artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

小森はるか+瀬尾夏美 巡回展「波のした、土のうえ」in神戸

会期:2016/01/09~2016/01/31

デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)[兵庫県]

映像作家の小森はるかと画家・作家の瀬尾夏美は、震災を契機として2011年4月に東北の沿岸部を訪れ、翌年春には岩手県の陸前高田市に移り住み、その土地で暮らし、人々の声に耳を傾けながら制作を続けてきた。展示会場には、ドローイングやペインティング/写真/テクストが緩やかに関連し合うように配置され、伸びやかな線や鮮やかな色彩で描かれたドローイングやペインティングが視線を方向づけ、傍らに添えられた言葉が、一見シンプルで明るいそれらに重層性を与える。日付が記されたテクストには、震災後の陸前高田に暮らす人々から聞き取った言葉や自分自身の内省的な言葉が記され、住民やこの土地との距離を測りながら、誠実に言葉が紡がれている。巨大なさみしさについて、忘れることと記憶について、表現者としての自覚や葛藤について、「新しい地面」をつくる復興工事によって見えなくなってしまうものについて。
さまざまな角度から陸前高田の風景を描く瀬尾のペインティングは、フラットな色面やストロークで簡略化された構成の中に、鮮やかな色彩が目を引く。緑やブルーの中に、黄色、赤、オレンジ、ピンク、紫……。山並みに囲まれ、建物のなくなった平らな土地。「こんな大変なことがあって辛い時なのに、普段は気にもとめていなかった日々の情景のあれこれをかえって思い出す」という、ある女性の言葉がある。「自分たちには馴染みのない町、何もかも失ってしまった町が、かつての日常の記憶が語られることで鮮やかに色づいて見えた」と瀬尾は記す。また、「切り花を供えても枯れてしまうのが悲しいから、代わりに花畑を作りたい。花とともにここにもう一度、色を与えたい」という女性の活動は、小森のドキュメンタリーにも丁寧に映しとられている。瀬尾のペインティングの鮮やかな色は、語られた記憶が宿す色彩、実際に風景を彩った花畑、その双方の彩りでもある。だが、ドキュメンタリーに記録されているように、地元の女性たちやボランティアの若者の協力によって出現した花畑は、土地の再生事業により埋め立てられることが決まり、花束として受け取った人たちの、再び記憶の中だけの存在となる。
津波で波の下に失われたもの、更地になったむき出しの土地と、山を切り崩した土で市街地をかさ上げする「復興工事」。その埋め立てによる土地の更新は、もうひとつの喪失を意味する。自然の不可抗力による、抗うことのできない「喪失」と、計画的な事業による人為的な「喪失」。「波のした、土のうえ」という詩情さえ漂うタイトルは、その二つの「喪失」の狭間の時間にこの土地で起こった出来事──色とりどりの花畑の出現、改めて言葉にして語られた記憶、生活と結びついた、その手触りや色合い──によって、一時的だが色づきを取り戻した時間をいうのだろう。だがそれもまた、復興事業の進展や離散によって遠からず失われていくことがわかっている。アーティストにできることがあるならば、そのままでは失われていく土地の声、人々の声に寄り添い記録として残すことではないだろうか。瀬尾と小森は、心象風景の絵画化と客観的なドキュメンタリーという、対照的な方法論によって、それぞれのやり方でその困難な試みを引き受けようとしている。
彼女たちの試みはまた、(それ自体は不可視な)他者の記憶を内在させたものとして目の前の風景を捉えようとすること、その豊かさや複雑さへと想像力を抱いて風景を眼差すことを要請している。それは、新たな風景論の希望としての切り口を開いている。

2016/01/10(日)(高嶋慈)

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パトリシオ・グスマン『光のノスタルジア』『真珠のボタン』

会期:2015/12/19~2016/01/08

第七藝術劇場[大阪府]

