artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

大塚勉「ある日・2016年11月16日・晴れ・福島」

会期:2017/04/01~2017/04/30

Gallery Photo/synthesis[東京都]

大塚勉は「Incognito」(1986~87)、「地の刻」(1992~93)など、印画紙を池や沼に長期間沈めて、画像を思いがけない色やフォルムに変容させるシリーズを発表してきた。東日本大震災以後に制作した作品も、最初の頃は、銀塩抽出現像という特殊な技法を用いてプリントしたり、郡山市深沢の酒蓋公園の池に印画紙を沈めたりするなど、以前の延長のような作品だった。ところが、2015、16年にGallery Photo/synthesisで開催された個展「断たれた土地」、「川の臭い」の連作では、ストレートな撮影、プリントを試みるようになる。今回の「ある日・2016年11月16日・晴れ・福島」の展示では、その傾向がさらに強まってきていた。
タイトルが示すように、今回のシリーズは2016年11月16日に「福島県楢葉町・常磐線木戸駅周辺の一日の記録」として撮影されたものだ。大塚は大事故を起こした福島第一原子力発電所から南に約17キロ、避難地域との境界線近くにある楢葉町をゆっくりと歩きつつシャッターを切っている。展示された26点の写真に写っている風景は、その歩行の軌跡をなぞるように、微妙に重なり合いながら並んでいた。大塚が、なぜこの日にこの地域を撮影したのかというについては、偶然の要素が多く含まれているようだ。だが、当然ながらその制作のプロセスには、その土地にまつわりつく時間と記憶が畳み込まれてくる。「震災後」の風景の変質を、写真を通じて確認していくユニークなシリーズとして育ちつつあるのではないだろうか。震災時に土地の液状化で大きな被害を受けた千葉県浦安市(大塚の出身地でもある)を撮影した「断たれた土地」、「川の臭い」とあわせて、今後の展開を注意深く見守っていくべきだろう。

2017/04/09(日)(飯沢耕太郎)

PHOTOGRAPHER HAL「Flesh Love Returns」

会期:2017/04/03~2017/04/09

Place M[東京都]

PHOTOGRAPHER HALは2004年頃から「カップル」を中心に撮影するようになった。最初は狭いバスタブで撮影していたが、そのうち寝具収納用のビニールパックに2人を封じ込めるというアイディアを思いついた。ほぼ真空状態の中で抱き合っている「カップル」の姿は、メタフォリカルであるとともに、視覚的なインパクトも強い。今回のPlace Mの写真展では、2015年以降に撮影した新作を集成した写真集『Flesh Love Returns』(冬青社)から31点を選んで展示していた。
以前の同シリーズと比べてみると、「カップル」の周辺の環境をしっかりと写し込んでいる。今回の撮影に際して、HALは「カップルを彼らにとって一番大切な場所で撮影する」というコンセプトを貫いた。「一番大切な場所」をあらかじめ彼らに選んでもらい、そこに機材を持ち込んで撮影したのだ。当然、部屋の中だけでなく野外での撮影も多くなり、制約の多い公園や街頭での撮影は困難を極めたという。その甲斐があって、2人の関係のあり方を観客に想像させる回路がとてもうまくできあがっていて、見所の多いシリーズとして成立していた。
今回は日本だけでなく、オランダ、ベルギー、香港でも撮影している。さらにいろいろな場所に撮影範囲を広げるのも面白そうだが、逆に地域や集団を限定していく方向もありそうだ。作品が発するポジティブなエネルギーを大事にしつつ、さらに次の展開を考えていってほしい。なお、冬青社から作品57点をおさめた同名の写真集が刊行されている。

2017/04/09(日)(飯沢耕太郎)

Subjective Photography vol.2 大藤薫

会期:2017/03/29~2017/04/15

スタジオ35分[東京都]

ドイツのオットー・シュタイナートが1950年代に提唱し、展覧会の開催や写真集の刊行などで、世界的に反響を呼んだのがSubjective Photography(サブジェクティブ・フォトグラフィ)。日本では「主観主義写真」と訳され、当時一世を風靡していた「リアリズム写真」に対抗する、新しい写真運動として注目された。1956年には日本主観主義写真連盟が結成され、「国際主観主義写真展」(東京・日本橋高島屋)も開催されている。広島市出身の大藤薫(おおとう・かおる、1927~)もその運動の担い手として活躍した一人で、シュタイナートが編集した写真集『Subjective Photography1』(1952)と『Subjective Photography2』(1954)にも作品が掲載されている。今回、東京・新井薬師のスタジオ35分で開催された個展には、ヴィンテージ・プリントから複写して焼き付けたニュー・プリント20点が展示されていた。
いま見ると「主観主義写真」には、戦前の「新興写真」のスタイルに遡ってそのスタイルを受け継いでいくという側面と、造形意識を研ぎ澄ませることで新たな写真表現を打ち立てていこうという意欲とが同居していたように見える。戦前に中国写真家集団の一員だった正岡国男の指導で写真制作を始めたという大藤の写真にも、やはり過去と未来とに引き裂かれていく当時の状況が反映されている。とはいえ、廃船を撮影したシリーズなど、現実世界をフォルムとテクスチャーに還元して再構築しつつ、まさに彼の「主観」的なリアリティが色濃くあらわれている作品もある。大藤に限らず、「主観主義写真」の運動の周辺にいた写真家たちの動向を、もう一度細やかに見直していく必要があるのではないだろうか。
なお、今回のスタジオ35分の展示は、昨年の「vol.1新山清」に続く「Subjective Photography」展の第2弾になる。さらに同時代の写真家たちの発掘を積み重ねていってほしいものだ。

