artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

プレビュー:美術と音楽の一日 rooms

会期:2016/03/05

芦屋市立美術博物館[兵庫県]

サウンド・アーティストの藤本由紀夫、映像作家の林勇気と音楽家の米子匡司、サウンドインスタレーションの原摩利彦、ミュージシャンのharuka nakamura、西森千明、Polar Mが集い、村上三郎と小杉武久の館蔵品も加わって、視覚や聴覚といった感覚の枠組みにとらわれない芸術体験が繰り広げられる。タイムスケジュールに沿って出し物が入れ替わるのも美術館では珍しく、美術ファンと音楽ファン双方にとって新鮮な体験になるのでは。1日限りというのは勿体ないが、逆に一期一会の醍醐味が増すだろう。早春の一日を、美術と音楽に浸ってまったり過ごすのも悪くない。

2016/02/20(土)(小吹隆文)

気仙沼と、東日本大震災の記憶 リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史

会期:2016/02/13~2016/03/21

目黒区美術館[東京都]

東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館の常設展示を見せる展覧会。リアス・アーク美術館は震災発生直後から気仙沼市と南三陸町の被災状況の調査を開始し、その成果をもとに、常設展「東日本大震災の記録と津波の災害史」を2013年より公開している。被災現場を撮影した写真は約30,000点に及び、収集した被災物も約250点。本展は、そのうち約500点を一挙に展示したもの。何よりも、その膨大な資料群に圧倒される展観だ。
むろん、すべてを押し流した津波の破壊力を物語る写真が来場者の眼を奪うことは言うまでもない。しかし、来場者を圧倒するのは写真だけではない。それらの傍らに掲示されたキャプションに書かれたおびただしい言葉もまた、私たちの心に重く響く。
震災発生直後の緊迫感あふれる言葉から震災当時を振り返るやるせない言葉。それらは被災状況を克明に解説するばかりか、同様の被災を二度と繰り返さないための経験的な警句や過去の経験を生かしきれなかった自戒も含んでいる。「鉄は硬いもの、そう思っているが、実は粘土のようにグニャグニャ曲がる。鉄骨構造物を過信すると危険だ」「明治の津波でも、昭和の津波でも同じことが起きている。なぜ過去の経験が生かされないのか。ここはそういう場所だとわかっているはずなのに」といった言葉が、ある種の切実さを伴って来場者の眼に迫ってくるのだ。
「人は忘れる。しかし文化は継承される。津波災害は地域文化として継承されるべきである」。けだし名言である。とりわけ本展が想定している東京近郊の来場者の多くが、5年前の震災を早くも忘却しつつあることを思えば、その地域文化を全国的に発信する必要性も痛感せざるをえない。そもそも「東日本大震災」から遠く離れた西日本では、津波災害の受け止め方に温度差があることは否定できないとしても、その一方で津波災害は少なくとも沿岸地帯であればどこでも発生しうることもまた明確な事実である以上、その「地域文化」とは文字どおり特定の地域に固有の文化という意味ではなく、あらゆる人々がそれぞれの地域で育むべき自分たちの文化であると理解しなければなるまい。
だが、どのようにして? 美術をはじめとする視覚文化が、記憶の再生産によって忘却に抗いつつ、その地域文化の継承に資することは、ある程度期待できる。しかし、本展で展示されていた歴史資料、すなわち明治29(1896)年の明治三陸大津波を主題にしたイラストレーションを見ると、その地域文化を健全に育むには、被災状況の記録写真や残された被災物だけでは不十分なのではないかと思わざるをえない。というのも、大衆雑誌『風俗画報』に掲載された「大海嘯被害録」には、家屋を破壊し、人畜を流亡する大津波自体が明確に描写されていたからだ。破壊された家屋によって津波の暴力的な破壊性を逆照するだけでなく、押し寄せた津波そのものを正面から表現していたのである。
思えば、津波にせよ放射能にせよ、東日本大震災をめぐる視覚文化の大半は、事後的な水準に焦点を当てていた。出来事そのものを表現することを避けてきたと言ってもよい。むろん、震災発生直後の、あの黒々とした津波が街を呑みこんでゆく報道映像は、いまも数多くの人々の脳裏に焼きついていることを考えれば、とりわけ芸術表現として取り上げる必然性に乏しいのかもしれない。大正時代の「大海嘯被害録」は映像の時代ではなかったからこそ成立していたとも言えるだろう。
けれども、津波災害が地域文化として継承されるべきであるならば、津波という出来事そのものを主題とした視覚文化が必要不可欠ではなかろうか。確かに映像が残されているとはいえ、私たちはその出来事を、どれほど悲惨だったとしても、いずれ忘れ去ってしまうからだ。忘却に抗いながら、出来事の記憶を分有するための文化装置。むろん、それはまちがいなくフィクションであり、被災者との同一化を実現するものでは、決してない。しかしだからこそ、被災者にかぎらず、あらゆる人々が対象になりうるのであり、そこから津波災害を地域文化として根づかせることができる。本展では、気仙沼の地域文化や生活資料を紹介した「方舟日記─海と山を生きるリアスな暮らし」も展示されていたが、この先必要なのは、むしろよりフィクショナルな、すなわち芸術的な展示ないしは作品ではなかろうか。
凄惨な出来事を直接的に表現した地域文化として、丸木位里・俊による《原爆の図》が挙げられる。むろん震災と被爆ないしは被曝を同列に語ることはできないが、《原爆の図》がいまも原爆という恐るべき出来事の継承と記憶の分有のための文化装置として機能していることは、津波被害をもとにした地域文化を育むうえで、大いに参考になるはずだ。同作を常設展示している「原爆の図丸木美術館」を訪ねるたびに、私たちの心に原爆という暗い影が忍び寄る。それは決して健やかな美的経験とはかけ離れているが、しかし、《原爆の図》は今日の現代美術にとっての原点であり、そこに定期的に立ち返ることで原点の所在を改めて確認する、ある種の儀礼行為として十分すぎるほど意味がある。この原点を見失うとき、忘却は始まるのだろう。