乾燥した砂漠の大地と、豊かな水をたたえた海。対照的な二つの自然を舞台に、宇宙の始原への探究と砂漠の下に隠蔽された現代史、先住民の抑圧と独裁政権下での虐殺、といった時を超えたエピソードが交差し、チリの複雑な歴史が映像詩として語られる。ドキュメンタリー映画だが、政治的告発と大自然の映像美が稀有な共存を見せ、そこに内省的な思索の言葉が綴られていく。
『光のノスタルジア』の舞台は、チリ北部のアタカマ砂漠。標高が高く、極端に乾燥した気候のため、世界中の天文学者が集まる天文観測拠点となっている。火星のような褐色の大地の中に立ち並ぶ、SF映画のような巨大なドーム型の天文台。いっぽうでそこには、先史時代の壁画やミイラ、19世紀の鉱山労働者たちの宿舎や工場、軍事独裁政権時代の収容所など、古代から現代にいたるさまざまな歴史の痕跡が残されている。「天文学者が受け取る星の光は、遠い過去のものだ。過去の光を見つめることで、宇宙と生命の起源に一歩近づく。アタカマ砂漠は最も過去に近い場所だ」と言う天文学者。「だがこの国は、最も近い自国の過去を見ようとしない」とグスマン監督は指摘する。宇宙と生命の起源を求めて遥かな空に巨大望遠鏡を向ける天文学者たちの傍らで、砂漠のどこかに埋められた肉親の遺骨を探して、30年近くもシャベルで地面を掘り返す女性たちがいる。軍事独裁政権時代、政治犯として収容所に送られ虐殺された人々は、「行方不明者」のままだ。「天体望遠鏡で地上を見渡せればいいのに。砂漠中をくまなく探せるように」と女性の一人は語る。彼女たちが天文台の中で望遠鏡をのぞき、星を見るラストのシーンはあまりに美しい。無限遠の過去への眼差しと、地中深く隠蔽された近過去への眼差しが交差し、星くずのような煌めきが微笑む2人の姿に重なり合う。
『真珠のボタン』では、灼熱の砂漠とは対照的に、チリ最南端の氷河の山並みと海が舞台となり、「水の記憶」によって歴史の忘却に抗う声が紡がれていく。タイトルの「真珠のボタン」は、植民地時代のインディオへの抑圧、軍事独裁政権時代に海に棄てられた遺体、という二つの記憶を結びつける。19世紀、「文明化」するためにイギリスに連れていかれたインディオの男は、真珠のボタンと引き換えに故郷・言語・アイデンティティをすべて奪われる。その後、入植者たちによって開始される凄惨な「インディオ狩り」。いっぽう、海底から発見されたレールに付着していた「真珠のボタン」は、遺体が重しのレールとともに海中に棄てられていたことの証となる。驚くべき符合で重なる二つの「真珠のボタン」、それは絶対化されたイデオロギーによる一方的な簒奪のメタファーである。
2作とも、静かな告発の中の映像美に加えて、音響の美しさも際立っていた。砂漠にある廃墟化した収容所跡に残された、錆びたスプーンが風鈴のように風に揺られて、鐘の音のようなハーモニーを奏でる。インディオの末裔から「水の言葉」を習った人類学者は、モンゴルのホーミーの倍音のように、同時に複数の高低の音を響かせる。自然の中に朽ちていく人為の残響と、人間が自然から受け取った豊穣な響きは、そこに孕まれた記憶に耳を傾けるように促していた。

2016/01/07(木)(高嶋慈)

オデッセイ、ザ・ウォーク

行き帰りの飛行機で映画を見る。『オデッセイ』は火星に取り残されたマット・デイモンがサバイバルするSFだ。同じ俳優が惑星でひとり過ごすというプロットは、『インターステラー』とも一部重なっているのが笑える。後半は宇宙スケールの展開だが、農業と化学の智恵で生き抜く前半が面白い。なお、映画産業の新しい、そして大きなマーケットとしての中国の存在感が、この映画の終盤でもはっきりと現われていた。『ザ・ウォーク』は世界貿易センタービルの双塔を綱渡りで歩いた男の実話である。以前同じテーマのドキュメンタリー映画はあったが、今回はCGならではの体感映像や消えた建物の再現によって、われわれに奇跡の瞬間を臨場感たっぷりに追体験させる。結果を知っていても、いかに計画し、準備するかという銀行強盗映画的な面白さがあり、WTCが愛おしく思える建築映画でもある。また綱渡りが最高のアートとしての身体表現だと教えてくれる。

2016/01/03(日)(五十嵐太郎)

スター・ウォーズ フォースの覚醒

「スターウォーズ」のシリーズは子どものとき、第一作のエピソード4からすべて劇場で見てきたが、新作『フォースの覚醒』では、30年ぶりにスカイウォーカー、ハン・ソロ、レイア姫に会えるシーンが入っており、胸熱である。物語としては満足だが、未来の設定にもかかわらず、空間、装置、技術の世界観はエピソード4からそれほど断絶していなかった。どうしても1970年代にリアルタイムで最初の劇場作品で受けた衝撃と同じような視覚的な革新も現代において求めたくなってしまう。また物語の人間関係も、エピソード4・5の変奏のようだし、先の時代に進んだ未来感は物足りない。

2015/12/19(土)(五十嵐太郎)

三角みづ紀と14人の流動書簡 封をあける,風をやぶる、そらんじる

会期:2015/12/16~2015/12/27

iTohen[大阪府]

現代詩手帖賞、中原中也賞、萩原朔太郎賞など多数の受賞歴を持ち、音楽活動も行うなど、若手詩人のなかでも抜きん出た評価を得ている三角みづ紀。彼女を軸に、詩と美術と音楽が往復書簡のようにコラボレートした。展覧会の構造は以下のような具合。まず三角が7篇の詩を創作し、画家や写真家が詩を元に美術作品を制作、その作品から三角が新たに詩を書き起こし、今度は音楽家へとリレーしていく。詩と美術と音楽の共演は必ずしも珍しくないが、詩を軸に反響を繰り返す本展のような形式はユニークだ。また、音楽作品は7作品中4作品を展覧会初日に公開し、残る3作品は会期中のライブイベントで発表したが、この仕掛けも効果的だった。なお、三角以外の参加作家は、美術が、いぬ、sakana、植田志保、川瀬知代、塩川いづみ、ミロコマチコ、ookamigocco、音楽が、森ゆに、YTAMO、木太聡、織原良次、青木隼人、坂東美佳、小島ケイタニーラブである。

2015/12/17(木)(小吹隆文)