artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

KYOTO EXPERIMENT 2012 公式プログラム ビリー・カウィー「Tango de Soledad/The Revery/In the Flesh」

会期:2012/09/22~2012/10/28

京都芸術センター[京都府]

イギリスを拠点に国際的に活動するビリー・カウィーによるビデオ・インスタレーション。自ら振付・作詞・作曲・演奏を手掛けたダンス作品を、3D映像で上映している。3つの作品は、映像に対して、水平、見下ろす、見上げる視点で見るよう構成されており、それらはどれもダンサーの細かな表情や息遣いまで感じられるリアルなものだった。ダンサーが手を差し伸べてきた時は、3Dと知っているにもかかわらず、つい手が伸びそうになったほどだ。バーチャルではあるが、舞台公演ではありえないほど間近でパフォーマンスが見られるのは、確かに魅力的である。テクノロジーにより身体感覚を増幅させるその手法に、大きな可能性を感じた。なお、ビリー・カウィーは3Dと生身のダンサーが共演するプログラムを模索中で、京都滞在中に日本人ダンサーと3D映像を制作、帰国後にイギリスで撮影した他のセクションを加えて編集し、来年再び京都に戻って数人の生身のダンサーとのコラボレーション作品を発表する予定である。

2012/09/25(火)(小吹隆文)

砂連尾理/劇団ティクバ+循環プロジェクト『劇団ティクバ+循環プロジェクト』

会期:2012/09/22~2012/09/23

元・立誠小学校講堂[京都府]

障がいのあるアーティストとそうでないアーティストとが共同制作するドイツの劇団ティクバと日本で同様の活動を志向している循環プロジェクトとが共同で制作した本作。特徴的だったのは、基本的な方法をポスト・モダンダンスから借用し応用しているように見えたこと。たとえば、一時間強の公演のなかで12のパートに分かれた(配布された「砂連尾理 演出のノート」に基づく)最初のパートは「歩く」タスクだった。会場は老朽化した小学校の講堂。観客は中央の床面を四方から取り囲む。6人の男女が横に並び、1人ずつ椅子から立つと前へ歩き、舞台の端まで来ると後ろ歩きで戻る。ただ「歩く」だけ。この振付とは言い難いシンプルな指示は、各人の身体の個性を引き出すのにとても効果的だ。からだが引きつることも、滑らかに歩みが進むことも、車いすを回す腕の力強さも、微細なものだが本作の重要な展示要素となっていた。途中でビー玉がころころと床を斜めに横切った。6人の身体性がビー玉の身体性と等価に置かれ、それによってより一層、各人の身体の物理的な性格(性能)へ見る者の注目が集まる。次のパート「自己紹介──対話の始まり」では、「私は砂連尾理です」と砂連尾が言葉を発すると同じ言葉を隣のメンバーが次々発してゆく。発声も各身体の性能がよく表われるものだ。ダウン症の身体から、その性能を証す個性とともに言葉が出る。性能の露出は、普段ならば差別や批判のもとになるもの。それをこんなにはっきりと展示してよいのかと見ていて少し戸惑う。観客は戸惑いながら、通常の鑑賞で用いる評価の基準を捨て別の尺度を模索する。理想ではなく現実に価値を見出すよううながされる。観客はそうして自由になる。とはいえ、彼らはみな舞台表現者である。公演の成立を揺るがすような、不慣れな身体はそこにはない。みなためらいなく自己を展示している。各人の身体の個性を肯定しながら、本作は作品としての強さを保持し進んでいった。健常者の女性ダンサーが車いすのタイヤを足でそおっとなでるシーンなどほのかにエロティックな場面や、あるいは攻撃的に衝突する場面など、健常者と障がい者の対話(コンタクト)の幅を拡張する試みが豊富に盛り込まれていた。

KYOTO EXPERIMENT 2012 - Osamu Jareo / Thikwa + Junkan Project

2012/09/22(土)(木村覚)

ハーメルンの笛吹き男

会期:2012/09/15~2012/09/16

神奈川県民ホール[神奈川県]

神奈川県民ホールにて、世界初演のオペラ「ハーメルンの笛吹き男」を見る。一柳彗の作曲。演出はあいちトリエンナーレ2013で抜擢した田尾下哲である。有名な伝承をもとに、笛吹きを媒介にして、嘘をつくことをめぐって、子どもと大人の関係から再解釈するメッセージ性の強い作品に仕上がっていた。巻物のようにどんどんスクロールする背景、空中を移動するネズミの群れ、そして客席も巻き込む空間演出などが、田尾下らしい。

