artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

プレビュー:プライベート・ユートピア ここだけの場所 ブリティッシュ・カウンシル・コレクションにみる英国美術の現在

会期:2014/04/12~2014/05/25

伊丹市立美術館、伊丹市立工芸センター[兵庫県]

英国の公的な国際文化交流機関ブリティッシュ・カウンシルが所蔵する、絵画、写真、映像、立体など約120作品で、英国美術の動向を紹介する。1990年代に一世を風靡したYBA(ヤング・ブリティッシュ・アート)世代のギャリー・ヒューム、サラ・ルーカス、ジェイク・アンド・ディノス・チャップマンら、ターナー賞を受賞したマーティン・クリード、グレイソン・ペリー、サイモン・スターリングなど、28作家・計30名のアーティストが出品。関西初紹介の作家も数多く含まれるということで、1990年代以降の英国現代美術を知る絶好の機会となりそうだ。

2014/03/20(木)(小吹隆文)

大きいゴジラ 小さいゴジラ

会期:2014/02/25~2014/03/30

川越市立美術館[埼玉県]

映画『ゴジラ』が公開された1954年は、アメリカによる水爆実験「キャッスル作戦」がマーシャル諸島のビキニ環礁で行なわれ、第五福竜丸を巻き込んで被爆させた年である。その一方、同年は当時中曽根康弘らによって原子力研究開発予算が国会に提出され、読売新聞社主催の「誰でもわかる原子力展」が新宿伊勢丹で催されたように、日本の原子力政策の原点が刻まれた年でもある。ゴジラは被爆と原子力の平和利用という矛盾が凝縮した時代に誕生したのである。
それから60年後。ゴジラをめぐる社会状況が激変したことは言うまでもない。美術家の長沢秀之は映画のゴジラを「大きいゴジラ」としたうえで、東日本大震災によって「小さいゴジラ」が生まれたと設定した。本展は、その「小さいゴジラ」という未見のイメージを、美術家や美大生、小学生らが想像的に造形化した作品を一挙に展示したもの。市民参加やワークショップの体裁を採用しながら、そうした限界芸術の地平から現在進行形の同時代性を獲得した、非常に画期的な展覧会である。
窪田夏穂による《デモンストレーション・ゴジラ》は、9枚の短編マンガ。ゴジラの救出を訴える街頭デモをめぐる人間模様を筆ペンで簡潔に描いた。作画には黒田硫黄の影響が少なからず見受けられるものの、熱を帯びたデモ参加者と、彼らに注がれる冷ややかな視線のギャップの描写が生々しい。ここでのゴジラに「脱原発」が重ねられていることは明らかだが、ゴジラの被り物に身を入れることで初めてデモに参加することができた主人公の身ぶりには、正面切って脱原発を訴えることの難しさと、脱原発運動がゴジラのような求心力のある明確な象徴を依然として持ちえていない難しさという、二重の困難が投影されているように思われた。
《日常のゴジラ(2012年の夏)》で野間祥子と藤田遼子が描いたのは、都市の日常的な光景。一見するとなんの変哲もない街並みだが、よく見ると画面の奥のビル群はいずれも奇妙に歪み、傾いている。大きいゴジラは街を滅茶苦茶に破壊したが、まさしく東日本大震災に端を発する放射能汚染がそうであるように、小さいゴジラの脅威は見えにくいということなのだろう。逃げ出してくる人びとを尻目にスマホをいじる人物像は、知覚しえない脅威に想像力を働かすことのない現代人の肖像なのだ。
小さいゴジラを創出する道筋をつけた本展の意義は大きい。時代を正視することを避けるアーティストが多いなか、この経験はひとつの光明である。

2014/03/18(火)(福住廉)

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3.11映画祭 特別トーク「新しいフクシマをつくる~福島第一原発観光地化計画~」

