artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

「驚異の部屋 京都大学ヴァージョン」東京展

会期:2013/11/01~2014/05/25

インターメディアテク[東京都]

JPタワー学術文化総合ミュージアムのインターメディアテクへ。今回の特別展示は、「驚異の部屋 京都大学ヴァージョン」である。やはり、ここは東京大学のコレクションによるモノ自体も面白いが、巨大なスペースといい、カッコいい展示の手法といい、日本離れしたミュージアムの雰囲気だ。吉田鉄郎の設計した東京中央郵便局のスケール感を生かしつつ、写真や旧建物の窓枠などを活用しながら、その建物の記憶も展示している。

2014/02/27(木)(五十嵐太郎)

山下陽光のアトム書房調査とミョウガの空き箱がiPhoneケースになる展覧会

会期:2014/01/18~2014/03/23

鞆の津ミュージアム[広島県]

広島に原爆が落とされたあと、広島県産業奨励館(現原爆ドーム)の前に「アトム書房」という古本屋が開かれた。店主は、当時21歳の復員学徒兵、杉本豊。店内に自分と姉の蔵書1,500冊を並べ、店頭には「広島で最初に開いた店」と英文のハリガミを貼り出した。そのねらいを杉本は「これほど破壊されても、日本人はすぐ立ち上がるぞと、気概を進駐軍に示したかった。満州大連育ちで、外国人に臆することはなかったが、被爆の惨状を目の当たりにして複雑な気持ちだった」と回想している(『毎日新聞』2005年6月4日、夕刊、5頁/『にっぽん60年前』毎日新聞社、2005、p.14)。
アトム書房の存在は長らく忘れられていたが、それを改めて発見した山下陽光が調査を開始。その背景に、再び核の脅威にさらされた東日本大震災の経験があることは言うまでもない。およそ3年におよぶ持続的な調査の成果を、彼のこれまでの活動と併せて、本展で発表した。
興味深いのは、山下による粘り強い調査が、アトム書房にとどまらず、当時の広島の美術界にもおよんでいることだ。比治山で画材屋を営んでいたダダイストの山路商や、その周りに集っていた靉光、船田玉樹、丸木位里、末川凡夫人、浜崎左髪子。そうした画家たちと杉本豊のあいだに何かしらの接点があったのではないかというのが、山下の仮説である。
残念ながら、その仮説はいまのところ完全に立証されているわけではない。だが、山下の調査が優れているのは、その調査対象をあらかじめ限定することなく水平軸で歴史を見ようとしている点である。現行のアカデミズムによれば、美術史は美術、文学史は文学、映画史は映画というように、それぞれの対象を棲み分けて考えている。しかし現在の私たちの現実が特定のジャンルに収まるわけではないように、歴史の実像はそうした垂直軸によって明確に分類できるはずもない。本展の雑然としながらも濃密な展示は、専門化された歴史研究の暗黙の前提に大いなる反省を迫っているのである。
アトム書房という入口から敗戦前後の広島に降り立った山下は、当時の街の風景や人間模様を重ねながら現在の広島の街を歩くことができるという。そこまで徹底してはじめて、杉本豊をはじめとした当時の人びとの心情や内面に思いを馳せることができるのだろう。山下陽光によって切り開かれた歴史と想像力が両立する地平は、まだまだ先に延びてゆくに違いない。

2014/02/25(火)(福住廉)

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東日本大震災被災地めぐりロケ 2(南相馬市)

[福島県]

