artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
足柄サービスエリア
[静岡県]
甲府へ。途中の足柄のサービスエリアがエヴァンゲリオンに埋め尽くされ、すごいことになっていた。初号機の大型立像、レイやカヲルの等身大の人形、エヴァのカラーに塗られたプリウス、ロンギヌスの槍の展示のほか、エヴァ風のサービス・インフォメーション、グッズ販売、飲食店の特別メニューなど、アニメ世界が現実を侵食している。
2016/04/22(金)(五十嵐太郎)
近代百貨店の誕生 三越呉服店
会期:2016/03/19~2016/05/15
江戸東京博物館[東京都]
百貨店の展覧会なのに、いきなり明治初期の博覧会の紹介から始まり、その博覧会から博物館に移行し、勧工場を経てようやく三井呉服店、三越百貨店の話になる。事情に疎い人は面食らうだろうが、これはモノの集め方、見せ方の劇的変化を物語っている。江戸時代の呉服店が近代的な百貨店に生まれ変わるには、商品の陳列革命が必要だった。その過程を物語る場として博覧会や博物館、勧工場を取り上げているのだ。江戸時代の呉服店では商品は陳列されず、客は畳に上がって「これこれこういう品物を」と希望を伝え、店員はそれに見合った商品を出してくる「座売り方式」だった。それが明治になると呉服店も博覧会(日本では博物館のルーツ)を見ならって品々を展示公開し、それを客が見て選ぶ「陳列販売方式」に変わり、百貨店が誕生する。つまり百貨店の前提は博覧会・博物館と同じく「見る」ことだった、というわけだ。ちなみに勧工場とは百貨店に先駆けて、博覧会の残り物を陳列販売した商業施設のこと。だから勧工場は博覧会と百貨店をつなぐ橋渡し役を果たした店といえる。このようにモノを集めて見せるというのは近代の基本中の基本だ。考えてみれば博覧会も博物館も百貨店も、すべて「たくさんのモノを集めて見せる場所」といった意味ではないか。
2016/04/20(水)(村田真)
「建築と音楽」展 シンポジウム
会期:2016/04/16
清華大学[中国、北京]
「建築と音楽」のシンポジウム@北京・清華大学に登壇した。同大に拠点を置く雑誌『世界建築』の2月号の特集テーマに合わせた企画である。以前は『建築文化』『SD』『10+1』などの雑誌が特集主義で刊行されていたが、最近日本の建築メディアは単なる作品紹介ばかりで、こうした切り口が激減したなと痛感する。シンポジウムの後、編集者に案内してもらいながら、清華大学のキャンパスを散策する。三度目の訪問だが、周辺部の官舎、ゲストの宿泊施設のほか、大学名の由来となる場所、江南風の庭園、いわゆる西洋風の大学を思わせる一角、牡丹園など、実に広大である。多くの観光客や市民もキャンパスの自然を楽しんでいたのが印象的だった。
シンポジウムの後、清華大学近くの書店に立ち寄る。翻訳された筆者の本も置いてあったが、海外の翻訳書が全ジャンルにわたって、よく揃っていることに感心した。しかも値段が安い。日本だと新書や文庫は安いが、ハードカバー、専門書、翻訳書になると、結構高い。しかし、日本語訳なら2,000円以上はするローラン・ビネやミラン・クンデラの本でさえも、中国語訳だと、現地のコンビニでちょっと食べ物や飲み物を買い物するより安い。これなら学生も気兼ねなく本を購入できるだろう。
写真:左上3枚=《清華大学》、左下=宿舎 右上=マリオボッタによる美術館、右下2枚=《清華園》
2016/04/16(土)(五十嵐太郎)
「建築と音楽」展
会期:2016/03/18~2016/04/28
北京建築大学 ADA画廊[中国、北京]
街中の北京建築大学へ。キャンパスにあるADA画廊の「建築と音楽」展を鑑賞した。王昀がさまざまな図形楽譜をもとに建築化を試みる模型を展示している。いずれも屋根がなく、かつての使い方を想像させる遺跡のようだった。なお、ここでは同大学の批評家・キュレーターの方振寧が関与し、過去にル・コルビュジエ、中国とフルクサス、マレーヴィチ展などを開催しており、こういう施設が大学にあるのは羨ましい。
