artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

稲越功一「心の眼」

会期:2009/08/20~2009/10/12

東京都写真美術館 地下1階展示室[東京都]

北島敬三展と同時期に、同じ東京都写真美術館で稲越功一の展覧会が開催されているのが興味深かった。稲越といえば有名女優のポートレートや広告・ファッション系の写真家というイメージが強いが、実はシリアスなスナップショットの写真集も、デビュー作の『Maybe, maybe』(1971)以来何冊も出している。今回の展示は『meet again』(1973)、『記憶都市』(1987)、『Ailleurs』(1993)など、それらの代表作約130点を集成した展示である。
北島と比較すると、いかにも古風な佇まいのスナップショットであり、ここには明らかに自己─カメラ─世界の構造が明確に透けて見える。彼がどの位置に立っているのか、どんな「心の眼」で世界に視線を送っていたのかがすんなりと見えてくるのだ。稲越の好みの立ち位置は、くっきりとした手応えを備えた事物の世界と、不分明で曖昧な現象の世界とのちょうど境目のあたりらしい。近作になればなるほど、ぼんやりとした、何が写っているのか見境がつかないような濃いグレーのゾーンが、画面全体を覆いつくすようになってくる。その正体を彼自身も見きわめようとしていた様子がうかがえるが、残念なことに今年2月に急逝してしまった。「写真家・稲越功一」の像にようやくきちんとフォーカスが合ってきた矢先だったので、無念だっただろう。デビュー写真集の出版元だった求龍堂から、展覧会にあわせて瀟洒な造本の同名の写真集も出ている。

2009/09/05(土)(飯沢耕太郎)

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北島敬三 1975-1991

会期:2009/08/29~2009/10/18

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

北島敬三のコザ(沖縄)、東京、ニューヨーク、東欧、ソ連でのスナップショット、200点近くを集成した回顧展。手法を微妙に変えつつも、出合い頭の一発撮りに徹した作品群がずらりと並ぶ。特に興味深かったのは東京のパート。1979年に毎月10日間、12回にわたって「イメージショップCAMP」で開催された「写真特急便─東京」の展示風景のスナップ写真である。現像液を染み込ませたスポンジで、壁に貼った印画紙をその場で現像・定着するという伝説のパフォーマンスにあふれ出している、無償のエネルギーの噴出はただ事ではない。
展示を見ながら感じたのだが、北島にとっての最大のテーマのひとつはスナップショットにおける「自己消去」ということではないだろうか。スナップショットは基本的に自己─カメラ─世界という関係項によって成立する。撮影することによって、世界の中に位置する写真家の存在が少しずつ、あるいは一気に浮かび上がってくるということだ。ところが北島は最初から、撮影者としての自己の影をなるべく画面から放逐し、被写体の好みや画像構成の美学もニュートラルなものに保とうとして腐心してきた。初期においては意識的な画面作りを回避するため、ノー・ファインダーやストロボ撮影が多用される。後期ではあたかもわざと下手に撮られた記念写真のような、強張ったポーズ、画面全体の均質化が貫かれる。その「自己消去」への身振りが高度に組織化され、潔癖な清々しささえ感じさせる強度に達したのが、1983年に第8回木村伊兵衛写真賞を受賞した「ニューヨーク」のシリーズだった。
この「自己消去」によって北島が何をもくろんでいるかといえば、その時点における都市と人間、そしてそれらを包み込む時代のシステムを、自己という曖昧なフィルターを介することなくクリアにあぶり出すことだろう。確かに1970年代のコザと東京、80年代のニューヨークと東欧、90年代のソ連の社会・経済・文化などのシステムが、彼の写真群からありありと浮かび上がってくるように感じる。むろんそのシステムは、人々の無意識的な身振りの集積をつなぎ合わせることで、ようやくおぼろげに形をとってくるような、あえかな、壊れやすい構造体である。北島は90年代以降、緊張感を保ちつつスナップショットを撮り続けていくデリケートな「自己消去」の作業を、これ以上続けるのはむずかしいと感じたのではないだろうか。その結果として、あのガチガチに凝り固まった「PORTRAITS」のシリーズに至る。「PORTRAITS」では「自己消去」はあらかじめ作品制作の手順のなかに組み込まれているため、スナップショットの不安定さや曖昧さを耐え忍ぶ必要はなくなる。
スナップショットから「PORTRAITS」への転身は、それゆえ必然的なものだったというのが、今回展示を見て感じたことである。だがそれは同時に、論理的な整合性の辻褄合わせに見えなくもない。スナップショットという揺らぎの場所に身を置きつつ「自己消去」を進めていくことは、本当に不可能なことなのだろうか。