3331 Arts Chiyoda[東京都]

アーツ千代田3331の3.11映像祭に併せた特別トークのイベント「新しいフクシマをつくる~福島第一原発観光地化計画~」にて、筆者がモデレータをつとめ、東浩紀がフクイチ計画の概要、井出明がダークツーリズムと震災遺構、津田大介がチェルノブイリと福島ツアーについて語る。昨年、同じ場所でアーキエイドがやはりツーリズムをキーワードに復興計画を語っていたことの続編になるだろう。このトークに備えるべく、ゲンロンによるチェルノブイリ取材のドキュメント『19862011』(小嶋裕一監督)を見る。声や音も入る映像だけに、ダークツーリズム・ガイドの本というメディアでは伝わらない現場のライブな空気感が伝わる。これを見ると、やはりチェルノブイリに行きたくなる。

2014/03/17(月)(五十嵐太郎)

イメージの力──国立民族学博物館コレクションにさぐる

会期:2014/02/19~2014/06/09

国立新美術館[東京都]

国立民族学博物館が所蔵する34万点の資料から選び出した約600点を見せる展覧会。博物館における「器物」や美術館における「作品」という制度的な分類を突き抜けた、人類による造形の力をまざまざと感じることができる。
会場に一歩踏み入れた瞬間、そこはまったくの異世界。壁一面に並べられた世界各国の仮面はすさまじい妖力を放っているし、垂直に高くそびえ立つ葬送のための柱「ビス」を見上げていると魂が吸い上げられるかのように錯覚する。いかにも漫画的なトコベイ人形やフーダ人形に笑い、観音開きの箱の内側に人形を凝縮させたリマの箱型祭壇におののく。文字どおり一つひとつの造形に「釘づけ」になるほど、それぞれの求心力が並外れているのだ。
けれども、その求心力とは、おそらく現代人の視線から見た異形に由来するだけではない。それらの造形の大半が宗教的な儀礼や物語、すなわち神や精霊、死と分かちがたく結びつけられていることを思えば、それらの底には見えないものをなんとかして見ようとする並々ならぬ意欲と粘着性の視線が隠されていることに気づかされる。そのような「イメージの力」にこそ、私たちは圧倒されるのだ。
興味深いのは、人類史にもとづいた造形の豊かさをこれだけ目の当たりにすると、美術史を背景にしたアートがいかに貧しいかを実感できる点である。アーティストたちの着想の源を見通せるだけではない。通常美術館で鑑賞する作品を脳裏に思い浮かべたとしても、目前の造形にとても太刀打ちできないことは想像に難くない。事実、後半に展示されていた、銃器を分解して彫像に再構成したアート作品や、あたかも美術展におけるインスタレーションのように展示された器物などは、器物の豊かさを逆説的に強調する材料にはなりうるにしても、基本的には美術の貧弱さを再確認するものでしかない。
思えば、現代アートの現場にもっとも欠落しているのは、こうした人類史の水準ではなかったか。人類が創り出してきたイメージの歴史と比べれば、モダニズム絵画論やアートマーケット、美術館、芸術祭などをめぐる昨今の議論のなんとせせこましいことだろう。「美術」ですら明治に輸入された概念にすぎないことを私たちはすでに知っているのだから、もうそろそろ、ものをつくる身ぶりと思考を人類史の地平に投げ出すべきではないか。

2014/03/12(水)(福住廉)

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中崎透×青森市所蔵作品展「シュプールを追いかけて」

会期:2014/02/08~2014/03/16

国際芸術センター青森 ギャラリーA[青森県]

国際芸術センター青森で開催していた中崎透×青森市所蔵作品展「シュプールを追いかけて」へ。安藤忠雄がデザインしたカーブする大空間に、博物館から借りた雪にまつわる道具を大量に展示しながら、前半は青森とスキーの関係史をたどり、折り返して後半は展覧会のメイキングを紹介する。あいちトリエンナーレ2013では長者町の偽史として架空の撮影所を捏造したが、今回は本当の歴史だ。そしてスキーも文化なのだと実感する。

2014/03/01(土)(五十嵐太郎)