2016/02/18(木)(福住廉)

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京都市立芸術大学芸術資源研究センターワークショップ「メディアアートの生と転生──保存修復とアーカイブの諸問題を中心に」

会期:2016/02/14

元・崇仁小学校[京都府]

アーティスト・グループ、「Dumb Type」の中心的メンバーだった古橋悌二が1994年に制作した《LOVERS─永遠の恋人たち─》(以下《LOVERS》と略記)。水平回転する7台のプロジェクターによって4つの壁に映像が投影される本作は、コンピューター・プログラムによる制御や、観客の動きをセンサーが感知するインタラクティビティが組み込まれ、男女のパフォーマーによる映像と音響の作用に全身が包まれる。この作品を、「トレース・エレメンツ」展(東京オペラシティアートギャラリー、2008年)で見た時の静かな衝撃をよく覚えている。
京都市立芸術大学芸術資源研究センターでは、文化庁平成27年度メディア芸術連携促進事業「タイムベースト・メディアを用いた美術作品の修復/保存に関するモデル事業」として、《LOVERS》の修復を行なった。修復を手がけたのは、アーティストでDumb Typeメンバーの高谷史郎。修復された《LOVERS》の公開とともに、メディアアートの保存修復やアーカイブ事業に取り組むアーティスト、学芸員、研究者による発表とディスカッションが開催された。
修復を手がけた高谷からは、今回の修復の概要と、メディアアート作品に不可避的に伴うテクノロジーの劣化や機材の故障といった問題にどう対応するかが話された。メディアアートの修復作業とは、あくまでも「その時点での技術的ベスト」の状態であり、オリジナルの状態の復元ではなく、どの要素をキープしてどこを変更するかが問われる。さらに、現時点での「修復」の将来的な劣化を想定する必要がある。今回の修復では、主にプロジェクターを最新機器に交換するとともに、「古橋がこう想像していただろう」と考えられるアイデアルの状態を想定し、デジタル化した元のアナログヴィデオの映像をもとに「次の修復」に備えたシミュレーターの作成が行なわれた。つまり、映像をデータとして解析・数値化することで、今回の修復に関わったスタッフがいなくても、プログラマーが読み込んで再現・検証が可能になるという。
このシミュレーターの役割について、同研究センター所長でアーティストの石原友明は、音楽やダンスにおける「記譜」との共通性を指摘した。また、メディアアーティストの久保田晃弘は、メディアアート作品には、技術の更新とともにアップデート・変容していく新陳代謝的な性質が内在しているという見方を提示した。こうした視点によって、メディアアートの保存修復について、時間芸術や無形文化財の保存・継承のあり方と関連づけて考えることが可能になるとともに、現物保存の原則や「オリジナル」作品概念の見直し、技術や情報をオープンにすることの必要性などが求められる。また、ディスカッションでは、これからの課題として、美術館における作品収集の姿勢の柔軟性、メディアアートの修復技術者の養成、「作品の保存修復」を大学教育で取り組むこと、展示状態の記録や関係者のインタビュー(オーラルヒストリー)を集めることの重要性、といったさまざまな指摘がなされた。
タイムベースト・メディアを用いた美術作品の収集・保存に対して美術館が躊躇していれば、数十年前の作品が見られなくなってしまいかねない。これは、将来の観客の鑑賞機会を奪うだけでなく、検証可能性がなくなることで、批評や研究にとっても大きな損失となる。《LOVERS》の場合、エイズの危機、セクシュアリティ、情報化と身体、個人の身体と政治性といった90年代のアートの重要な主題を担っている。歴史的空白を残さないためにも、アーティスト、技術者、美術館、大学、研究者が連携して保存修復に取り組むことが求められる。
暗闇に浮かび上がる、裸体の男女のパフォーマー。水平のライン上を歩き、走ってきてはターンし、歩みよったふたりの像が重なりあい、あるいは出会うことなく反対方向へ歩き去っていく。両腕を広げ、自分自身の身体を抱きしめるように、あるいは不在の恋人と抱擁するように虚空を抱きしめ、孤独と尊厳を抱えて背後の暗闇に落ちていく。歩行と出会い、すれ違いと抱擁を繰り返す生身の肉体を、2本の垂直線がスキャンするように追いかける。線に添えられた、「fear」と「limit」の文字。生きている身体、その究極の証としての愛が、相手に死をもたらすかもしれないという恐怖。情報と愛という二極に引き裂かれながらも、パフォーマーたちの身体は軽やかな疾走を続けていく。今回の《LOVERS》の公開は、修復作業の設置状態での鑑賞だったため、本来は等身大で投影される映像が約半分のサイズであり、床面へのテクスト投影もなかった。今回の修復を契機に、完全な状態での公開が実現することを願う。

