展示室では、ヨーロッパにおけるプリント・デザインの変遷が特集されている。ここでは、新しい技術が旧来の技術を置き換えるプロセスと、技術の変化が表現に与えた影響とを見ることができる。
すなわち、インド製品の模倣から始まったヨーロッパのプリント技術は、当初の木版から銅版に変わり、それによってより細かい表現が可能になると同時に、一度により大きな面積をプリントできるようになった。細かい図柄がプリントできるようになったことで、文様にはインド更紗の模倣ばかりではなく、織物の文様表現を模したプリントも現われる。銅版はローラー・シリンダーによる連続プリントへと発展し、さらに生産性を高めた。初期のローラーでプリントできるのは単色のみで、木版との組み合わせによって多色印刷が行なわれていたが、19世紀後半にはローラーのみで多色印刷が可能になり、量産と同時に多彩な文様の表現も可能になる。20世紀に入ると、シルクスクリーンの発達により絵画的な表現も可能になり、モードの担い手が若者に移った1960年代以降は安価なプリントが多用され、ファッションの大量生産・大量消費をうながしてゆくことになる。
技術が先にあるのか、はたまたモードのニーズが先にあるのか、「鶏と卵」のような関係ではあるが、いずれの段階でもプリント技術は外国からの輸入品や旧来の製品・技術を代替するかたちで発達してきた点に着目すれば、モードは技術革新を引き起こす原動力であり、他方で技術はモードの大衆化への推進力である、と言えようか。[新川徳彦]
2012/05/11(金)(SYNK)
勝正光が作品を携えて、別府から神戸に船でやって来た。──神戸での制作と展示とまち歩き
会期:2012/05/10~2012/05/15
GALLERY 301[兵庫県]
鉛筆によるドローイングを手がける勝正光の個展。1981年生まれの勝は大学卒業後、東京で活動していたが、2009年に別府で開催された「わくわく混浴アパートメント」への参加を機に同地に移り住んだ。今回の神戸での個展は、別府で勝に出会った神戸大学大学院国際文化学研究科の学生が企画したもの。出品作からはアートで結ばれた心と心の交流が伝わってきた。
それをもっとも象徴するのは、天井から無造作につり下げられた単語帳だろう。めくってみるとカードの一枚一枚に街角のスケッチ。さらには、側の机の上にも多数の単語帳──これは、展覧会に先立って行なわれた神戸の「まち歩き」の成果だ。勝と参加者たちは、2日間にわたり単語帳と6Bの鉛筆を手に長田や元町の路地を歩いてスケッチした。ぶら下がっているのは勝の単語帳、机の上にあるのは参加者たちの単語帳だ。描きなれない絵を描くことに最初は躊躇した参加者も、まち歩きが進むにつれ、スケッチに熱中し始めたという。勝は自らの制作スタイルを「自分の体を通して向き合えた姿勢そのものを鉛筆と紙で落とし込む」と述べるが、机の上の単語帳はまさに、言語ではなく黒鉛の線で街のイメージを表わす行為が、戸惑いから喜びへと変わる瞬間をとらえている。
実際、鉛筆と紙は、勝の身体そのものというべきかもしれない。本展には旧作も展示されたが、四角い紙の表面を筆触の跡形もなく鉛筆で丹念に塗りつぶした初期の作品は、紙という支持体によって、やっとのこと黒鉛がその薄氷のような身体を持ちこたえるかのようだ。鈍色の平面はやがて、スカーフの柄の輪郭線などを内部に刻み込むことになるが、これもまた、黒鉛でできたレースを想わせる。
対照的なのは、写真をもとに人物を描いた近作であるが、これは、別府で出会った人々に思い出の写真を見せられたことがきっかけで始められたという。「写真を描くことでその人の思いに寄り添えることに気づいた」と勝は語る。ここでも、写真のイメージをかたどる鉛筆の線は、たんなる輪郭線ではなく、黒鉛という彼の身体の断片であるかにみえる。おそらくは、黒鉛が織りなす物質性こそが、彼の感情そのものなのだ。この特質は、やはり既存のイメージを描いたドローイングではあるが、実物を見ずに、勝が幼い頃、神戸を訪れた記憶を頼りに描かれた甲子園球場などの新作ドローイングに一層あらわである。それゆえ、「尖った鉛筆を紙に押し当てること」に向き合う勝の姿勢には、人間が絵を描くことの根源的な意味をみる思いがする。[橋本啓子]
2012/05/10(木)(SYNK)
佐藤卓「光で歩く人」
会期:2012/04/23~2012/05/05
巷房[東京都]
「光で歩く人」とは、ソーラーパネルから得られるわずかなエネルギーで歩き続ける小さなロボット。デザイナー・佐藤卓がタカラトミーの依頼で試作したが、諸事情でお蔵入りになってしまっていたものを、震災後に完成させた作品だという。ロボットたちは、古代の埋もれ木や石でできた台の上に立ち、歩き続ける。3階ギャラリーでは窓から入る自然の光で、地階では人工的な光のエネルギーを得て、歩き続ける。私が訪れた日は生憎の天気で空は暗く、3階のロボットたちは脚を休めていたが、それでも地階のロボットたちはガラスのドームや金属のカゴの中で、電灯に照らされながら歩いていた。自然のリズムとは関わりなく歩き続けるためには、人工的なエネルギーを絶えることなく供給し続けなければならなない。ふたつのフロアのロボットには、私たちの文明の過去と現在が重ねられていると同時に、未来への選択肢が示されているのではないだろうか。[新川徳彦]
2012/05/03(木)(SYNK)
佐伯祐三とパリ──ポスターのある街角
会期:2012/04/28~2012/07/16
大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室[大阪府]
佐伯祐三(1898-1928)は近代日本洋画を代表する画家の一人。彼はパリの街角を題材に多くの傑作を残した。本展は、佐伯の代表作に、1920年代前後のパリの街角を飾った実際のポスターをあわせて紹介するもの。画家としての佐伯祐三の生涯は、通常、渡欧までの初期(1898-1923)、第一次滞欧時代(1924-26)、一時帰国時代(1926-27)、第二滞欧時代(1927-28)の四期に分けられる。とくにパリは遠い異国からやってきた若い画家の創造の源泉となり、画家はパリの街角を凝視し続けたのである。彼が滞在していた、20世紀初頭のパリといえば、ポスターが日常生活に密着した身近なものであった。いわゆるヨーロッパ・ポスター芸術の黄金時代。アール・ヌーヴォーやアール・デコといった芸術運動のなかで、芸術性の高いポスターが数多く制作され、トゥールーズ=ロートレックやミュシャ、シェレなど、たんなる職人ではない、人気ポスター作家も現われた。ポスターは、当時、佐伯祐三が魅せられた芸術の都パリの街角の息吹を伝えてくれる。[金相美]
2012/05/01(火)(SYNK)