artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
写真と民俗学 内藤正敏の「めくるめく東北」

会期:2009/10/03~2009/11/08
武蔵野市立吉祥寺美術館[東京都]
写真家という人種には変人が多いが、内藤正敏はその中でも極めつけの一人。何しろ羽黒山で修験道の修業をして山伏の資格を持っているのだ。写真家としてもユニークな仕事ぶりが知られているが、むしろ民俗学の世界でその業績が高く評価されている。『遠野物語』の「山人」の描写を、山中を漂泊する金堀り師やタタラ師の活動と重ねあわせた「金属民俗学」、江戸や日光の寺院の配置を呪術的な都市計画として読み解く「徳川マンダラ」など、そのスケールの大きさとイマジネーションの広がりには驚くべきものがある。
今回の武蔵野市立吉祥寺美術館の展示は、その内藤の写真と民俗学の交叉のあり方を探ろうとするもの。薬品の化学反応を造形写真に応用した「コアセルベーション」「白色矮星」といった初期作品から、1960~70年代の「婆バクハツ!」「遠野物語」などを経て、80年代の「出羽三山の宇宙」に拡大し、近作の山岳信仰の世界を写真によって定着しようとする「神々の異界」に至る作品の流れを辿ることができた。全27点と数は少ないが、大きく引き伸ばされた写真から、あの話し出したら止まらない内藤のマシンガン・トークが聞こえてきそうな、活気あふれる展示だ。「私にとって、写真がモノの本質を幻視できる呪具であるとすれば、民俗学は見えない世界を視るための“もう一つのカメラ”だ」。彼の写真と民俗学に対する姿勢は、この言葉に尽きるだろう。「シャーマンとしての写真家」の原点というべきその存在感は、ますます大きなものになってきている。
2009/10/12(月)(飯沢耕太郎)
有元伸也「WHY NOW TIBET」

会期:2009/10/06~2009/10/11
有元伸也は、1999年に刊行した写真集『西蔵(チベット)より肖像』(ビジュアルアーツ専門学校)で第35回太陽賞を受賞した。それから10年、今回の展示には雑誌の取材でふたたびチベット奥地の街、石渠(セルシュ、チベット語ではザチュカ)を訪れて撮影した写真が並んでいた。
被写体に真正面から6×6判のカメラを向けて撮影し、深みのあるモノクロームのプリントに仕上げていく手法はまったく同じで、そこに写っている住人たちの姿もあまり変わりないように見える。ただ、よく見ると、街には新しい建物が増えており、馬をオートバイに乗り換えた若者たちの姿も目立つ。それよりも「チベットの風景や人は変わらないが、一番変わったのは自分自身」という、有元本人の言葉の方が興味深かった。たしかにある種の衝動に突き動かされるように、真冬のチベットの大地を彷徨いつつ撮影された10年前の写真の切迫感と比較すると、今回のシリーズの被写体との対峙の仕方には余裕があるように感じる。
だが、僕はそのことを否定的にとらえることはないと思う。こうして間をおいて撮り続けることで、有元自身とチベットの変貌が、絡み合いつつ膨らんでいくような、厚みのあるドキュメンタリーが形をとってあらわれてくる予感があるからだ。それは同時に、彼が現在取り組んでいる「新宿」のシリーズを、別な角度から照らし出す光源にもなっていくだろう。
2009/10/08(木)(飯沢耕太郎)
宮下マキ『その咲きにあるもの』

発行所:河出書房新社
発行日:2009年10月5日
1975年生まれの宮下マキは、まさに90年代の「女の子写真」世代の写真家。2000年に刊行した『部屋と下着』(小学館)も、若い女性のプラーベート・ルームを撮影するという話題性で注目された。
だが、僕は以前から彼女はいいドキュメンタリー写真家になる資質を備えていると睨んでいた。被写体に密着し、時間と空間を共有しながら、粘り強く長期にわたって撮影を続けていく。その才能は、この『その咲きにあるもの』でも充分に発揮されている。タイトルがわかりにくいのが難ではあるが、内容的にはとてもストレートな、気持ちのいいドキュメントだ。被写体になっているのは「洋子」という二人の子どもがいる女性。乳癌が発見され、乳房の切除及び再建手術を3回にわたって受ける。その間の彼女の身体や表情の変化、周囲の反応、そして季節の巡りが、センセーショナリズムを注意深く避けて淡々と描写されていく。
「いつも私とカメラの間には。ほんの短いズレがある。/ずっと、それを恥ずかしいことだと思っていた。/でも、今は違う。/今はそのズレを感じていたい。/喜びも、痛みも、生きることも、死ぬことも、少し後に感じていたい」。「ズレ」や「揺らぎ」を含み込んだ、女性形のドキュメンタリーのあり方を、宮下はしっかりと、誠実に模索し続けているのではないだろうか。
2009/10/07(水)(飯沢耕太郎)
山中学『羯諦』

発行所:ポット出版
発行日:2009年9月10日
1989年に東京・有楽町の朝日ギャラリーで開催された山中学の個展、「阿羅漢」のことはよく覚えている。ホームレスの男たちを正面から見据えたポートレートが、和紙のような大きめの紙にやや粗い粒子を強調してプリントされ並んでいた。手応えのある被写体に肉迫したいという表現の意図はよく伝わってきたが、そのたたずまいは神経を逆撫でされるようで、あまり気持ちのいいものではなかった。仏教用語を使ったタイトルも、ややとってつけたように感じた。
ところが、今回送られてきた写真集『羯諦』のページをめくって、山中がその後、驚くべき粘り強さと忍耐力を発揮して、「阿羅漢」のテーマを展開していることを知った。「不浄観」「羯諦」「童子」「浄土」「無空茫々然」と、25年以上わたってシリーズを重ねていくごとに、テーマは深められ、表現は繊細に、そして簡潔で力強いものになってくる。「奇形」の肉体に真っ向から取り組んだ「浄土」や「無空茫々然」は、いろいろ物議を醸すこともあるかもしれないが、写真を通じて生命と物質の境界を問いつめる作業の、極限値がここにあるといってよいだろう。写真集の造本・レイアウトもとても細やかで丁寧にできあがっている。
2009/10/07(水)(飯沢耕太郎)
青の肖像◎小野隆行 写真展

会期:2009/09/29~2009/10/05
新宿NikonSalon[東京都]
いわゆる「ホームレス」をモデルにした写真展。顔面に肉薄した写真は皺、目やに、滓などがあふれ、路上生活の過酷な暮らしぶりを物語っているが、全身をとらえる写真には彼らの意外なファッション性が強く打ち出されている。色彩やかたちの組み合わせ、どれをとってもいまどきの古着ファッションとほとんど大差ないことに驚かされた。
2009/10/03(土)(福住廉)


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