artscapeレビュー
パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー
プレビュー:Dance Fanfare Kyoto vol.03

会期:2015/05/29~2015/06/27
元・立誠小学校[京都府]
「ダンス作品のクリエーションを通して、身体の可能性を探る実験の場」として、アーティストと若手制作者によって2013年に立ち上げられたDance Fanfare Kyoto。3回目の開催となる今年は、3企画5作品と上演プログラム自体の数は減ったものの、これまでの蓄積を活かした密度の濃い内容が期待される。
3つの企画を簡単に紹介すると、PROGRAM 01「ダンス、なんや?」は、ヨーロッパ企画の演出家・上田誠と、contact Gonzoの塚原悠也の2人に、それぞれダンスを演出した作品をつくってもらうというもの。個人的に注目したいのが、「contact Gonzoが普段はあえてやらないことを持ち込む」という塚原悠也の演出作品。野外でなく、屋内のリハーサル室で稽古することと、「振付」という言葉を使わずに「動きを細かくデザインする」と言い換えることで、ダンスの定義を異なる角度から問い直す試みを目指すという。
また、PROGRAM 02「美術×ダンス」では、ペインターの指示をダンサーがムーブメントとして表出することで、「絵画」がライブ的に生成されていくという試みが予定されている。PROGRAM 03「ねほりはほり」は、主に非ダンス関係者がインタビュアーとして参加し、振付家との対話を継続して行なうことで、ダンス、身体、クリエーションについての言葉を掘り下げていこうという企画。私は過去3回にわたって、この企画のインタビュアーとして参加しているが、観客という外側の視線でもなくドラマトゥルグという内側の視線でもない不思議な立場から、作品の制作プロセスを眺め、振付家の思考の基底部分や揺らぎを観察するという、とても刺激的な経験をさせていただいている。
Dance Fanfare Kyotoの特徴として、演劇の演出家や音楽家、美術作家など、異ジャンルのアーティストとのコラボレーションワークに積極的に力を入れてきたことが挙げられる。若手アーティストのショーケースという枠組みを超えて、今後の相互活性にどう実を結ぶかが期待される。
公演開催日:2015/05/29~31、04/25、05/17、06/27
*04/25、05/17、06/27の会場は元・立誠小学校以外の会場
ウェブサイト:http://dancefanfarekyoto.info/
2015/04/27(月)(高嶋慈)
室伏鴻《Dancing in the Street》(「六本木アートナイト」サイレントダンスプログラム)
会期:2015/04/25
三河台公園[東京都]
室伏鴻の日本では久しぶりとなる舞踏上演が、六本木アートナイトの一演目として行なわれた。当夜六本木では、アートというよりもお祭りが好きな人の群れが各所で騒ぎを起こしていたが、室伏が舞台として依頼されたのは三河台公園。夜10時半の野外上演では致し方ない面もあるだろう。とはいえ、係員が「静かにしてください」と書かれたプラカードを観客たちに掲げ、頻繁に注意を促すという状況は、周辺住民を慮ってはいるかもしれないが、さすがに踊り手への配慮を欠いている。なんと終幕の際の拍手もNGという徹底ぶり。そんないわば「アウェイ」な環境のなか、室伏のパフォーマンスは、しっかりとしたテンションを感じさせる、とても充実したものだった。広い円形の砂場。真ん中には、遊具の組み合わされたすべり台。その空間を舞台にして、冒頭、白いレースの布で顔を覆い、黒い衣服から銀色の両手足を露にし、室伏は、ときに力をみなぎらせ、ときにそのこわばる身体を脱力して、観客のまなざしを虜にしていく。野外で踊るときに、室伏はみずからの本領を発揮する。室伏の踊りはただのつくられた踊りではない。それは、その場の環境で起こるすべてを吸っては吐くことで展開する。いくつかの約束事は決められているのかもしれないが、ほとんどは即興的な行為である。不意に、すべり台を上り始めた。どうするのだろう? 上ったからには下りなければならないだろうが……と思っていると、力なく黒い体はゆるゆると坂を下り、地面に不格好に落ちた。思わず笑ってしまうのだが、その笑いは、その場につくられつつあった空気をぶちこわし、代わりに違うテンションを持ち込む、その発端に鳴り響く「サイレン」となった。慣性の法則に抗えず放り出された死体? いや、死に切れずそれはもう一度、すべり台を上る。今度は、直立状態で着地すると、何度かバウンドしたあげく横に倒れた。そうして繰り返す、死体と生体の往還。死体であり生体である室伏の口から黒澤明『生きる』で主人公が唄う「命短し~」のフレーズが漏れる。この映画も公園が重要な舞台となるお話だ。と、思っていると今度は、黒い衣服を脱ぎ、銀色の全身が現われた。肉体は砂に混ざり合い、公園の灯に照らされる。異形の体が、六本木アートナイトの喧噪の端っこで、その喧噪とは別の物語を紡いでいた。最後は、四つん這いになり、人間であることとも別れを告げ、室伏の肉体は六本木の異生物となった。
2015/04/25(土)(木村覚)
笠井叡『今晩は荒れ模様』

