artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
5人の写真
会期:2014/09/26~2014/11/08
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
石原悦郎がツァイト・フォト・サロンを東京・日本橋にオープンしたのは1978年。日本で最初の、「オリジナル・プリント」を専門に扱う商業ギャラリーだった。当初はアンリ・カルティエ=ブレッソン、アンドレ・ケルテス、マン・レイなど、ヨーロッパの写真家中心のラインアップだったが、その後、日本の写真家たちを積極的に取り上げるようになる。1980年代以降のツァイト・フォト・サロンでの展示が、日本現代写真を牽引していったことは間違いないだろう。2002年には京橋のブリヂストン美術館裏に移転し、展示スペースを拡大して活動を継続した。
そのツァイト・フォト・サロンが、同じ京橋でももっと銀座寄りに移転することになり、「リニューアルオープン展第1回」として、「5人の写真」展が開催された。「5人」というのは北井一夫、オノデラユキ、鷹野隆大、楢橋朝子、浦上有紀で、ここ数年、同ギャラリーで個展を開催してきた写真家たちの中から選ばれている。1940年代生まれの北井から、70年代生まれの浦上まで、年齢も作風もバラバラなのが、逆にツァイト・フォト・サロンの再出発にふさわしい気もする。今回はどちらかといえば「お披露目」の意味合いが強い展示だったが、楢橋の富士山をテーマにした新作(「Towards the Mountain」2013年)や、2013年に個展デビューした新進作家、浦上のインドのシリーズ(「Spiral of Impulse」2014年)など、今後を期待させる作品が並んでいた。
スペース自体は前よりも小さくなったが、立地条件はずっとよくなっている。「リニューアルオープン展」終了後の展覧会で、若手から中堅、ベテランまで、力作、意欲作をたくさん見たいものだ。
2014/09/30(火)(飯沢耕太郎)
ERIC『EYE OF THE VORTEX』
発行所:赤々舎
発行日:2014年9月8日
東京・銀座のガーディアン・ガーデンで開催されたERICの個展「Eye of the Vortex/ 渦の眼」(2014年9月8日~25日)を見逃したのは残念だった。秋は展覧会が立て込んでいるので、ついうっかり忘れてしまうことがよくある。
だが、同時期に発売された同名の写真集を見ることができた。展示で確認することはできなかったが、明らかにERICの撮影のスタイルがかわりつつある。これまで彼が日本や中国で撮影してきた路上スナップでは、6x7判のカメラのシャープな描写力を生かして、近距離から獲物に飛びつくようにシャッターを切っていた。時には白昼ストロボを発光させることもあり、鮮やかなコントラストの画面は、群衆の中から浮き出してくる“個”としての人物たちの、むき出しの生命力を捉えきっていた。だが、今回インドを舞台に撮影された『EYE OF THE VORTEX』のシリーズでは、カメラのフォーマットが35ミリサイズに変わったこともあり、より融通無碍なカメラアングルをとるようになった。被写体との距離感も一定ではなく、かなり遠くからシャッターを切っている写真もある。正面向きの人物だけではなく、横向き、後ろ向き、あるいは人物が写っていないカットまである。
このような変化は、やはりインドという「めくるめく混沌」の地を撮影場所に選んだことによるのだろう。また、香港から日本に来て写真家として活動し始めてから10年以上が過ぎ、彼の眼差しがさまざまなシチュエーションに対応できる柔軟性を備え始めているということでもある。さらに、路上スナップの方法論を研ぎ澄ませていけば、写真による「群衆論」の新たな可能性が開けてくるのではないだろうか。
2014/09/28(日)(飯沢耕太郎)
佐藤春菜「いちのひ」
会期:2014/09/19~2014/09/28
Gallery街道[東京都]
東京杉並区の青梅街道沿いにあるGallery街道が、建物の取り壊しのため11月にクローズすることになった。尾仲浩二が同じ場所に開設したのが2007年。その後、佐藤春菜と松谷友美が共同運営したGallery街道りぼん(2010年)の時期を経て、2011年からは再び佐藤を中心に前と同じ名前で活動するようになった。ごく普通の木造アパートの2階部分という立地条件が珍しいだけでなく、企画もしっかりしていて、なかなか居心地のいい空間だったので、なくなるのは残念だ。だが、自主運営ギャラリーは長く続ければいいというわけではないので、そろそろ潮時ということだろうか。長くかかわってきた佐藤にとっても、いい転機になるのではないだろうか。