王昀の研究室では、最近の仕事として蘇州古典園林庭園を抽象化し、現代建築的な構成に変容させる試み、世界の集落配置図を抽象絵画のように描く絵画シリーズなどを見せてもらう。いずれも何々と建築をつなぐ精力的な活動である。
写真:左上から、《北京建築大学》、「建築と音楽」展、図形楽譜の建築化 右上から、ADAギャラリー、王氏の研究室、蘇州庭園の抽象化、図形楽譜の建築化
2016/04/15(金)(五十嵐太郎)
双六でたどる戦中・戦後
会期:2016/03/19~2016/05/08
昭和館[東京都]
双六から戦中と戦後の歴史を振り返った企画展。双六は江戸時代には正月を楽しむ遊びとして親しまれていたが、明治以後、印刷技術の発達に伴い雑誌の付録として定番化すると、庶民の暮らしの隅々にまで浸透した。ある一定の定型をもとにしながらさまざまな意匠を凝らす遊戯。そこには同時代の社会情勢や時事的な風俗、政治的なイデオロギーなどが、ふんだんに取り込まれているため、双六の表象には社会や歴史のダイナミズムが如実に表わされていることになる。この展覧会は、昭和館が所蔵する130点の双六によって、戦中から戦後にかけての歴史的変遷を振り返ったものだ。
注目したのは、やはり戦中の双六である。戦後の双六が人気キャラクターによって未来社会や科学技術の発展を謳う、いかにも平和主義的なイデオロギーが反映されているのに対し、戦中のそれは露骨に軍国主義的なイデオロギーによって貫かれているからだ。前者に安穏としていられる時代はもはや過ぎ去り、後者へと足を踏み入れかねないキナ臭さを感じる昨今、戦中の表象文化から学ぶことは多いはずだ。
例えば本展の最後に展示されていた《双六式国史早わかり》(1931)は、178個のコマを螺旋状に組み立てた大きな双六で、円の中心のフリダシから右回りに外縁を進んでいく構成。中心の出発点に天照大神が描かれているように、双六の時間性と国史のそれを重ねながら体験することが求められている。だが恐ろしいのは、そのゴール。そこにはただ一言、「国民の覚悟」と書かれているのだ。1931年と言えば満州事変を契機に日本の軍部が暴走し始めた時代であるから、早くも庶民の大衆文化にまで軍国主義的なイデオロギーが行き届いていたことがわかる。
だが、軍国主義的なイデオロギーとは必ずしも強権的な暴力性によって庶民に強制されるわけではない。そのことを如実に物語っていたのが、横山隆一による《翼賛一家》である。1940年、大政翼賛会宣伝部の監修により朝日新聞社から発行されたこの双六は、大和家という一家のキャラクターの人生の軌跡をなぞったもの。国民学校を卒業したのち、八百屋や本屋、大工、サラリーマンといったさまざまな職能を経ながら、勤労奉仕、防空演習、国民服、回覧板、産業報国、枢軸一体、日満支一体といった戦時体制へと突き進んでいく。その先にあるのは「忠霊塔」であり「富士山万歳」であるから、当時の国民は戦争で死ぬこと、すなわち「英霊」となることが期待されていたわけだ。つまり庶民にとって親しみのある漫画的表象が、このような恐るべき既定路線を自然に受容させる、ある種の「イデオロギー装置」(ルイ・アルチュセール)として機能しているのである。
双六のもっとも大きな特徴は、それが直線的な時間性によって成立している点にある。どれほど進路が曲がりくねっていたとしても、あるいはどれほどそれを行きつ戻りつしたとしても、出発点と到達点を結ぶ時間の流れはあらかじめ決められている。逆に言えば、未知の時間に逸脱する可能性は最初から封印されているのだ。双六が、このような運命論的な受容性を日本人の国民性に畳み込んできたことは想像に難くない。だが戦前回帰の気配が漂い始めた昨今、私たちが想像力を差し向けなければならないのは、直線的な時間性を撹乱し、新たな時間の流れを切り開くことである。既存の価値観を根底から覆すことのできる現代アートのアクチュアリティーは、おそらくここにある。
2016/04/14(木)(福住廉)