artscapeレビュー
パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー
プレビュー:吉田アミか、大谷能生『ディジタル・ディスクレシア』、デュ社『春の祭典』、黒沢美香『この島でうまれたひと』
舞台表現者であり、文筆家でもある吉田アミと大谷能生が〈吉田アミか、大谷能生〉という名義で『ディジタル・ディスクレシア』を上演する。大谷は、6月に『海底で履く靴には紐が無い』をロングラン上演したばかり。手塚夏子に刺激を受け、チェルフィッチュで力を発揮してきた山縣太一のアイディアを大谷は精確に舞台で具現したわけだが、ときを待たずして、今度は本人名義の新作を上演する。Googleドライブの共有機能を用いて書いてきた共同制作の小説(『Re;D』)を、2人の朗読によって舞台化するというのだ。ゲストは振付家・ダンサーの岩渕貞太、ファッション・デザイナーの有本ゆみこ、映像作家の斉藤洋平。徹底的にモダニスティックで、鑑賞者の混乱を誘う舞台になることを期待したい。ほかにも8月は見逃せない舞台が目白押しだ。昨年末の『ふたつの太陽』では、彼自身のルーツである舞踏からの脱皮を図り、新しいダンスのかたちを見せた向雲太郎(デュ社)が新作を上演する。タイトルは『春の祭典』となればこれはもう必見だろう。また、黒沢美香のソロ公演『この島でうまれたひと』も忘れてはならない。新作もあるのだが、とくに1985年の『Wave』は、世のモダニズム志向を標榜する若者たちには、トリシャ・ブラウン、イヴォンヌ・レイナー、あるいはローザスを信奉する君には、見ておいてもらいたい。前に10歩ほど歩いては後ろに戻りを延々と繰り返すそれは、日本のポストモダン・ダンス(なんて言い方はほとんど機能していないのだが)の初期作品として、歴史に刻まれるべき名作である。
左:吉田アミか、大谷能生『ディジタル・ディスクレシア』(キッド・アイラック・アート・ホール、2015年8月14日~16日)
中:『春の祭典』(d-倉庫、2015年7月28日~8月30日/デュ社の公演は8月28日)
右:黒沢美香『この島でうまれたひと』(シアタートラム、2015年8月28日~30日)
2015/07/31(金)(木村覚)
ウィル・タケット『兵士の物語』
会期:2015/07/24~2015/08/02
東京芸術劇場 プレイハウス[東京都]
ストラヴィンスキーの音楽をともなって、このバレエ音楽劇が最初につくられたのは1918年。第一次世界大戦が終結した年であり、ダダイスムが世を賑わしはじめた時代である。その時代の独特な厭世観やアイロニーが、1時間強の舞台に充満していた。演出・振り付けは『鶴』(2012年)で首藤康之に振り付けたウィル・タケットであるとしても、バレエ・リュスや当時の表現ダンスを連想させる、いわゆるバレエ的な審美性から逸脱した動きがちりばめられていた。「ミュージカル」というよりはそうした芸術性のほうが濃密な舞台。ひょっとしたら、そこに受け容れ難さを感じてしまうミュージカル・ファンもいたかもしれない。そうしたファンにとってアダム・クーパーの存在は一服の清涼剤だったろう。女性的な表情を湛えたラウラ・モレーラのダンスには上記したようなアイロニーが的確に盛り込まれているのだが、主人公のアダム・クーパーにはこの要素はほとんど見られない。クーパーのダンスはまるでクジラのよう。ゆったりと踊り、マイペース。クーパーによってこの劇がもたらす「ひずみ」は軽減される。彼が踊ると、舞台は「芸術」へと傾く代わりに娯楽性が勝利する。それにしても、お話が奇妙だ。主人公の兵士は、悪魔にバイオリンを渡す代わりに本を手渡される。本には財テクの指南が記されており、兵士はそそのかされる。金は手にできたが幸福から遠ざかってしまった兵士は、本を手放し、「王女」と恋に落ちて、幸せを手にしそうになる。幸福の象徴である故郷を目指す最中、悪魔に襲われてしまう。それがラストシーン。牧神にも似た毛むくじゃらの悪魔との死闘は、アクション映画を見すぎた目には滑稽にしか映らない。この滑稽さが本作の寓話的でアイロニカルな傾向に相応しいものなのかどうか? と思いめぐらしているうちに、暗転してしまった。先に述べたような、モレーラとクーパーのちくはぐさは、本作の豊かさでもあるのだろうし、戸惑わされる要素の象徴でもあった。ともあれ、ストラヴィンスキーの音楽がすべてを凌駕して、圧倒的な力を放っていた。
