artscapeレビュー

2012年05月01日号のレビュー/プレビュー

すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙

会期:2012/04/07~2012/05/13

京都国立近代美術館[京都府]

ベルリン留学時にダダや構成主義などの新興芸術に強い影響を受け、1923年の帰国後に爆発的な勢いで、絵画、コラージュ、トランスジェンダーなダンスパフォーマンス、建築、デザイン、舞台美術、前衛芸術集団「マヴォ」結成などの活動を展開した村山知義。その圧倒的なエネルギーとインパクトを、初めて本格的に紹介するのが本展だ。1988年に開催された「1920年代日本展」で彼の存在を知ってから20年余、遂にこの機会が訪れたことに感慨を禁じえない。現存作品が少ないため、写真資料が多いなど難点もあるが、展覧会が行われたこと自体に意味があるのだ。本展を機に今後一層研究が進み、彼の真価が鮮明になることを期待する。

2012/04/06(金)(小吹隆文)

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都市から郊外へ──1930年代の東京

会期:2012/02/11~2012/04/08

世田谷文学館[東京都]

昨年の大規模な計画停電は記憶に新しい。繁華街のまばゆい照明はいっせいに落とされ、代わって静寂と暗闇が街を支配した。数多くの画廊が集まる銀座も、このときばかりは人気もまばらだったが、暗がりのなかに広がる街並みは逆に新鮮で、モボ・モガたちが闊歩した銀座とは、もしかしたらこのような陰影に富んだ街だったのではないかと思えてならなかった。
本展は、1930年代の東京を、美術・文学・映画・写真・版画・音楽・住宅・広告から浮き彫りにしたもの。絵画や彫刻、写真、レコード、ポスターなど約300点の作品や資料をていねいに見ていくと、鉄道網の拡充とともに郊外を広げていった都市の増殖力を目の当たりすることができる。現在の東京の輪郭は、このときほぼ整えられたのだ。
例えば、伊勢丹新宿店。1923年の関東大震災後、伊勢丹は神田から新宿に本店を移すが、これは郊外への人口移動により交通拠点としての新宿が急成長していたことに由来しているという。いまも現存するゴシック風の店舗は、外縁を押し広げる都市のダイナミズムのなかで生まれた建築だったのだ。
建築にかぎらず、当時の新しい文化や芸術は「モダニズム」として知られている。企画者が言うように、これが関東大震災の復興と連動としていたとすれば、本展は東日本大震災の復興から新たな美学が生まれる可能性を暗示していたとも考えられる。その名称や内実はいまのところわからない。ただ、それがすべてを明るく照らし出そうとする下品な思想ではないことだけはたしかだろう。暗がりのある銀座を美しいと見る感性を頼りにすれば、その思想をていねいに育むことができるのではないか。

2012/04/06(金)(福住廉)

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後藤靖香 展

会期:2012/03/23~2012/04/23

第一生命南ギャラリー[東京都]

現代アートの展覧会でいつも不満に思うのは、来場者に作品の説明を十分にしないことを、ある種の美徳と考える風潮がアーティストたちのあいだで蔓延していることである。正解を隠したまま一方的に来場者に謎をかけて悦に入ったところで、それが社会的な拡がりや他者を巻き込む求心力を発揮することは断固としてありえないにもかかわらず、この悪習の根は思いのほか深い。だが、こうした独りよがりの思い込みが「現代美術は難解である」というクリシェをもたらしていることを思えば、批評の役割はこの因襲を言説の面で断ち切ることにある。とはいえ、アーティストの側からも、同じような問題意識が芽生えつつあることは、ひとつの希望と言える。
「VOCA奨励賞」や「絹谷幸二賞」の受賞など、近年目覚ましい活躍を見せている後藤靖香の個展では、横長の壁面を埋め尽くすほど巨大な絵画が上下に2点展示されたが、あわせて後藤自身による手書きのリーフレットが来場者に配布された。そこには、会場である第一生命館で戦時中に暗号解読の作戦に従事していた軍人たちの背景が記されており、展示された絵が「パンチカードシステム」という暗号解読のための統計器を駆使する男を描いていることがわかる。独自のアプローチで「戦争」に迫ってきた後藤ならではの趣向で、絵の理解と鑑賞がよりいっそう深められた。紙片の末尾には参考文献も明記されていたから、これは鑑賞のための手引きであると同時に、ある種の学術的なレポートでもあるわけだ。絵画のためのリサーチを繰り返す絵描きは少なくないが、このようにシンプルなかたちでそれを絵画に同伴させる手法は、今後の絵画のあり方を示すモデルになりうるのではないか。

