artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

あゝ新宿 スペクタクルとしての都市

会期:2016/05/28~2016/08/07

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館[東京都]

おもに60年代の新宿の芸術文化を振り返った企画展。演劇をはじめ美術、映画、文学、建築、テレビ、雑誌などから当時の熱気を浮き彫りにしている。フェンスやトタンなどを組み合わせた動線に沿って、写真やポスター、映像などの資料群が展示された。
展示で強調されていたのは、空間と人の密接な関係性。当時の新宿には、大島渚、唐十郎、寺山修司、土方巽、三島由紀夫、山下洋輔、横尾忠則ら、多士済々の芸術家が行き交っていたが、彼らの活動は新宿の中の特定の場所と結びついていた。紀伊國屋書店やアートシアター新宿文化、蠍座、風月堂、DIG、新宿ピットイン、花園神社、そして新宿西口広場。新宿の熱源に引き寄せられた若者たちは、そうしたトポスを転々と渡り歩きながら、さまざまな芸術文化を目撃し、あるいは体験することで、結果的に新宿の発熱に加担していたのであろう。
今日、そのような発熱の循環を担保するトポスは見失われている。それらが新宿にないわけではないが、それぞれのジャンルは自立しており、かつてのように、さまざまなジャンルを越境するエネルギーは、もはや望むべくもない。それは、いったいなぜなのか。
学生運動やベトナム反戦運動の高まりに手を焼いた警察当局が、新宿西口広場の意味性を「広場」から「通路」に強引に読み替えることで、実質的に集会を禁止したことは、よく知られている。すなわち、ここは「通路」であるから人が滞留することは許されない。よって、速やかに移動せよ、というわけだ。熱源の坩堝としての新宿は、かくして分断され、拡散され、霧消してしまったのだ。
しかし、空間と人の関係性を希薄化したのは、警察権力による工作だけに由来するわけではあるまい。当時、芥正彦をはじめ唐十郎、寺山修司らは街頭演劇を盛んに仕掛けていたが、それらの記録写真を見ると、そこで印象的なのは、その突発的な路上パフォーマンスを取り囲む、おびただしい野次馬たちである。彼らは訝しさと好奇心が入り混じった視線で、ある程度の距離感を保ちながら、不意に遭遇したパフォーマンスを目撃している。むろん、彼らは劇場の観客のように指定された座席で静かに演目を見守る鑑賞者の身ぶりとは程遠い。だが、距離を隔てながらも、そのパフォーマンスを目撃しているという点で、彼らは街頭演劇の「鑑賞者」となっていたのではないか。寺山修司の言い方を借りて言い換えれば、人はあらかじめ鑑賞者であるわけではなく、未知の表現文化に遭遇することで、鑑賞者と「なる」のである。
今日の都市文化に熱を感じられない理由のひとつは、私たち自身が鑑賞者に「なる」努力を放棄してしまっていることにある。本展で取り上げられていたような若者文化が、いまや正統な文化史として歴史化されていることを念頭に置けば、今後の私たちが取り組まなければならないのは、かつての新宿文化をノスタルジックに崇めることでは、断じてない。それは、現在の新宿で繰り広げられている、有象無象の表現文化を目撃する鑑賞者となることである(本展とは直接的に関係するわけではないが、リアルタイムの事例を挙げるとすれば、バケツをドラムに、塩ビ管をディジュリドゥにしながら新宿の路上などで演奏しているバケツドラマーMASAを見よ!)。歴史が生まれるのは、そこからだ。

2016/05/30(月)(福住廉)

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人造乙女美術館

会期:2016/04/26~2016/05/22

ヴァニラ画廊[東京都]

