artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

尾形一郎/尾形優『私たちの「東京の家」』

発行所:羽鳥書店

発行日:2014年9月30日

尾形一郎と尾形優の「東京の家」には二度ほどお邪魔したことがある。建築家であり写真家でもある彼らが、日本だけでなくグァテマラ、メキシコ、ナミビア、中国、ギリシャなどを訪れ、そこで見出したさまざまな建築物からインスピレーションを受け、東京の住宅地に過激な折衷主義としかいいようのない不可思議な家を建てはじめた。しかも、この家は少しずつ変容していく。最初はメキシコの教会の「ウルトラ・バロック」的な装飾が基調だったのだが、ダイヤモンドの採掘のためにドイツからナミビアに移住した住人たちの砂に埋もれかけた家にならって、室内にはグレーのペイントで覆われた領域が拡大しつつある。それは、彼らの脳内の眺めをそのまま投影し、具現化したような、まさに実験的としかいいようのないスペースなのだ。
今回、羽鳥書店から刊行された『私たちの「東京の家」』は、その二人の思考と実践のプロセスを丁寧に辿った写真/テキスト本である。読み進めていくうちに、なぜ彼らが東京にこのような「時間と空間すべてがたたみ込まれた」家を建てて、暮らしはじめたのかが少しずつ見えてくる。尾形一郎は、あらゆる視覚的な要素が同時に目に飛び込んでくるので、文字を順序立てて読んだり、文章を綴ったりすることがむずかしい、ディスレクシアと呼ばれる症状を抱えていた。「順番と遠近感を必要としない」写真は、彼にとって必然的な表現メディアであり、その視覚的世界をパートナーの尾形優の力を借りて現実化したのが「東京の家」なのである。「生活の隅々まで同時処理的な場面が増えてくると、逆に、社会環境がディスレクシア脳に近い構造になってきているのかもしれない」という彼らの指摘はとても興味深い。まさに東京の現在と未来とを表象し、予感させる、ヴィヴィッドな著作といえるだろう。

2014/10/25(土)(飯沢耕太郎)

種村季弘の眼 迷宮の美術家たち

会期:2014/09/06~2014/10/19

板橋区立美術館[東京都]

何とか会期に間に合って、最終日に「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展を見ることができた。イメージの迷宮に遊ぶ「怪人タネムラ」の世界を堪能することができたのだが、あらためて強く感じたのは、種村は写真表現に対して強いシンパシーを抱いていたのではないかということだ。実際に展覧会に出品されていた写真作品は、ポスターやチラシにも使われていた今道子の「種村季弘氏+鰯+帽子」(2000年)をはじめとして、ハンス・ベルメール、鬼海弘雄、細江英公、さらに種村自身が蒐集した作品を並べた「奇想の展覧会──種村コレクション」のパートに展示された石内都、渡辺兼人のプリントなど、それほど多くない。とはいえ、彼の偏愛の触手が写真にも伸びていたことは間違いないと思う。
といっても、種村は現実世界をそのまま再現・描写するドキュメンタリー系の写真の仕事にはまったく興味がなかったのではないだろうか。柿沼裕朋が同展のカタログを兼ねた『種村季弘の眼 迷宮の美術家たち』(平凡社)で、「その好みは、はっきりしている。抽象よりも形のはっきりした硬質な画面とリアリズム、べたべたした情念よりも恐怖や不安を笑いに転化したような作品である」と述べているように、種村の「好み」は、まさに今や鬼海の写真がそうであるように、現実世界をくっきりとした白昼夢に変換してしまうような「硬質な画面」の作品に傾いていた。それは彼の著作でいえば『魔術的リアリズム メランコリーの芸術』(PARCO出版、1988年/ちくま学芸文庫、2010年)で扱われているドイツの「ノイエ・ザハリヒカイト」の画家たちの作品と共通する、細部までリアルに描写すればするほど魔術的、幻想的に見えてしまうような世界への志向ともいえるだろう。
残念なのは、種村が本格的な写真論を最後まで書くことなく亡くなってしまったことだ。「魔術的リアリズム」の系譜に連なる写真家たち、たとえばフレデリック・ソマーやマニュエル・アルバレス=ブラボについての論考を、ぜひ読んでみたかった。

2014/10/19(日)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00027457.json s 10104493

林忠彦「日本の作家109人の顔」

会期:2014/09/26~2014/11/25

日比谷図書文化館1階特別展示室[東京都]

