artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
うた・ものがたりのデザイン─日本工芸にみる「優雅」の伝統
会期:2014/10/28~2014/12/07
大阪市立美術館[大阪府]
平安時代より日本の美術工芸は、源氏物語や伊勢物語、詩歌、謡曲などの文芸と密接に関わりながら多様なデザインをうみだしてきた。今展は小袖、蒔絵、料紙装飾、硯箱、刀の鞘、陶磁器など、平安時代から江戸時代までの作品約140点によって、工芸意匠と文芸との関係を探ろうというもので、国宝や重要文化財の作品も多数展示された。会場は序章「王朝のデザイン 葦手と歌絵」、第一章「和漢朗詠集のデザイン」、第二章「和歌のデザイン」、第三章「物語のデザイン」、第四章「謡曲のデザイン」の5章からなる展示構成。息をのむほど精緻な表現技術の蒔絵手箱、源氏物語の場面を表すさまざまな風物を刺繍した着物など、華麗な展示品の数々には目を奪われっぱなしだったのだが、なかでも私が惹かれたのは国宝の《葦手絵和漢朗詠集(あしでえわかんろうえいしゅう)下巻》をはじめとする「葦手」の展示だった。平安時代に流行したという「葦手」は文字を絵画化した装飾文様。物語世界の意味を伝え、謎ときのヒントとしての「語り手」でもある。詩歌の音や文字のリズムと絡みながら、植物や鳥、水といった風物のモチーフが入り混じり、流れるようにゆるやかなイメージで読み手を物語世界に誘う。知識のない私には解説がなければ何が書いてあるのかもわからないのが残念だが、遊び心に溢れた優美な造形センスとその想像力に、物語世界を思い描く作者の心を垣間見るようだった。ボリュームもさることながら全体的に素晴らしい内容だった本展。会場もわりと空いていてゆっくりと鑑賞することができたのも嬉しい。
2014/12/06(土)(酒井千穂)
韓国漫画博物館
[韓国、京畿道富川市]
韓国漫画博物館(2000年開館)は、東大門のデザインプラザとは対照的に、しっかりとした常設展示で、韓国の漫画史を紹介し、展示の工夫もさまざまで楽しい。開架のライブラリーもそれなりの量を自由に手にとれる。改めて、多くの日本漫画が韓国に入っていることがよくわかる。日本でも、国立の漫画博物館をつくるべきではないか。学芸員と面会し、日本の漫画と比較しつつ、韓国の漫画における窓表現についてヒアリングを行う。80年代前の検閲によってリアリズム表現を避け、建築などの背景を記号化したこと。日本と韓国の住宅事情、長期連載や日常生活表現の違いなど、興味深い話をうかがう。
2014/11/28(金)(五十嵐太郎)
Akinori UENO Miki eco echo ego
会期:2014/11/04~2014/11/16
GALERIE H2O[京都府]
壁面に2点の絵画がある。1点は植物を描き、もう1点は都市風景を真上から描いたものだ。やがてCG映像とピアノ音楽が始まり、絵画と混ざってファンタジックな世界をつくり上げる。植物には木漏れ日が差し込み、都市風景には無数の光の粒が浮遊する。画面からビルが立ち上がり、光りの雲に覆われたかと思うと、赤い光線が高速で動き回り、2点の絵画を包み込む。やがて壁面全体が光の粒に包まれ、草木がなびく草原へと変化し、再び光の雲に覆われたかと思うと、色鉛筆のような質感の無数の直線が走り、最後は水滴に覆われた画面が崩落して、静寂と共にもとの状態に戻るのだ。絵画と映像と音楽がこの上なくマッチした、4分45秒の小トリップであった。
2014/11/11(火)(小吹隆文)
「関東大震災 震源地は神奈川だった──よみがえる被災と復興の記録II」展
会期:2014/09/18~2014/09/30
湘南くじら館「スペースkujira」[神奈川県]
関東大震災の記録資料を見せる展覧会。当時の雑誌、新聞、書籍、錦絵、絵葉書など、約200点を展示した。昨年、同館はほぼ同じ主旨と内容の展観を催したが、今回は昨年に横浜市発展記念館が開いた「関東大震災と横浜」展に貸与していた資料も含めたので、昨年よりバージョンアップされた内容と言える。
あまり知られていないことだが、関東大震災の震源は神奈川県内にあった。家屋の倒壊等の被害も、東京や千葉に比べて神奈川県内が圧倒的に多い。本展で展示された《横濱大地図》を見ると、横浜市の中心部の大半が消失していたのが一目瞭然である。『横浜最後の日』という書籍が発行されたほど、その被害はすさまじかった。
けれども、その一方で見て取れたのは、そうした悲劇的な災害を受け取る民衆の健やかで力強い精神性である。飛ぶように売れたという絵葉書は震災の被害を記録した写真をもとにつくられていたが、あわせて展示されたもとの写真と見比べてみると、絵葉書には瓦礫の山に煙や炎が加工されていることがわかる。迫真性を増すための人為的な操作は、ジャーナリズムという観点にはそぐわないが、民衆の欲望にかなう表現という意味では、ある種のキッチュとして考えられなくもない。民衆は、震災に慄き、震えながらも、同時に、破壊された都市の荒涼とした風景を見たいと切に願っていたのであり、だからこそ絵葉書は加工され、大いに消費されたのだ。
さらに《大東京復興双六》や《番付帝都大震災一覧》などには、震災すらも、双六や番付で表わして楽しんでしまう民衆の姿が透けて見えるかのようだ。後者は、まさしく相撲の番付表のように、一覧表の上部に太く大きな文字で大きな出来事が書かれ、下部に細く小さな文字で小さな出来事が記されたもの。よく見ると、「首のおちた上ノ大佛」や「大はたらきのかんづめ類」といった大きな文字の下に、「まっさきにやけた警視廰」とか「避難民にくはれたヒビヤ公園の鴨」などの小さな文字がある。民衆は、公権力を嘲笑したり生存意欲をなりふり構わず露わにしたりしながら、震災という非常事態をたくましく生き延びていたのだろう。
本展で展示されたおびただしい資料は、同館スタッフの小山田知子の祖父、佐伯武雄が個人的に収集したもの。当時青山に居住していた武雄は所用で出かけた茅ヶ崎で被災したが、その二日後に、息子が誕生した。その一報を受けた武雄は、手紙で「震太郎と名づけよ」と伝えたという。当時、震太郎や震也、震子などの名前は珍しくなかったそうだ。「震」の文字が名前に含まれていることは、現在の感覚からするとかなり奇特に見えるが、おそらく武雄はそうすることで自らが経験した天変地異を後の時代に伝えようとしたのかもしれない。だが、そこには出来事の伝達ばかりでなく、その壮絶な出来事をたくましく生き延びる健やかな精神性も、きっと託されていたに違いない。
2014/09/28(日)(福住廉)
ヘルシンキ空港
[フィンランド、ヘルシンキ]
ヘルシンキで感心したのは、空港や公共施設など、どこでもWi-Fiフリーの環境が当たり前のように存在していたこと。日本のWi-Fi環境も、これに見習って、もっと良くなって欲しい。またフィンランドの空港の什器も何気にインテリアがカッコいいし、待ち合いの座席に間仕切りもない。一方、乗り換えで滞在したモスクワの空港は、ほぼすべての椅子に間仕切りをつけ、長時間を過ごす乗り換え客は辛いだろう。
2014/09/23(火)(五十嵐太郎)