ラブドールの展覧会。これまで4回オリエント工業の協力でラブドール展を開いてきたそうだが、今回は美術史家の山下裕二が監修し、池永康晟の美人画をモデルにドールを制作するという趣向だ。山下センセー、こんなところでもご活躍ですね。ダッチワイフ時代から長足の進歩を遂げたとは聞いていたが、間近に見るのは初めて。たしかにリアルだけど、チラシにあるように「不気味の谷」を越える安心感があるのも事実。それはたぶん動かないからだろうね。もしラブドールが最近のロボットみたいにぎこちなく動き出したら、男どもは喜ぶどころか興ざめも通り越して、一気に不気味の谷に突き落とされるはず。おそらくラブドールロボットの需要は当分ないだろう。てか、もうすでに開発されてて、ある種の人たちに愛用されてたりして。それこそブキミだ。話がそれた。別室ではラブドールに直に触れるコーナーもあり、いちおう並んで順番が来たらナフキンで手を拭いて、上半身を触らせていただいた。指にまとわりつくようなモチモチ肌……。

2016/05/20(金)(村田真)

椿会展 2016 ─初心─

会期:2016/04/28~2016/06/19

資生堂ギャラリー[東京都]

赤瀬川原平、畠山直哉、内藤礼、伊藤存、青木陵子、島地保武の6人。赤瀬川は雑誌『流動』のために描いた珠玉のイラスト。畠山はメキシコの風景写真6点を出しているが、1点だけ風景を撮る少女にピントを合わせた写真があった。これいいなあ。内藤は静脈が透けるような人肌みたいな絵肌のアクリル画と、床に小さい人形を20体ほど。絵を見ながら進むと人形を踏みつぶしそうになるが、あくまで囲いを設けない姿勢がうれしい。以下省略。

2016/05/20(金)(村田真)

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プレビュー:長島有里枝「縫うこと、着ること、語ること。」

会期:2016/06/17~2016/07/24

デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)[兵庫県]

昨年10月からKIITOアーティスト・イン・レジデンス招聘作家として神戸で滞在制作を行なってきた長嶋友里枝。その成果発表展となる本展は、彼女の私生活のパートナーの母親(神戸在住)とともに制作したテントとタープ(キャンプ用の日よけ)、滞在中に撮影した写真によるインスタレーション的構成となる。写真はタープの素材となる古着を集める際に出会った女性たちを取材したもので、写真撮影のほか、捨てたいのに捨てられない古着を持つ彼女たちの思いも聞き出している。長島は今年春に自身の母親とテントとタープを共作しているが、本展はその進化形と言えそうだ。

2016/05/20(金)(小吹隆文)

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いぬと、ねこと、わたしの防災「いっしょに逃げてもいいのかな? 展」

会期:2016/04/23~2016/05/22

世田谷文化生活情報センター生活工房

この展覧会でいちばん印象に残ったのは、災害発生時の状況別(ペットとともに在宅中、ペットとともに外出中、ペットを残して外出中)に、避難生活までをシミュレーションしたイラスト入りのチャートだった。東日本大震災の経験、そして本展が始まる直前に熊本から大分にかけて起きた震災の報道で、ペットを同行する避難によってどのようなトラブルが起こりうるか、どのように対策すべきかについては考える機会があった。しかし、災害発生のまさにその時にどのような状況が生じうるかについてはとくに考えたことがなかったことに気づかされた。ペットと一緒にいれば対応できることも、勤務先、外出先で被災し、容易に自宅に戻ることができなかったらどうしたらよいのか。自宅が損壊し、壊れた窓や壁からペットが逃げ出して迷子になったらどうやって見つけたら良いのか。展覧会会場では事前にできる備えから、災害発生時の対応、避難所での生活まで、現在可能な対策のほかに、クリエーターたちによるペット用キャリーや簡易柵などの提案も展示。配布されていたパンフレットは手近なところにおいて、ときどき読み直すようにしようと思う。さしあたり、迷子対策のためにペットの写真を撮ったり、特徴を記したメモを用意しておこう。参加できなかったけれども、迷子ポスターづくりのワークショップはとてもいい企画だ。[新川徳彦]

2016/05/20(金)(SYNK)