artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

家庭遺産

会期:2013/12/07~2013/12/28

静岡市クリエーター支援センター(CCC)2Fギャラリー[静岡県]

「家庭遺産」とは、どんな家庭にもある、家族の思い出が詰まった宝物のこと。捨てるに捨てられないまま、いつのまにか歴史的遺物のように保存してしまっているものと言えば、誰もが思い当たる節があるはずだ。そんな家庭遺産の数々を、漫画家の天久聖一の呼びかけによって全国から集め、一挙に展示したのが本展である。
限界ぎりぎりまで削り取られた鉛筆のコレクションや、ロゴを母が縫い合わせたナイキの(ような)手袋、オードリー・ヘップバーンの直筆サイン、ボーイ・ジョージの描き方などなど。一見するとどこにどんな価値があるのかわかりにくいが、作品と併せて掲示された応募者による解説文を読むと、一つひとつの作品にはそれぞれエピソードが随伴していることがわかる。
《サザエさんの新聞切り抜き》は、文字どおり切り抜いたサザエさんの4コマ漫画をホッチキスでまとめたもの。これらは、40年以上前に社宅の子どもたちのなかでボス的存在だった応募者の姉が、ある日突然朝のラジオ体操を始め、ラジオ体操が終わると子どもたちに配っていたものだという。ある種の「褒美」として与えられていたのか、それとも「貨幣」のように流通していたのか。家庭遺産の背後からそれぞれの物語が立ち上がってくるのだ。
なかでも傑出していたのが、《父の足跡》である。展示されたのは、ピカピカの床についた足跡を写しただけの、いかにも凡庸な写真。だが、これは4年前に亡くなった応募者の父親が生前にかけたワックスの上に残した足跡だという。決して見えるわけではないせにせよ、掃除に熱を入れる父親の姿が目に浮かぶ。応募者である娘の無精のおかげで、これが奇蹟的に現存しているという対比も面白い。
たしかに家庭遺産はおおむね個人的であり、普遍的な価値が認められにくいものも多い。けれども、それらが私たちの想像力を刺激しながら、それぞれの「家庭」というフレームを超えて私たちのもとに届いていることは事実である。個人的な表現に普遍的な価値を与えてきた近代芸術が隘路に陥ったとすれば、家庭遺産はその白紙還元から新たな芸術を探り出す画期的な試みとして評価できると思う。その萌芽は、美術館や画廊にではなく、あまつさえアーティストの手のなかにですらなく、私たち自身のそれぞれの家庭のなかに眠っているのかもしれない。

2013/12/27(金)(福住廉)

プレビュー:iTohen開設10周年記念作品展

会期:2013/12/11~2013/12/28

iTohen[大阪府]

大阪市北区のiTohenは、2003年12月に開業したスペースで、書店、ギャラリー、デザインオフィスが融合した形態となっている。扱うジャンルは多様だが、ファインアートとコマーシャルアートの中間領域を積極的に取り上げるのが特徴だ。関西では2000年代の初頭に同様のスペースが数多く誕生したが、月日とともに淘汰された。iTohenはアーティストと観客双方から信任を得た幸福な一例と言える。彼らが、開設10周年を記念した展覧会を開催する。内容は、過去に展覧会を行なった作家たちの小品展だ。画廊の軌跡を振り返りつつ、ギャラリーというシステムの今後を考える場としたい。

2013/11/20(水)(小吹隆文)

田中正造をめぐる美術

会期:2013/10/12~2013/11/24

佐野市立吉澤記念美術館[栃木県]

