artscapeレビュー

木ノ下歌舞伎『黒塚』

2015年04月01日号

会期:2015/03/11~2015/03/22

駒場アゴラ劇場[東京都]

木ノ下裕一=監修・補綴、杉原邦生=演出・美術。初代市川猿翁が昭和14年に書いた戯曲を、現代的な手法で演出したというのが今回の『黒塚』。老婆を演じる武谷公雄がともかく力みなぎる名演技を見せた。東北の人里離れた土地に舞い降りた僧侶の一団が、老婆に一夜の宿泊を乞う。老婆はあの部屋だけは見るなと言い残して、薪を取りに出て行くと、僧侶たちは我慢できずに、部屋を覗いてしまう。部屋は死体の山、老婆は狂った鬼のごとき女だった。武谷演じる老女は、僧侶たち(現代の若者ファッションを身に纏っている)が現代語を話すのとは異なり、古語を唄うように話す。僧侶たちと老婆との対話は、だから異国の言語を交わしあうようになるのだが、その古語と現代語のぶつかり合いがなかなか面白い。現代劇と時代劇が共存しているタイムトリップ感に酔う。話が進むにつれて思うのは、『黒塚』という戯曲の持つ力で、古典的な手法で書かれており、古代ギリシア悲劇に似て、絶望的な状況に老婆を追い込むことで、人間の普遍的な苦悩を引き出している。老婆はかつて城に住む姫の乳母だった。ささいなことで姫の体が不自由になると濡れ衣を着せられ、占い師に問えば、生きた胎児の肝を煎じて飲めばなおると言われる。ある日、老婆にチャンスが到来する。身重の女が宿を乞いに来た。女を殺めた後、その女が自分の娘であることに気づく。こうした鬼女と化した女の精神的苦悩が、舞となって表われる。この苦悩を舞台に表わした武谷の演技は、驚くべき力強さを湛えていた。これが、歌舞伎の役者によるものだったら、もう少し収まりのよい演技になっていたかもしれない。歌舞伎など古典芸能に肉薄しつつ、それに収まらない武谷の演技は、表現は悪いが着ぐるみを纏うようなコスプレ的要素がなくはない。けれども、それだからこそ、「成りきる」エネルギーに圧倒されることとなったし、古典との距離が遠い、今日の観客にとって、リアリティある演技に映るものだった。

2015/03/19(木)(木村覚)

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