「兵士の物語」CM
2015/07/29(水)(木村覚)
金氏徹平×山田晋平×青柳いづみ『スカルプチャーのおばけのレクチャー』
会期:2015/07/26
KAAT神奈川芸術劇場 アトリウム[神奈川県]
岡田利規(チェルフィッチュ)と前野健太が金氏徹平の指導のもとでスカルプチャーを完成させる1時間。3人が横に並び、同じ青のTシャツを身に着け、黙々と作業に勤しむ。なんだろう、この感じ。ライブのパフォーマンスなのだが、独特のゆるさがあって、鑑賞無料も手伝ってか、リラックスした〈おふざけ気分〉が全体に漂う。これはテレビ(ex. ダウンタウン)的? あるいはニコニコ動画? 50個ほどはあるだろうか、大小の日用品あるいは工事現場にありそうなものたちをパーツにして、下から上へと積み上げていく。他愛のないおしゃべりが続く。時折、本人は現われることなく(だから「オバケ」なのだろう)、青柳いづみの言葉で「よく見ろよ!」みたいなゲキが飛ぶ。その度に、失笑が会場を満たす。2メートルほどのスカルプチャーが立ち上がると、白いペンキを上からかけて出来上がり。テレビやニコ動的な鑑賞のあり方のなかに、すっぽり当てはめられたレクチャー・パフォーマンス。それは、テレビやニコ動の可能性を拡張するもののようでいて、芸術表現の可能性をこそ拡張する試みに思われた。芸術のテレビ(ニコ動)化といえばよいか。案外こういったささやかなチャレンジのなかに、先取りされた未来があるのかもしれない。このパフォーマンスは、チェルフィッチュ『わかったさんのクッキー』関連イベントとして上演された。
2015/07/26(日)(木村覚)
読売日本交響楽団 第81回みなとみらいホリデー名曲シリーズ
横浜みなとみらいホール[神奈川県]
ブラームス「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」は二楽器の独奏がある面白い曲だが、ヴァイオリンはあまり迫力なかった。先月の「シェラザード」、あるいはベタな楽曲が多かったものの、フィリアホールで聴いた同楽団の日下紗矢子の演奏が印象的だっただけに、気になる。もうひとつが、ホルストの組曲「惑星」作品32。ど派手に始まり、惑星ごとに雰囲気が変わっていくカラフルな曲だが、初めて生の大音響で聴く。いまや「ジュピター」はヒット曲になったが、筆者にとって「惑星」はむしろレインボーの「DOWN TO EARTH」で「火星」と出会った曲である。
2015/07/25(土)(五十嵐太郎)
他人の時間 TIME OF OTHERS
会期:2015/07/25~2015/09/23
国立国際美術館[大阪府]
日本、シンガポール、オーストラリアの美術館等が共同企画した国際企画展。アジア・オセアニア地域のアーティストを知る機会はまだまだ少なく、20作家の仕事を見られたこと自体に意義を感じた。今後関西でも同様の機会が増えることを期待している。作品は多様だったが、それぞれの国の歴史や社会問題に触れた作品が多い。現代アートと社会の影響関係でいえば、アジア・オセアニア地域のほうが日本よりも密接なのかもしれない。個人的に特に印象深かったのは、キリ・ダレナ、ホー・ツーニェン、サレ・フセイン、アン・ミー・レー。なかでも、実在したスパイの数奇な運命を描いたホー・ツーニェンの映像作品《名のない人》には大いに引き込まれた。
2015/07/24(金)(小吹隆文)