林忠彦の「文士」シリーズはなぜこれだけ人気があるのだろうか。太宰治や坂口安吾や織田作之助といえば、林が撮影したポートレート以外の顔を思い浮かべるのはむずかしい。単純な記録写真というあり方をはるかに超えて、いまや彼らの肖像は時代のイコンとしての役割を果たしているように思える。現代において、ある一人の写真家が撮影した作家のポートレートが、これほど絶対的なイメージとして固定することはまずないのではないだろうか。
なぜ、そうなっているのかといえば、一つには作家と読者との関係のあり方が、林が「文士」シリーズを撮影した1940~50年代と現在ではまったく違っているからだろう。当時の作家とその作品の愛読者は、まさに一心同体であり、読者は小説や詩を読むことを通じて作家たちと対話しようと願っていた。その時の手がかりとして必要だったのが、作家の人間性をいきいきと表現したポートレートであり、林の「文士」シリーズはまさにその欲求に応えるものだったのだ。ひるがえって、現代の作家たちと読者との間に、そのような切実な関係が成り立つとはとても思えない。
それにしても、何度見直しても、読者の欲求にきちんと対応しながらも、細やかな人間観察力を発揮して、モデルの「これしかない」という表情や仕草を定着していく、林の写真家としての能力の高さには感嘆してしまう。林忠彦はプロ中のプロであり、そのような「職人的」といえそうな技巧の冴えも、デジタル化以降の現代写真の状況では発揮しにくくなっているのも確かだ。今回の日比谷図書文化館の林忠彦展には、新装版で刊行された写真集『日本の作家』(小学館)におさめられた作品の他に、コンタクトプリント、モデルとなった作家たちの初版本なども展示され、時代の雰囲気を立体的に浮かび上がらせていた。これから先も、図書館という場所にふさわしい、文学と連動した写真展の企画を期待したいものだ。

2014/10/18(土)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00027836.json s 10104492

本田忠敬写真展 クブレ通りの古い家

会期:2014/10/11~2014/10/13

納屋[神奈川県]

鎌倉駅近くのリノベーション・スペース「納屋」へ。もとは「扇屋質店」であり、2階の洋間、大き過ぎる扉、牛乳店時代の痕跡など、謎が多い大正末期の木造建築だ。お披露目に、本田忠敬の写真展「クブレ通りの古い家」と、この建物自体の写真展を開催し、旧金庫などを効果的に使う。それに佐野絵里子による住宅のスケッチが花を添える。


左:本田忠敬写真展展示風景
右:佐野絵里子によるスケッチ

2014/10/13(月)(五十嵐太郎)

石元泰博写真展 この素晴らしき世界

会期:2014/10/12~2015/04/05

高知県立美術館 石元泰博展示室[高知県]

2012年に石元泰博が亡くなったあと、その遺品の数々は高知県立美術館に寄贈された。既に生前の2006年に「石元写真作品及び写真ネガフィルム等を高知県立美術館に収蔵し、作品目録を作成し、独自のコレクションとして、その整理、保存、展示などに努めることとする」という契約書がとり交わされていたのだという。その数は写真プリント約35,000枚。フィルム約15万枚、著書約5,000冊、他にカメラ一式、家具・調度品などにも及んでいる。あわせて、石元の著作権も高知県立美術館に移譲されることになった。
それを受けて、2013年に美術館内に石元泰博フォトセンターが開設され、常設の石元泰博展示室の改修工事が進められた。今回の「石元泰博写真展 この素晴らしき世界」は、そのオープニング記念展ということになる。
展示は3期(各期約30点)に分けられていて、その第1期にあたる今回は、インスティテュート・オブ・デザイン在学中の1948~52年にシカゴで撮影された「街」のシリーズから、2006年の「シブヤ、シブヤ」まで30点が展示された。石元の作品世界を過不足なく概観できるいい展覧会で、今後の展示も大いに期待できそうだ。また展示室内には、石元の自宅マンションの部屋を椅子や、テーブルごと移設したスペースが設けられており、愛用のカメラの展示なども含めて、彼の作品世界がどんな環境で形をとっていったのかが実感できるようになっていた。
石元泰博フォトセンターの今後の活動は、写真家の遺作・遺品をアーカイブとしてどのように保存・活用していくのかという、大事なモデルケースになると思う。その成果が実り多いものとなっていくことを期待したい。

2014/10/12(日)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00028141.json s 10104491