artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

東日本大震災被災地めぐりロケ 1(石巻市、女川町、南三陸町)

[宮城県]

毎日放送による震災遺構の取材で、久しぶりに石巻を訪れた。日和山から激しく被災した南浜町を見下ろすと、津波に耐えていた大きな病院や石巻文化センターが消え、更地同然となり、残ったものでは寺院と墓だけが目立つ。街を歩くと、かろうじて道路のパターンから、あるいはわずかに残る塀や基礎から住宅街の痕跡を読み取れる。もはや震災後に目撃した住宅地の廃墟が幻のようだ。そして火災も起きた門脇小学校のファサードには覆いがかかる。コンビニ跡地には、永遠の火があった。南相馬でも阪神淡路大震災から譲りうけた火が設置されていたが(陸前高田にもあるらしい)、以前、永遠の火という概念やイメージを調べていたので興味深い(たぶん、聖火にもつながる)。ただし、被災地では、地面の裂け目から火が出るタイプではなく、ランプ型ものだ。続いて女川へ。途中にあったひどい冠水エリアは改良されていた。津波で流され、横倒しになった江島共済組合向いの、七十七銀行跡地には、屋上で亡くなった職員の遺族のメッセージが置かれている。ここは旧交番しか震災遺構として残らないようだが、かさ上げにより、すでに地形や道路パターンまで大きく変わり、街を思い出すトリガーがかなり失われていた。

写真:上=日和山から臨む。写真中央には残された墓が見える。中=永遠の火。下=江島共済組合

2014/02/19(水)(五十嵐太郎)

せんだいスクール・オブ・デザイン 2013年度秋学期学内講評会

東北大学片平キャンパス都市建築学専攻仮設校舎プロジェクト室1・2、ギャラリートンチク[宮城県]

せんだいスクール・オブ・デザインの学内発表会を行う。筆者が担当するメディア軸は、『S-meme』7号を制作した。今回の前衛的な装幀は、全ページがリング状につながり、その表裏に印刷されたリバーシブルである。したがって、本が広がり、その中をくぐったり、数人で回転寿司のように読むことができる。本が空間を獲得し、オブジェのような形態にも変わる。7号のテーマは、「仙台文学・映画の想像力」だ。メイン講師の文芸批評家・編集者の仲俣暁生と、荒蝦夷の編集者・土方正志のレクチャーを収録しつつ、震災後文学の書評を数多く掲載し(黒川創、古川日出男、川上弘美、佐伯一麦2冊、高橋源一郎、三浦明博、伊坂幸太郎、いとうせいこう2冊、瀬名秀明、橋本治、玄侑宗久、熊谷達也、絲山秋子など)、受講生の議論によって、S-meme震災後文学賞を決定した。その結果、選ばれたのは、玄侑の『光の山』である。また全員で仙台文学館を訪れ、こう改良したらいいという提案20を練って、担当の学芸室長とトークを行った内容や、ここの資料を活用した宮城の文芸誌の装幀史も含む。ほかに文学系では、西村京太郎と伊坂幸太郎の仙台を描いた小説の比較、文学に描かれた仙台のX橋論など。映像サイドでは、せんだいメディアテークの小川直人のレクチャー、仙台を描いたアニメ『Wake Up, Girls!』論。またオーストラリアのクイーンズランド大学とのワークショップで、映画化された伊坂の『ゴールデンスランバー』をブリスベンでロケハンする作業を通じて、二都市の比較を行った。

2014/02/14(金)(五十嵐太郎)

建築家と共同作業

世間を騒がせている作曲家のゴーストライター事件から思うこと。逆に建築家は映画監督と同じく集団制作が一般的であり、設計事務所はいわば建築家の集団でもある。以前、某エンタメ番組から丹下健三でクイズを作りたいと電話があり、しゃべっていて気づいたのは、すべての図面を丹下ひとりが描いていると誤解していたこと。公共施設を手がけるような建築家ではありえない。実際、建築の共同制作は、学生のときから始まっており、例えば、卒計の全図面と模型を本人だけでつくる人はほとんどいない。学生は多くのヘルプを使うし、模型が巧い下級生を求める。だから、卒計の講評会やせんだいデザインリーグなどで、目の前に重要な模型があっても、本人自らつくっているとは、審査委員を含め、誰も思わない。そもそも建築家が図面をひとりで描いたとしても、施工まで行うことはない。セルフビルドは例外中の例外である。図面の段階でも、年に住宅をひとつしかこなさない小さな事務所でないかぎり、所長の個人作業ではないことが一般的だ。が、素朴な天才神話を建築にあてはめると、丹下でもすべての図面を引いていると信じられてしまう。

2014/02/08(土)(五十嵐太郎)

鈴木博之先生逝去

鈴木博之先生が亡くなられたことを知る。もともと筆者は学部生のとき、鈴木先生の活動を知って、建築史と批評に興味をもつようになった。とりわけ、文学的な想像力を交えながら、装飾の豊かさに光を当て、近代への異なるまなざしをもった『建築の世紀末』と、前衛批判の『建築は兵士ではない』などの著作から、大きな影響を受けている。大学院では別の研究室に進んだが、その後も現代建築に関する翻訳や仕事、博士論文の書籍化を担当してもらった編集者の紹介など、いろいろとチャンスをいただき、お世話になった。ご冥福をお祈りする。

2014/02/06(木)(五十嵐太郎)

週刊ダイヤモンド(2014年2/22号)

『週刊ダイヤモンド』がマーケティングの特集を組むということで、ヤンキーに関して取材を受ける。以前、某誌でヤンキー研究者と書かれたのだが、実際は筆者から一言もそう自称せず、『ヤンキー文化論序説』の編著をしただけで、専門ではないが、それでもよいかと、いつも事前に確認している。そのうえで、この本を刊行した2009年と現在の違いを改めて考えた。この本を出したときは「文化」論がメインだった。が、その後、斉藤環が『世界が土曜の夜の夢なら』(角川書店、2012)において、橋下現象をヤンキーと結びつけたように、政治上でも前面化している。橋下自体の勢いはかつてより衰えたが、橋下的なるものはむしろ広がっているのではないか。根性と精神で乗り切れる、売られたケンカはやり返せ、キリッ! 内向きには、それで政治家の人気は上がるだろう。しかし、権力者が、国際政治も、気合いのヤンキー・スピリットでのりきれると思われては困る。どこの国にも内向きのヤンキー精神はあるだろうし、それはそれで一定の意味はあると思うが、外交の場において、むきだしにするものではない。そうした意味で、ヤンキー論は「政治」の問題にも、リアルに射程が及ぶようになった。

2014/02/03(月)(五十嵐太郎)