田中正造の没後百年を記念した展覧会。田中正造の肖像画をはじめ、丸木位里・俊による《足尾鉱毒の図》、小口一郎による連作版画《野に叫ぶ人々》、さらに田中正造自身による墨竹図や、田中正造が奮闘した渡良瀬川流域で現在制作している下川勝と光山明の作品も併せて展示された。小規模とはいえ、非常に充実した展覧会だった。
なかでも特筆したいのは、小口一郎の版画である。画面の大半が黒い版画は、必然的に主題に暗鬱とした空気感を添えているが、それだけではない。小口の版画の画面構成には、おそらくルポルタージュ絵画の中村宏にも通底する映画的な感性が大きく作用しているように思われる。《直訴》は、官憲による制止を振り払って直訴状を届けようとする田中正造の姿を描いた作品。動く被写体にカメラが寄っているような臨場感がある。しかも中央に握りしめた直訴状、右側に押し寄せる官憲、左側にムシロを掲げて行進する農民たちを置いているため、画面には左方向へ突き進む力と右方向に引き戻す力が拮抗しているようにすら感じられる。また、《川俣事件その2》は、請願に向かう被害農民たちと彼らを弾圧する官憲たちの乱闘を描いた作品だが、これは中村宏の《砂川五番》と同じように、画面の両端に奥行きをもたせた魚眼レンズで見たような構図を採用しているため、黒澤映画のような迫力があるのだ。
小口一郎の黒い版画が表現しているのが、止むに止まれず直訴という直接行動を実行した田中正造の緊迫した心情であることは間違いない。それが、東日本大震災以後の私たちの暗い心情と大きく共鳴することも疑いない。会場には鉱毒によって毒された土を除去する農民を写した写真が展示されていたが、これを見た誰もが放射性物質によって毒された土地を除染する今日の現代人を重ねざるをえないだろう。「真の文明は山を荒らさず川を荒らさず村を破らず人を殺さざるべし」という箴言も、今となってはこれまで以上に広く行き渡るに違いない。
ただ、田中正造にそうした今日的なアクチュアリティが認められることは確かだとしても、その一方でアクティヴィストという定型的なイメージには収まりきらない田中正造を見ることができたのも事実である。
たとえば、官吏として東北に赴任した頃に描かれた《田中正造御用雑記公私日記》。小さな紙面に微細な文字と図で農具や用水についての記録が丁寧に取られていて、田中正造の律儀な仕事ぶりが伺える。今日で言うところの民俗学者のような身ぶりを体現していたのだ。あるいは、自筆による《墨竹図》が展示されていたように、田中正造は少年時代に同館の由来である吉澤松堂に画を学んでいた。ところがうまく習得できなかったというから、いわば絵に関しては劣等生だったのだ。
絵描きになり損なった者が、絵描きに描かれるほど、絵以外の領域で大成する。つまり絵描きは民俗学者になりうるし政治家にもなりうる。本展で照らし出されていた田中正造のイメージが示しているのは、言ってみれば敗北の歴史である。しかしそれは必ずしも屈辱的なものではない。田中正造は敗北の先を切り開き、後続の者がさらにその先を目指しているからだ。

2013/11/19(火)(福住廉)

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フェスティバル/トーキョー13 東京ヘテロトピア

会期:2013/11/09~2013/12/08

[東京都]

高山明の東京ヘテロトピアは、携帯ラジオをもって、都内のアジアと所縁のある地をめぐって、そこで音声を聴くツアー形式の作品である。全部のスポットをまわるのは難しいが、池袋と朝鮮独立運動、新大久保とネパール人のコミュニティを訪れた。確かに、その場で語りを聴くことで、都市の見え方が変わる。

2013/11/17(日)(五十嵐太郎)

五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年

会期:2013/10/11~2013/12/23

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

東京オペラシティアートギャラリーの「五線譜に描いた夢」展へ。美術館で開催されることと、このタイトルから、勝手に図形楽譜などの展示が中心だと思ったら、明治から現代までの150年の音楽史だった。予想とは違ったが、近代以降の日本における西洋音楽の受容を振り返る貴重な内容である。これは本来、どこかで常設されているべきものだろう。斜めを基調とする会場デザインも印象に残る。

2013/11/17(日)(五十嵐太郎)

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