2016/02/14(日)(高嶋慈)

FUKUSHIMA SPEAKS アートで伝え考える 福島の今、これからの未来

会期:2016/01/22~2016/01/31

京都造形芸術大学 ギャルリ・オーブ[京都府]

東日本大震災と福島第一原発事故の後、文化芸術の力による福島の復興を目指し福島県で始められた「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」。本展は、その活動から生まれた美術作品を紹介し、復興に向かう現地の姿を伝えると同時に、問題意識の共有を図ろうとするものだ。出展作家は、美術家の岡部昌生と安田佐智種、華道家の片桐功敦、写真家の赤坂友昭と本郷毅史の5名。彼らがそれぞれの視点と手法で捉えた福島は、圧倒的なスケール、真摯な眼差し、鎮魂の情をもってこちらに迫ってきた。出展作家や福島県の美術館・博物館学芸員が参加したトークイベントも多数開催され、主催者の意図はひとまず達成されたと思う。1995年の阪神・淡路大震災の折、関西在住の筆者は東京発の報道に隔靴掻痒の感を幾度も覚えた。そして今、自分は逆の立場にいる。当時の記憶と現在の被災地への思いを風化させないために、このような機会を設けてくれた主催者に感謝したい。

2016/01/26(火)(小吹隆文)

楢木野淑子展

会期:2016/01/11~2016/01/23

アートサロン山木[大阪府]

トーテムポールのような円柱状の陶オブジェが印象的な楢木野淑子の作品。オブジェの表面には様々なモチーフが浮き彫りされ、色鮮やかな色彩も相まって、生命礼賛的なメッセージが感じられる。彼女はこれまでグループ展以外で器を発表したことがなかったが、今回初めて器だけの個展を行なった。ただし、器といっても一筋縄ではいかない。形態こそオーソドックスだが、全体に細密かつ色鮮やかな装飾がほどこされているのだ。特に目立つのは、図像の輪郭線を浮き立たせるイッチンという技法や、浮き彫りを多用していること。また、ペルシャ風の図像を多用し、パール系のキラキラした透明釉を上がけしているのも大きな特徴である。見る人によって好き嫌いがはっきりと分かれそうだが、オリジナリティという点では申し分ない。おそらく鑑賞用の器だと思うが、あえてこれらに料理や菓子を盛ってみるのも面白そうだ。

2016/01/14(木)(小吹隆文)