2012/04/06(金)(福住廉)

絵師100人展 京都篇

会期:2012/03/17~2012/06/24

京都国際マンガミュージアム[京都府]

「現代絵師100人」と聞いて、期待していただけに少々がっかり。マンガやアニメ、ゲームのキャラクタデザインの領域で活躍するアーティスト105人が「日本」をテーマに描き下ろした作品を紹介する展覧会だという。しかし、小さい顔に大きな目、制服や着物を身にまとった手足の細長い少女たち、いわゆる「萌えの対象たち」が現代の日本文化やキャラクタデザインだと言っているようでさびしく、しかもキャプションを隠せばどの絵もほぼ同じで作家の個性さえ見当たらず、面白くもない。貧弱という言葉だけが頭をよぎった。[金相美]

2012/04/07(土)(SYNK)

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嗅ぎたばこ入れ──人々を魅了した掌上の宝石

会期:2012/03/28~2012/05/06

たばこと塩の博物館[東京都]

微粉末状にしたたばこを鼻から摂取する嗅ぎたばこ。はじめは固めたたばこの葉をその都度すり下ろして用いていたが、18世紀になってあらかじめ粉末にして香料などを調合した製品が販売されるようになったことで、持ち運びのための小さな器が求められるようになった。これが嗅ぎたばこ入れ(snuff box)である。
 嗅ぎたばこをめぐる文化の形成と伝播はとても興味深い。輸入品であるたばこは高価で、そのような商品をたしなむことはまず上流層のファッションとして拡がる。人々の目の前で取り出される嗅ぎたばこ入れには贅を尽くした装飾が施された。どのような嗅ぎたばこ入れを持っているか、どのようにたばこ入れを扱うか、どのようにたばこを嗅ぐか。その作法は人物の評価へとつながるようにもなる。同時代には作法書まで現われたという。たばこの価格が下がり、入手しやすくなると、嗅ぎたばこは地方の名士・豪農のあいだにも拡がった。上流層と同じようなものを持ち、同じように振る舞うことが、彼らが身分を誇示する手段のひとつであったが、高価な器を買うことはできなかったために、廉価な素材、簡素な装飾による嗅ぎたばこ入れが現われ、普及していったのだ。
 ヨーロッパでは嗅ぎたばこは19世紀初めに廃れ、豪華な嗅ぎたばこ入れもつくられなくなったという。その理由は明示されていなかったが、おそらく嗅ぎたばこの中心地フランスにおいて、革命によって宮廷文化を支えた階層が没落したことと、嗅ぎたばこが下層に拡大したことで、上流層はそれとは異なる新たな慣習を発展させていったのではないかと考えられる。
 展示は嗅ぎたばこの起源からはじまり、ロココ時代のヨーロッパのファッションにまで及ぶ。嗅ぎたばこ入れといえば中国の鼻煙壺(びえんこ)が有名であり、本展でも全体の3分の2ほどを占めているが、それ以前の時代につくられたヨーロッパの美しい嗅ぎたばこ入れを見ることができる貴重な機会である。嗅ぎたばこの習慣がなかった日本でつくられた輸出向けの嗅ぎたばこ入れも珍しい。[新川徳彦]

2012/04/08(日)(SYNK)

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2012年05月01日号の
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