2009/09/05(土)(飯沢耕太郎)

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TOKYO PHOTO 2009

会期:2009/09/04~2009/09/06

ベルサール六本木1F・BF[東京都]

写真作品だけを展示する本格的なアート・フェアは日本でははじめてではないだろうか。ようやく実現したこの画期的な企画が、来年以降も継続することを強く望みたい。ただ、まだ初日だったので最終的な結果はわからないが、観客の数は多いものの、作品の販売・購入にはあまり結びついてはいないようだ。
会場は二部構成で、1Fが「PHOTO AMERICA」ということで、サンディエゴ写真美術館のディレクター、デボラ・クロチコが選出したアメリカの近代写真、現代写真の展示を中心にいくつかのギャラリーが出品していた。BFは日本及び香港のパートで、18あまりのギャラリーが参加。ほかにアドバイザリー委員会のメンバーのひとりである後藤繁雄と写真雑誌『PHOTOGRAPHICA』が選定した「TOKYO PHOTO FRONT LINE」という枠で、若手作家8人(頭山ゆう紀、塩田正幸、津田直、山口典子、小山泰介、前田征紀、高木こずえ、福居伸宏)の作品が特別展示されていた。
展示の雰囲気はすっきりしていて悪くない。だが国内の主要ギャラリーのうち参加していないところも多く(たとえば、Taka Ishii Gallery、ギャラリー小柳、RAT HOLE GALLERY、フォト・ギャラリー・インターナショナルなど)、やや活気に欠ける。それでも、大阪のギャラリーのMEMのスペースに展示されていた、1930年代の関西前衛写真の主要な担い手のひとりであった椎原治のヴィンテージ・プリント、SCAI THE BATHHOUSEの斎木克裕や長島有里枝(水島の石油コンビナート!)の新作など、注目に値する作品に出会えたのは収穫だった。次回開催が可能なら、そこでどれだけのクオリティ、テンションを保てるかが勝負だろう。

2009/09/04(金)(飯沢耕太郎)

一丁倫敦と丸の内スタイル展

会期:2009/09/03~2010/01/11

三菱一号館[東京都]

東京は丸の内の三菱一号館の竣工を記念して催された展覧会。大名屋敷が立ち並ぶ江戸時代から近代的なオフィスビルヂング街へと変貌を遂げていく歴史をパネルや模型で解説するとともに、かつての三菱一号館を写真や資料から復元する試みを記録した映像などを展示した。思いのほか充実した展示内容で、たいへん見応えがある。オフィスで使われていたデスクや椅子をはじめ、ビジネスマンのファッションや文具、はては工事現場から発掘されたかつての建築材にいたるまで、多角的かつ網羅的なアプローチによって集められた「もの」の集合が、じつに楽しい。そして本展には「一号館アルバム」と題された写真展が組み込まれていたが、ここで抜群のセンスを発揮したのが、梅佳代だ。一号館の建設現場で労働する職人たちの姿をとらえた500枚を超えるポートレイトを一挙に発表した展示は壮観以外の何物でもない。それらをフォトフレームや単管を組み合わせた仮設足場、記念撮影に使われる顔抜き看板などによって見せる展示手法も気が利いている。竣工してしまえば忘れられてしまうが、都市の再開発はつねにこうした手仕事を生業とする職人たちによって成し遂げられているという事実を、彼らの生き生きとした表情によって伝える、すぐれたドキュメンタリーである。

2009/09/01(火)(福住廉)

光 松本陽子/野口里佳

会期:2009/08/19~2009/10/19

国立新美術館[東京都]

画家・松本陽子と写真家・野口里佳による二人展。「光」を大きな共通項としているとはいえ、それぞれ別々の空間を構成しているため、個展を同時に催したといったほうがいいのかもしれない。さまざまなピンク色がモコモコしている松本の絵画は、茫漠とした色の錯綜を好む日本の現代絵画のお手本のようだが、いかにも大衆が好みそうな満開の桜のようでもあるし、ピンクハウスのスイートでファンシーな洋服みたいでもある。つまり、イメージとしてとらえることができる。その反面、野口はイメージとしてとらえがたい光の特質を巧みに作品化していた。市販のピンホール・カメラによって撮影された《太陽》のシリーズは、文字どおり太陽を印画紙に定着させようと試みた写真だが、とうぜん真っ白に感光してしまうから、私たちは形象化された太陽のイメージを連想することはできても、そこには白い空虚が残されているにすぎない。表象することは光を必要不可欠とするが、光そのものは表象することができない。光の反イメージ、ないしは表象不可能性という原則を、もっとも簡潔明瞭なかたちで提示した傑作だ。

2009/08/31(月)(福住廉)

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