artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

NFCコレクションでみる日本映画の歴史

東京国立近代美術館フィルムセンター展示室(常設展)[東京都]

国立近代美術館フィルムセンターへ。常設展示は、日本における映画の受容と発展を、貴重な映像資料、当時のカメラ、脚本、ポスターなどで紹介する。特に、いわゆる「映画」として確立される以前の時代の、さまざまな試行錯誤が興味深い。企画展示は、「シネマブックの秘かな愉しみ」で、映画関連のさまざまな書籍を展示している。検閲者が書いた映画本などが印象に残った。

2015/05/13(水)(五十嵐太郎)

THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦

押井守監督の『THE NEXT GENERATION ─パトレイバー─』を見る。やはり、光学迷彩ヘリの戦闘シーン、謎の飛行物体の空撮による「東京スキャナー」や水路からの視点を提示した「東京静脈」を彷彿させる都市の映像はカッコいい。が、現在はすでにドローンの時代であり、リアルに政治がきな臭くなっている。押井が監修した六本木ヒルズ・オープンの頃の映像の感覚だと、ズレが生じているかもしない。

2015/05/11(月)(五十嵐太郎)

マイク・カネミツ/金光松美──ふたつの居場所

会期:2015/04/24~2015/05/16

大阪府立江之子島文化芸術創造センター[大阪府]

3年前、大阪府立現代美術センターに代わってオープンした江之子島文化芸術創造センターへ。大阪府のコレクションによる約40点の中規模な回顧展をやっていた。金光の名はぜんぜん知らなかったけど、抽象表現主義の画家として活躍した人らしい。1922年に広島に生まれ、16歳で渡米し、50年代にニューヨークで抽象表現主義の絵画を制作。65年にロサンゼルスに移り、92年に死去。つまり戦後アメリカのアートシーンのど真ん中にいたわけだが、その割に知られてないのは作品のせいもあるけど、遅れてきた日本人だからかもしれない。具象から抽象に転じたのは50年代なかば、すでに抽象表現主義もピークをすぎるころ。しかも日本人が追随しても追いつけないというか、追い越さなければ評価されなかったでしょうね。だいたいニューヨーク時代はフランツ・クラインかクリフォード・スティルを思い出させ、西海岸以降はサム・フランシスかポール・ジェンキンスを彷彿させるし。でも60年代の《5-5》《5月の夢》《私、OK?》あたりはまだ画面構成のおもしろさがあるのだが、70-80年代になると叙情に走り、晩年には絵具の滴りで星を暗示する類いの陳腐な宇宙的表現に陥ってしまう。それでも人脈が広いうえ(国吉康雄、ポロック、ラウシェンバーグ、ハロルド・ローゼンバーグ、吉原治良、森田子龍、藤枝晃雄……)、日本的な墨の芸術を連想させることもあってか、50年代からほぼ毎年のように個展を開催。98年には大阪と広島の美術館で回顧展を開いてる。この手の画家、発掘すればまだいるのかも。

2015/05/08(金)(村田真)

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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

[東京都]

『バベル』や『ビューティフル』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督による新作。マイケル・キートンが演じる落ち目のハリウッド俳優が、ブロードウェイで再起を図るという物語の構成はシンプルだが、全編ノーカットに見える編集をはじめ、エドワード・ノートンやエマ・ストーン、ナオミ・ワッツといった贅沢な脇役の素晴らしい演技が相俟って、じつに厚みのある傑作に仕上がっている。
見どころは多い。「バードマン」というキャラクターを演じるマイケル・キートンが、『ダークナイト』より前の『バットマン』を演じていたため、観客はおのずと「バードマン」に「バットマン」を重ねてしまう。そのようなメタ物語によって観客の視線と意識を牽引しつつ、しかし最終的には、ある種のファンタジーのように物語の結末を観客の想像力に委ねるという手口が、じつに鮮やかである。ラストシーンの高揚感は、この物語の束縛からも、メタ物語のそれからも解放された、私たちの想像力の爆発的な飛翔を示しているのかもしれない。
とりわけ注目したのは、この映画のサブタイトル。「無知がもたらす予期せぬ奇跡」とは言い得て妙で、じっさい、主人公の俳優は信じがたいほど知性に乏しい。軽薄というわけではないにせよ、猪突猛進というか意固地なわりに考えすぎるというか、いずれにせよ合理的な思考とは無縁のタイプである。周囲の登場人物たちが、いずれも鋭い観察眼や深い洞察力、的確な言葉に恵まれているため、その貧しさがよりいっそう強調されているのだ。追い詰められた彼が直情的な直接行動に身を乗り出す様子には、まるでテロリズムを決断する被抑圧者の心持ちが透けて見えるようだ。
しかしながら、この主人公の「無知」は、彼特有の精神性というわけではあるまい。これはあくまでも主観的な印象だが、物語が展開するにつれ、主人公の胸中には「もしかして世界で俺だけがバカなんじゃないか?」という強迫観念が芽生えつつあるように見えた。こうした物語がある種のユーモアを醸し出すことは疑いないとしても、別の一面では、現代人が苛まれてやまない知性主義への劣等感や強迫観念を暗示していることもまた否定できない事実である。「本物はすげえじじいだ!」と若者に笑われながらパンツ一丁で路上を力強く歩く主人公の姿に泣くほど笑いながら、同時に、心の底に深い影が落ちているのを実感するのは、そのような強迫観念にどこかで身に覚えがあるからにほかならない。
今日的な症候を暗示しつつも、それを想像力によって爆発させる、きわめて良質の映画である。

2015/05/08(金)(福住廉)

アート(AM Ver.) 伊東宣明 / Nobuaki Itoh

会期:2015/05/05~2015/05/10

Antenna Media[京都府]

2013年にアートと制度を巡る問題をテーマにした映像作品を発表した伊東宣明。本展で発表した新作のテーマは「アートとは何か」だ。伊東は全国各地のランドマークで自画像を撮影し、「アートとは何か」をカメラに向かって語りかける。彼にとってアートは、不可視で手に入れられないものや、到達不能な理想に向かって邁進するアーティストの姿勢そのものに内在する。19世紀ロマン主義以来の理想に基づいた価値観と言えよう。ただ曲者なのは、当の本人がアートの理想を本当に信じているのか、それとも敢えてドン・キホーテ役を演じたのかが定かではないことだ。おそらく伊東は意図的に両義的な作品を作ったと思われる。観客に作品の二律背反性を気付かせ、アートとは何かを自問自答させること。そこに本作の真意があるのだろう。なお本作は、今年2月から4月にかけて愛知県美術館で発表した作品の京都バージョンである。

2015/05/08(金)(小吹隆文)