artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡
会期:2017/02/25~2017/03/26
福井市美術館(アートラボふくい)[福井県]
「近代デザインの父」と言われるウィリアム・モリス。彼のデザインは日本でも親しまれ、150年以上を経た今でも人々の生活のなかで生き続けている。本展はそのモリスのデザインとともに彼を育み彼が愛した英国の風景を、写真家 織作峰子が撮影した写真を通して味わう展覧会。写真や映像のほか、テキスタイル、壁紙、椅子、刊本などおよそ100点が出品されている。
モリスが学生時代を過ごしたオックスフォード、結婚して構えた「レッド・ハウス」、画家ロセッティと共同で借りた「ケルムスコット・マナー」、工房を開設したマートン・アビー、モリスのデザインを生み出した場所は何処もまるで楽園のようで、木々や花々、小鳥や小動物に囲まれた静かで美しい場所ばかりである。確かに、この世界には荘厳で古典的な装飾よりも素朴でシンプルなデザインが似付かわしく、化学染料による機械捺染よりも天然染料を使ったブロックプリントが相応しい。本展での収穫は、あたかも英国の現地に足を踏み入れたかのような臨場感を味わえたこと、そしてモリスのデザインにおける信条を素直に理解できたことであった。[平光睦子]
2017/03/02(木)(SYNK)
「写真家金丸重嶺 新興写真の時代 1926-1945」
会期:2017/02/18~2017/03/03
日本大学芸術学部芸術資料館[東京都]
金丸重嶺(かなまる・しげね、1900-1977)の名前を知る人も少なくなってきたのではないだろうか。日本の広告写真の草分けの一人であり、戦後は日本大学芸術学部写真学科教授として写真教育に携わり、日本広告写真家協会(APA)会長など、写真界の要職を歴任した。だが、生前の名声と比較すると、没後はやや忘れられた存在になっていたように思える。「没後40年記念展覧会」として企画された今回の展示は、その彼が写真の世界で頭角を現わしていく1920~40年代にスポットを当てるものであり、約100点の写真作品と資料が出品されていた。
展示は「東京」、「金鈴社」、「P.C.L」、「満州」、「ベルリンオリンピック」、「欧州風景」、「国策宣伝」の7部で構成されている。写真家としてスタートした時期の初々しい写真群から、1926年に鈴木八郎とともに設立した「日本最初の商業写真スタジオ」である「金鈴社」の活動、1936年のベルリンオリンピックの取材とその後の欧州旅行、そして戦時体制下の国策宣伝への関与などが、手際よく紹介されていた。初めて見る作品・資料も多く、1930年代のモダニズム的な「新興写真」の担い手の一人でもあった彼の、写真家としての活動ぶりがくっきりと浮かび上がってきた。今後は、代表的な著書である『新興写真の作り方』(玄光社、1932)をはじめとして、戦前・戦後の写真界とのかかわりをより広く概観する展示を見てみたい。
なお、本展のカタログとして『FONS ET ORIGO Vol.XX, No.1 Spring 2017 没後40年記念 写真家金丸重嶺 新興写真の時代 1926-1945』(日本大学芸術学部写真学科)が刊行されている。
2017/03/01(水)(飯沢耕太郎)
吉岡専造「眼と感情」
会期:2017/02/28~2017/03/26
JCIIフォトサロン[東京都]
吉岡専造(1916-2005)は、1939年に東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)を卒業後、朝日新聞社東京本社に入社し、以後、同社写真部のカメラマンとして1971年の定年退職まで勤めた。とはいえ、戦後はフリーの立場で仕事をすることも増え、『アサヒカメラ』などのカメラ雑誌にも次々に作品を発表して、大束元、船山克とともに、「朝日の三羽烏」と呼ばれることもあった。今回の展覧会には、遺族からJCIIに寄贈されたオリジナル・プリントのなかから、「生前に吉岡さん自身が選び、まとめていた」という代表作約60点が展示されていた。
むろん、フォトジャーナリストとしての意識が強い写真なのだが、そこには吉岡自身の被写体に対する感情もまた、色濃く滲み出ているように感じる。彼は「私の作画精神」(『アサヒカメラ』1953年4月号)という文章で、自分には「心の眼」と「写真のメカニズムの眼」の「二つの眼」があると書いている。撮影に際しては、「写真のメカニズムの眼」に従わなければならないのだが、それはあくまでも「心の中にあるカメラの仮の姿」にすぎない。そんな彼の写真家としての信念が、実際の作品にもきちんとあらわれていた。
特に、『アサヒカメラ』に1952年5月号から57年12月号まで69回にわたって連載され、そのうち吉岡が27回分を担当した「現代の感情」は注目すべき連作である。「傍聴席」(『アサヒカメラ』1952年5月号)、「運命の子ら」(同1952年6月号)、「鳩山退場」(同1957年3月号)などの名作を見ると、ヒューマニスティックな感情を基点にしつつ、カメラのメカニズムを巧みにコントロールしてその場の状況を的確に描き出していく、彼の「心の眼」の動きがいきいきと伝わってくる。
2017/03/01(水)(飯沢耕太郎)
キリコ展「mother capture」