その佐藤は、このところずっと「いちのひ」というシリーズを発表している。毎月1日(いちのひ)に撮影した写真をまとめで見せるという試みで、今回は2013年5月~2014年2月分の写真、約60枚が展示されていた。六つ切りサイズにプリントされたモノクローム写真が淡々と並んでおり、日付が写し込まれているのでたしかにその日に撮影したとわかるのだが、内容的には取り立てて特別な場所や出来事が写っているわけではない。だが、その適度に力が抜けた写真のたたずまいが、いい感じにまとまってきているように感じた。長く続けていくことによって「自分の見方」が浮かび上がってくるというだけではなく、スナップシューターとしての日々の鍛錬の成果がきちんと形になりつつある。
この「いちのひ」以外にも、デジカメで撮影している「Tokyo Action」というシリーズも継続中ということなので、両方をあわせて見る機会もつくってほしい。また、そろそろスナップ以外の手法にもチャレンジしていってほしいものだ。
2014/09/28(日)(飯沢耕太郎)
これからの写真
会期:2014/08/01~2014/09/28
愛知県美術館[愛知県]
鷹野隆大のヌード写真に「ワイセツ」の嫌疑がかかり、該当部分を布で覆ったという報道がなければ見に行かなかっただろう写真展。でも実際に見に行ったら、畠山直哉、鈴木崇、新井卓……と序盤だけでもこれはなかなか直球勝負の、まさに「これからの写真」を示唆する企画展であることに気づく。畠山は震災後の被災地風景ではなく、それ以前のダイナマイトで鉱山を吹き飛ばす瞬間を捉えた「発破写真」。シャッタースピードといい危険性といい、モチーフ的にも技術的にも人間が撮る写真の限界を示している。鈴木はカラフルな台所用のスポンジをさまざまに組み合わせて撮った写真を小さなパネルに張り、壁に整然と配列。1点1点がタブローのようにフェティシズムを刺激する一方、全体で抽象的なパターンを構成している。新井は第五福竜丸をはじめ被爆をモチーフにした銀板写真のほか、展示室の中央に3連の銀板写真二組を向かい合わせに置いた。これは暗くてよくわからなかったが、いきなり頭上の照明がパッと輝き、広島の爆心地とアメリカの核実験場の写真であることが理解される。なんとストレートな。以下もそれぞれ写真の枠組みや限界を超えるような作品が続き(田村友一郎などは「写真」らしきものすらない)、かなり見ごたえがあった。で、鷹野隆大の写真だが、性器が写ってるらしい何点かには紙が被せられ、大きな1点は布で下半分がおおわれていた。作品を撤去せず、局部だけを隠すこともせず、画面の下半分を布でおおい隠すことで決着したのは、黒田清輝の有名な「腰巻き事件」を思い起こしてもらうためだろう。1901年に白馬会に出した黒田の《裸体婦人像》が「ワイセツ」とされ、同じように腰から下を布でおおわれた事件のことで、現在では近代日本の文化の後進性を示す例として笑いぐさになっているのだ。鷹野はいたずらに対決姿勢をあらわにすることなく、美術史を参照しつつ皮肉とユーモアを利かせて対処した。決着方法としては最良の選択だと思う。
2014/09/26(金)(村田真)
ベアト・ストロイリ「Living Room」
会期:2014/09/03~2014/10/08
Yumiko Chiba Associates viewing room Shinjuku[東京都]
ベアト・ストロイリは1957年、スイス生まれの現代美術アーティスト。1980年代から、都市の路上の群衆から、特定の人物を望遠レンズで抜き出して撮影する作品を発表してきた。初期においては、今回のYumiko Chiba Associates viewing room Shinjuku で参考展示されていた作品のように、小型カメラを用いてモノクロームでプリントしていたが、次第にスライドやヴィデオのプロジェクションに移行していく。また、巨大なビルボードのような大型プリントのインスタレーションを試みるなど、意欲的に作品の「見せ方」を模索していった。被写体となる人物たちの出自も欧米諸国だけではなく、アジアなど非西欧諸国の都市にまで広がっている。
今回の展示でも「見せ方」に工夫を凝らしている。タイトルが「Living Room」なのは、壁面に「壁紙」を貼り巡らして、その上に作品を並べているからである。「壁紙」の素材となっているのもストロイリの写真だが、作品より断片的、パターン的に処理されていて、「始まりも終わりも」なく、「潜在的に無限であって、そこには中心も端もない」。いわば、都市風景のひな形とでもいうべきイメージを背景として、都市から切り出されてきた人物を鑑賞するという仕掛けなのだ。
インスタレーションはとても洗練されており、顔のクローズアップと色面とを組み合わせた新作のクオリティも高いのだが、90年代から同工異曲の作品をずっと見てきたので、やや新鮮味には欠ける。ストロイリもそろそろ、「見せ方」のヴァリエーションに頼るだけではなく、次のステージを準備していく時期に来ているのではないだろうか。
2014/09/25(木)(飯沢耕太郎)