引き続き、毎日放送の取材で、福島の小高へ。駅から西側は、地震の被害は軽度、津波も1階に浸水程度だったが、しばらくは立ち入り禁止区域となり、いまも放射線量のため日中のみ居ることが許され、夜は泊まれない。一見、普通の駅前のメインストリートなのに、誰も歩いていない。除染の袋だけがあちこちに積まれていた。20km圏内で止められていたとき、仙台から南相馬へ下りると、二軒の住宅のあいだに境界線が引かれている理不尽な場所があり、ここは園子温の映画『希望の国』の着想源になったところだ。今回、現状を知るべく再訪すると、まだ同じ場所に通行禁止の柵があった。20km圏がなくなったのに、なぜか境界線が残っている。その後、20km圏内で手つかずだった他の場所をまわると、現在も壊れた建物がそのまま残っている。石巻や女川では、かつて目にした廃墟は消えたが、ここでは3.11から時間が止まったかのようだ。生活の雰囲気が残った、一部損壊になった海辺の農村集落を歩く。こうした場所は、放射線の影響で震災遺構となるのかもしれない。被災地をあちこち案内しながら、いつのまにか自分も直後の風景を記憶している語り部のひとりになっていることに気づく。もっとも、これは2011年3月下旬に思ったことなのだが。南相馬から仙台に戻る途中、東北大の五十嵐研が手がけた仮設住宅地の塔と壁画のある集会所に立ち寄る。カラオケ大会の最中で、楽しそうに使われていた。

写真:上=誰もいない小高のまち。中上=除染袋。中下=生活の雰囲気が残る農村集落。下=塔と壁画のある集会所。

2014/02/21(金)(五十嵐太郎)

イメージの力──国立民族学博物館コレクションにさぐる

会期:2014/02/19~2014/06/09

国立新美術館 企画展示室2E[東京都]

とても刺激的な展覧会だった。大阪・千里万博公園の国立民族学博物館が収蔵する34万点もの民族資料から、約600点を選りすぐって展示している。「プロローグ─視線のありか」のパートに並ぶ世界各地のマスクから、「第1章 みえないもののイメージ」「第2章 イメージの力学」「第3章 イメージとたわむれる」「第4章 イメージの翻訳」「エピローグ─見出されたイメージ」と続く展示は、圧巻としか言いようがない。目玉が飛び出し、口が裂け、体のあちこちが極端にデフォルメされたマスクや神像は、リアルな再現性からはほど遠いものだ。にもかかわらず、それらは魂の奥底に食い込み、始源的な記憶を引き出してくるような強烈なパワーを発している。これらのコレクションを見たあとは、並みの現代美術などは吹き飛んでしまうのではないだろうか。
考えたのは、このような民族資料を写真として提示するときにはどのような形がいいのかということだ。本展のカタログにも展示物の写真が掲載されているが、典型的な白バックの物撮り写真で、面白みはまったくない。たしかに、出品物の外観は細部まできちんと捉えられているが、あの圧倒的なパワーが完全に抜け落ちてしまっているのだ。理想をいえば、マスクや衣装や装飾品は、それらを実際に使用している人たちに、その場で身につけてもらって撮影したい。彫像なども現地の環境で見ると、まったく違った印象を与えるのではないだろうか。ちょうど津田直のサーメランドの写真のなかに、民族衣装を身につけた住人の素晴らしいポートレートがあったのを見た直後だったので、余計にそう感じてしまった。

2014/02/21(金)(飯沢耕太郎)

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プレビュー:Future Beauty 日本ファッション:不連続の連続

会期:2014/03/21~2014/05/11

京都国立近代美術館[京都府]

20世紀後半以降、世界から注目を浴びている日本のファッション。その豊かな創造性・独自性を、1960年代の森英恵、1970年代の高田賢三と三宅一生、1980年代の川久保玲と山本耀司をはじめとするファッション作品100点以上、並びに映像や関連資料などで浮き彫りにする。日本のファッションの特徴として挙げられるのは、日本の伝統的な美意識とも共通する、平面性、素材の重視、無彩色だが、本展ではそれらに加えて、日本の高度な工芸技術や各時代の前衛芸術との関わりにもスポットを当てる。さらに、21世紀以降顕著になったアニメ、漫画などのサブカルチャーや、インターネットとの関係、高度にシステム化されたファッション制度からの逸脱にも触れ、今日のファッションについても考察する。

2014/02/20(木)(小吹隆文)