2012/09/17(月)(五十嵐太郎)

快快『りんご』

会期:2012/09/13~2012/09/16

KAAT神奈川芸術劇場〈大スタジオ〉[神奈川県]

快快が劇団として唯一無二なのは、役者が「役者」であることから半分降りて当人として舞台に上がっているように見えることだ。逆に言えば、通常の演劇において役者というものは「役」を演じるのみならず、「役を演じる者」(「役者」)を演じているのである。快快がいることで、通常の演劇が二重に演技したものであることに気づかされてきた。たとえば、チェルフィッチュの役者は、「劇の役」を演じる前に「チェルフィッチュの役者」を演じている。「~の役者を演じる」とは、稽古の場で演出家が望む身体性を獲得することと同義だろう。その身体にはゆえに、演出家との(上下)関係が刻印されている。それに対して快快の役者たちは、そうした意味で快快の役者を演じているようには見えない。大道寺梨乃は大道寺梨乃であり、山崎皓司は山崎皓司のまま、限りなく当人に近い存在で観客の前に居る。この点で、彼らの舞台は正しくポスト演劇だった。自由で気取ってなくて演劇じゃないみたいだった。学園祭みたいな、ユートピアみたいな、嘘みたいな演劇だった。本作を最後に、主要メンバー数人が快快から離れるらしい。そのことも悲しかったが、本作は、脚本を担当する北川陽子の実話に基づく(らしい)母の死をめぐっており、他者の死を演じるという困難な課題を何度も交替し役者たちが実践してみせるさまは、おかしくて、悲しくて、切なかった。りっぱな演劇を成立させること以上に、彼らが演劇をとおしてやろうとしたことは、一貫して、他者に触れること、他者とともに生きることだった(千秋楽ではアンコールも出た「Be Together」(鈴木あみ)で踊るシーンはその点で象徴的だった)。その思いが他者の死を演じてみるというアイディアの内に、ほとんど奇跡のようにとてもピュアなかたちで結晶していた。

快快(FAIFAI) 新作公演「りんご」

2012/09/16(日)(木村覚)

プレビュー:池田扶美代『in pieces』、快快『りんご』、悪魔のしるし『倒木図鑑』、神里雄大『杏奈(俺)』、笠井叡『あんまの方へ』ほか

9月も横浜が熱いです。KAATのイベント「KAFE9」では、ローザスのメンバーとして活躍してきたダンサーで振付家の池田扶美代がイギリスの演出家ティム・エッチェルスと制作したソロ作品『in pieces』(9月7日~9日)や快快の新作『りんご』(9月13日~16日)、悪魔のしるしの新作『倒木図鑑』(9月27日~30日)などが要注目。それに「We dance 横浜2012」(9月22日)も忘れずに。ダンサーや振付家たちが主体的にダンスの未来を模索するイベント「We dance」の5回目となる今回は、ディレクターを白神ももこが務める。気になるのは岡崎藝術座の神里雄大によるダンス作品『杏奈(俺)』。ダンサーとのコラボレーション作品らしいのだけれど、神里演劇が見せる濃密な身体の質をダンスとしてみせるのか、それともまったく異なる(たとえば、ダンサーとの対話それ自体が作品の核となるような)アプローチで行くのか、とても楽しみだ。ほかには「DANCE TRUCK PROJECT」なる企画がユニーク(9月7日~9日@新港ふ頭入口前 特設会場)。ケータリングカーを舞台に、ダンサーやミュージシャンなどがパフォーマンスを行なう企画らしい。詳細は不明。でも神村恵、白井剛、東野祥子、ほうほう堂、山川冬樹などが出演予定というから期待できそうだ。と、いろいろと挙げたけれども、一番注目しているのは「大野一雄フェスティバル2012」での笠井叡の公演『あんまの方へ』(9月29日@BankArt Studio NYK 3F)。1960年代、土方巽と刺激し合いながら舞踏の原型を形づくった舞踏家の笠井があらためて最初期の舞踏を問う作品だという。これは見過ごせない。ちなみに、タイトルの一部である「あんま」は63年の土方の作品『あんま──愛慾を支える劇場の話』に、「の方へ」は65年の作品『バラ色ダンス──A LA MAISON DE M. CIVECAWA(澁澤さんの家の方へ)』に由来する。

2012/08/31(金)(木村覚)