会期:2017/02/25~2017/03/25
ギャラリーヤマキファインアート[兵庫県]
会社を辞めてニートになった元夫との関係を綴った《旦那 is ニート》や、売れっ子の舞妓だった祖母の写真を再構成したインスタレーション、その祖母が娘によって介護される光景を「逆転した母娘関係」として介護用監視モニターの画面を切り取った《2回目の愛》。写真家のキリコはこれまで、家族や配偶者といった親密圏の中に身を置き、極めて私的な関係性を見つめながら、女性の生き方や家庭、コミュニケーションのあり方について作品化してきた。
本個展では、自身が不妊治療中であり、母となった友人たちへの複雑な思いが制作の契機になった《mother capture》が映像と写真で発表された。薄く透けるカーテンで仕切られた半個室には、壁に大きく映像がプロジェクションされている。こちらに背を向け、自宅の一室で、光の差す窓辺に向かって座る女性たち。一見、静止画のように動かない彼女たちは、授乳中であることが分かる。ふと髪をかき上げる仕草、わずかに動く赤ん坊の小さな足、風に揺れる窓辺のカーテン。授乳中の女性を背面から捉える固定カメラの記録映像が(無音で)淡々と流れていく。また、この動画から静止画として切り出した写真作品9点が、9人の女性のポートレイトとして展示された。
「授乳」という、母と子の最も親密な身体的コミュニケーションが、撮影者不在の固定カメラによって機械的に切り取られ、しかも背面から撮影されることで、表情や眼差しなど親密さの核心部分が隠されていること。「母子間の愛情に満ちたコミュニケーション」を定点観測的な固定カメラに委ね、「自分自身がその濃密な空間に入れず疎外されていること」を露呈させる手法は、前作の《2回目の愛》とも共通する。(《2回目の愛》では、食事や排泄の介護をする娘を「おかあさん」と呼んで依存するようになった祖母の姿が、介護用モニターの画面を再撮影することによって、ある種の「距離」の介在として表出されていた)。
《mother capture》も同様の手法を採りつつ、「女性像の表象」をめぐるより戦略的な転倒が仕掛けられている。「母子像」は、イコンとして聖化された「聖母子像」を常に内在化させながら、西洋美術における定番モチーフとして生産・消費されてきた(授乳中のマリア像も多数描かれている)。また、「窓辺に佇むポートレイト」も女性の肖像の定番である。キリコは、「母子像」「窓辺の女性像」という女性表象をあえて戦略的に用いつつ、後ろ姿として反転させることで、見る者の眼差しが期待する「最も親密な空間やコミュニケーション」を隠してしまう。クリシェを反転させて「裏側」から撮る、すなわち同性としての視線から眼差すことで逆説的に浮かび上がるのは、孤独さの印象、「背中を見つめる」視線の憧れやそこに辿り着けない焦燥感、手の届かない疎外感だ。またそれは、「母性愛」を「自然」なものとして肯定的に投影する態度を取り払った地点から、再び眼差すことは可能か、という問いをも提起している。
加えて、背景の空間がみな、「プライベートな室内風景(自宅の一室)」で撮影されていることにも留意すべきだろう。「女性の社会進出」がうたわれる一方で、授乳スペースの整備など、社会的なサポートはまだまだ十分とは言い難い。《mother capture》の沈黙の後ろ姿たちは、「なぜ彼女たちがこの限定された場所で撮影されねばならなかったのか」というもうひとつの問いをも喚起している。
2017/02/25(土)(高嶋慈)
あざみ野フォト・アニュアル 新井卓 Bright was the Morning ─ ある明るい朝に
会期:2017/01/28~2017/02/26
横浜市民ギャラリーあざみ野[神奈川県]
「あざみ野フォト・アニュアル」の7回目は新井卓の個展。新井の特徴は際立っていて、ひとつはダゲレオタイプ(銀板写真)を使うこと、もうひとつはおもに原発や原爆に関連するモチーフを撮っていること。今回はさらに見せ方にも工夫を凝らしている。《Here and There─明日の島》シリーズは、会場が暗いうえ銀板なのでなにが写ってるのか判然としない。そこで近づいてみると、センサーで天井から吊り下がった電球が灯り、六ヶ所村や原発事故周辺を写した風景写真が見える。この明かりを灯すエネルギーも原発だったら、とふと思う。と同時に銀板だから自分の顔も映し出され、否応なく自分が原発と向き合わざるをえなくなる仕掛けだ。一方、《明日の歴史》シリーズは広島と南相馬の子供を撮ったポートレートだが、こちらはセンサーではなく自動的に明かりが少しずつ移動していき、明かりが灯ってるあいだ、その子供のインタビュー音声が流れる仕掛け。そこまでやる必要あるか? とも思うが、新しい試みとして評価したい。ほかに記憶に残る作品が2点。《2014年3月23日、比治山公園より西北西に見かけの高度570mの太陽、広島》は、長いタイトルどおり、原爆が爆発した高度に太陽が見かけの上で達した瞬間を捉えたもの。画面の中心よりやや上に、いまだ核融合を起こし続けている太陽が刻印されている。恐ろしい写真だ。もう1枚、《2012年2月25日、陸前高田の松》は津波で1本だけ残った松を撮ったものだが、意図したものかどうか知らないけれど、これがキノコ雲に見えてならない。
2017/02/25(土)(村田真)