会期:2015/04/25
京都芸術劇場 春秋座[京都府]
ひたすら「踊ること」に捧げられた2時間に圧倒された。笠井叡の振付・演出により、上村なおか、黒田育世、白河直子、寺田みさこ、森下真樹、山田せつ子という錚々たる顔ぶれの女性ダンサー6人によるソロとデュオが展開されていく。衝撃を受けたのは、「振付」がなされているようにはまったく見えなかったこと。とりわけ、嗚咽のような声を上げながら破壊と慈しみの両極を行き来するような黒田育世の激しさと、異次元を切り開くような凄まじい熱量を放つ白河直子の踊りに打たれた。
アフタートークで笠井は、「即興はなく、呼吸の入れ方まで含めて振付けている」と語っていたが、出演した笠井自身も6名のダンサーも、ただ踊るためにそこにいて、その歓びと切実さをそれぞれ異なる言葉でクリアに身体が語っていた。初めて実見するダンサーもいたが、にもかかわらず、あの約20分間の踊りでどういう人なのかが伝わってしまう。躊躇いなく剥き出しにすることができる身体の強さが、圧倒的な強度で空間を埋めていく。エネルギーを放射していく。それを鎮めていく。ここでの「振付」とは、外側から形を与えて操作することではなく、本質でない部分を見極めて削いでいく作業を言うのだろう。この過酷で困難な作業をやり遂げた振付家とダンサーたちは、終盤、真紅のドラァグクイーンの衣装をまとった笠井を囲んで踊り、狂乱の嵐のような時間が吹き荒れた。
2015/04/25(土)(高嶋慈)
安藤裕子LIVE 2015「あなたが寝てる間に」
中野サンプラザ[東京都]
ライブで聴くと、やはり声だなあと改めて思う。当然、ヴォーカルにはメロディをかなでるとか、詞を伝える役目があるが、そうした機能以前に、ホールの空気全体を震わすような存在感である。声で包み込むように、耳元でささやくように、あるいは真正面から突き刺すように。またYMOやうしろゆびさされ組などのカバーが原曲との違いを際立たせる。
2015/04/24(金)(五十嵐太郎)
別役実×劇団東京乾電池「眠れる森の美女」
会期:2015/04/22~2015/04/29
別役実の作品らしさを堪能する。男が婚約相手の見舞いに病院を訪れただけのシンプルな設定だが、固有名詞をもたない登場人物たちの記号論的なズレによる笑いを伴う、物語の迷宮に変容していく。かといって、カフカの小説のように永遠にたどりつかないわけでなく、最後に笑えるオチが用意されていた。
2015/04/24(金)(五十嵐太郎)


![DNP Museum Information Japanartscape[アートスケープ] since 1995 Run by DNP Art Communications](/archive/common/image/head_logo_sp.gif)