2017/04/06(木)(飯沢耕太郎)

「I am an ‘object’」

会期:2017/03/10~2017/04/04

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

ZEN FOTO GALLERYのディレクターのアマンダ・ロの企画による「I am an ‘object’」展には、西村多美子、安楽寺えみ、殿村任香、Tokyo Rumando、萬一一、鄭 の6人の女性写真家、アーティストが出品していた。1948年生まれの西村から、台湾出身で1985年生まれの鄭 まで、年齢も国籍もキャリアもさまざまだが、「object」というテーマで彼女たちの作品をくくったことで、面白い展示が実現した。
「object」は日本語で言えば「対象」、「目的」であり、写真の「被写体」という意味でも使われる。彼女たちの作品にも、むろん「object」が登場してくるのだが、それらの用法はかなりかけ離れたものだ。西村や殿村のように「観察により対象の像を写し出す作品」もあれば、安楽寺やRumandoのように「写真家自身が被写体であり主体でもある作品」もある。また台湾出身の2人の写真家の作品は、「物体を組み合わせて主題のイメージを創り出す作品」に分類できるだろう。だが、写真を見ているうちに、その「object」の提示の仕方が、やはり男性写真家たちのそれとは違っているように思えてきた。端的に言って、女性写真家たちの「object」と写真家本人との距離はとても近く、ほとんど同化している場合すらある。その生々しい触覚的な表現には、思わずたじろいでしまうほどの切迫感があった。
ZEN FOTO GALLERYでは、普段は個展を中心に企画が組まれているが、時折開催されるグループ展もなかなか面白い。また別の角度から、女性写真家たちの仕事を取りあげてほしいものだ。

2017/04/01(土)(飯沢耕太郎)

フォトジャーナリスト 長倉洋海の眼 地を這い、未来へ駆ける

会期:2017/03/25~2017/05/14

東京都写真美術館地下1階展示室[東京都]

展覧会のメイン会場の手前のスペースに、1981年、長倉洋海が勤めていた通信社に辞表を出してから1年あまりのあいだに、フリーのフォトジャーナリストとして撮影した写真が展示してあった。「世界を揺るがすような一枚」を求めて、ローデシア(現・ジンバブエ)、ソマリア、パレスチナ、カンボジアなどを駆け回って撮影した写真群だが、結果的には思ったようには撮れなかった。通信社や新聞社の後ろ盾なしで紛争地を取材することへの限界を感じた彼は、根本的にやり方を変えることにする。そうやって、1982年に現地に5カ月間滞在して撮影したのが、今回の展示の最初のパートに置かれた「エルサルバドル」のシリーズである。
内戦下の人々の生と死を直視したこのシリーズが、長倉にもたらしたものはとても大きかったのではないだろうか、「じっくり腰を落ち着けて」ひとつの場所に留まり、「自分のための写真」ではなく「人々の思いが感じられる写真」を目指すようになる。また、たまたま難民キャンプで出会った少女、へスースの写真をきっかけにして、一人の人物を長期間にわたって撮り続ける方法論も見出すことができた。それまでにないスタイルで写真を世に問うていく「フォトジャーナリスト」、長倉洋海の誕生は、やはりこのシリーズがきっかけであったことを、あらためて確認することができた。
それ以後の長倉の写真家としての揺るぎのない軌跡は、本展に展示された約170点(スライド上映も含めると300点以上)の作品が物語っている。このところ、その活動にはさらに加速がついてきたようで、展覧会の開催にあわせて、同名のカタログとともに、未來社から全5巻の写真集シリーズ『長倉洋海写真集 Hiromi Nagakura』も刊行された。昨今の不透明な時代状況のなかで、「フォトジャーナリスト」の志を保ち続けるのには、想像以上の困難がつきまとうのではないだろうか。だが、一貫してポジティブな眼差しで撮影された彼の写真群を見ていると、少しは「希望」や「未来」を信じたくなってくる。

2017/03/31(金)(飯沢耕太郎)

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