artscapeレビュー
渚・瞼・カーテン チェルフィッチュの〈映像演劇〉
2018年06月01日号
会期:2018/04/28~2018/06/17
熊本市現代美術館[熊本県]
〈映像演劇〉の鑑賞者は劇場に足を運ぶように美術館に足を運び、舞台上の俳優を見るように等身大の俳優の映像と対峙する。背景が欠落した映像は、それゆえどこか別の場所にいる俳優を映したものとしてではなく、俳優の分身を観賞者のいるその場所に存在させるものとして機能する。鑑賞者は厚みを持たない映像としての俳優の分身と、しかし確かに空間を共有することになる。この両義性が〈映像演劇〉の特徴のひとつだろう。
《第四の壁》はそのタイトルからして象徴的だ。「第四の壁」という言葉は大まかには演劇において舞台上と客席との間に存在すると仮定される壁を指す。観客はその壁を透かすかたちで舞台上で展開する物語を覗き見ているというわけだ。
《第四の壁》はアーチ状の枠の中に投影される映像演劇作品。男が登場すると、ここは門で、侵入者がやってくるのを阻止しようとする芝居をこれから上演するのだと言う。さらに二人の男が登場し三人は門を塞ぐかたちで土嚢を積み始める。無駄口やそれに対する叱責を挟みつつ、ところどころでこれがどのような芝居であるかが改めて説明されるが、あるときスタスタと女が登場すると、ハート型に切り抜かれた紙や風船でアーチを飾り付け始める。土嚢の作業と並行して進む飾り付け。やがてアーチの上部にはwelcomeの文字が──。
土嚢と風船は一見したところ拒絶と歓待の両極を示しているように思えるが、事態はそう単純ではない。向こう側とこちら側を隔てるはずの第四の壁は男の観客への呼びかけによってはじめから壊されており、一方で「そこ」が土嚢を積み上げるまでもなく壁であることは自明だ。観客だろうが侵入者だろうが、壁の中へと入っていくことはできない。にもかかわらず、そこは門だと宣言され、向こう側への一歩が可能性として示される。
作品ごとに形を変える問いを通して、観客は自らの立ち位置を測り続けることになる。その移動がやがて、境界のあり方を変えていく。
公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/chelfitsch/
2018/05/01(山﨑健太)