artscapeレビュー
2018年03月01日号のレビュー/プレビュー
未来を担う美術家たち 20th DOMANI・明日展
会期:2018/1/13~2018/3/4
国立新美術館[東京都]
文化庁が続けている新進芸術家海外研修制度(かつて在外研修制度と称していたため「在研」と呼ばれる)の成果を発表する展覧会。在研はすでに半世紀の歴史があるが、展覧会は今年で20年。今回は1975-88年生まれで、ここ5年以内に研修経験を持った11人のアーティストが出品。中谷ミチコは粘土で人物や動物の彫刻をつくり、それを石膏で型取って雌型にし、そこに着色した樹脂を流し込んで固めた一見凹型レリーフながら表面は平らという、ユニークな彫刻を制作している。ドレスデン滞在を経て作品はより大きく、より複雑になった。今回は壁に掛けるのではなく材木を組んだ上に展示したため、裏側がどうなっているのかという好奇心にも答えてくれている。研修先にケニヤを選んだ西尾美也は、街ですれ違った通行人と衣服を交換して写真に撮るというプロジェクトを続けているが、今回はケニヤ人に東京に来てもらいその役を託した。その結果、パツパツの女性服を着た大きなケニヤ人と、ダブダブの革ジャンを羽織った小柄な日本人という対照的な構図ができあがった。そのほか、日本各地で発掘された陶片と、明治期に来日したエドワード・モースを結びつけるインスタレーションを発表した中村裕太や、戦前は体操選手としてベルリン五輪に出場し、戦後は尺八奏者として活躍した人物の生涯をフォトグラムによって表わした三宅砂織など、日本を相対化してみせた作品に興味深いものがあった。
いずれも仮設壁で仕切られた空間内で行儀正しく作品を見せているが、そうした展覧会の枠組みそのものを問おうとした作家もいる。雨宮庸介は、過去につくられた作品を見せる場なのに、なぜ「明日展」なのか、しかもイタリア語なのかと疑問を投げかけた。これは実際だれもが思うところで、文化庁の林洋子氏もカタログ内で、「なぜ『明日』なのか、なぜイタリア語なのかというツッコミを受けつつも(それは20年前のムードとしかいまでは答えようがない)」と告白している。そこで雨宮は完成作品を展示するのではなく、「人生で一番最後に作る作品の一部を決めるための練習や遂行をしている」状態を現出させるため、その場で制作することにしたという。会場で作業している人を見かけたら、たぶん雨宮本人だ。体よく収まった展示より説得力がある。
2018/01/29(村田真)
グラフィズム断章:もうひとつのデザイン史
会期:2018/01/23~2018/02/22
クリエイションギャラリーG8[東京都]
あなたが20世紀を振り返るとしたら? この問いをグラフィックデザイナーに投げかけたら、どんな答えが返ってくるだろう。それを試みたのが本展だ。本展は、1953年の創刊から半世紀以上にわたり、国内外のグラフィックデザインを取り上げてきた雑誌『アイデア』を手がかりとしながら、日本の20世紀グラフィックデザイン史の再解釈と再構築を試みる内容である。まず入口側のRoom Cの壁面に目が吸い寄せられる。それ自体がタイポグラフィ作品のように壁面に文字が埋め尽くされていたのだが、足を止めてじっくりと見入ってしまったのは、1850年代から2010年代までのデザイン年表だ。なぜ始まりが20世紀よりもさかのぼる1850年代なのかという謎は、頭の項目を見て納得がいく。1851年に「世界初の国際博覧会、ロンドン万国博覧会を水晶宮で開催」とあったからだ。そう、世界における近代デザインの歴史はおそらくここから始まった。
この俯瞰的なデザイン年表を踏まえながら、隣のRoom Aに進むと、今度はよりテーマ性を持ったグラフィックデザイン史へと踏み込んでいく。ここでは新進気鋭の30〜40代のグラフィックデザイナー13人によるプレゼンテーションが展開されていた。各々があるひとつのテーマを掲げ、それに沿ったグラフィックデザイン史を論文に述べ、併せて参照となるグラフィックデザインを展示していた。例えば「土着性と根源的グラフィック」「ブックデザイン 作法と模倣」「純粋限界グラフィック」「善と悪のデザイン」など、興味深い視点が多い。年齢的に彼らがデザインを学び、デザイナーとしての活動を始めたのは1990年代以降となるが、しかし彼らの多くが1950年代あたりのグラフィックデザインから現在までを検証していた点に勉強熱心さがうかがえた。各々が掲げたテーマは、いわば個人の歴史観でもある。まるでその人の本棚を覗くような楽しさがあった。しかし一つひとつの論文が、本や雑誌で読むのにはちょうど良い長さかもしれないが、展示で観るにはやや長すぎると感じ、また参照のグラフィックデザインがほとんどコラージュ形式で展示されていたため、どれが何なのかわかりづらいものが多かった。もう少し上手く編集されていれば、もっと多くの人々に伝わっただろう。
公式ページ:http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/g8exh_201801/g8exh_201801.html
2018/01/31(杉江あこ)
地点『汝、気にすることなかれ』
会期:2018/02/01~2018/02/04
アンダースロー[京都府]
オーストリアの劇作家エルフリーデ・イェリネクがシューベルトの歌曲をモチーフに書いた本作。地点がイェリネク作品を手がけるのは『光のない。』(2012)、『スポーツ劇』(2016)に続いて3作目、本拠地アトリエ・アンダースローのレパートリー作品としては初めてのことだ(※本作の初演は2017年8月)。
上演はカーテンコールで始まる。終わりの拍手。第一部は大女優の劇場葬、彼女の最後の舞台だ。「私は三位一体の神のような存在」という彼女の言葉はしかし、地点の5人の俳優によって分割され発せられる。もともと分裂気味なイェリネクの言葉が、舞台上で複数の身体を獲得する。「彼女」が「私たちは群衆なの」と言うとき、「私たち」が指すのは俳優か観客か。
ウルトラ怪獣ジャミラのような造形の真っ白な衣装(衣装:コレット・ウシャール)が印象的だ。それは死装束にも花嫁衣装にも見える。あるいは防護服、蛹(さなぎ)、ミイラ。舞台を這いずる俳優の姿は蛆虫のようでもある。死体を喰む蛆はやがて蛹となり、飛翔のときまで静止する。回転するレコードが断続的に奏でるシューベルトの歌曲(音楽:三輪眞弘)。生と死の循環。そして一時の中断。第二部のモチーフは「白雪姫」だ。
鏡張りの床面(舞台美術:杉山至)は俳優たちの分身をその足下にはっきりと映し出す。もう一人の「私」は踏みつけにされている。「権力というのはいつでも自らに権限を与えるもの。でも、私に権限を与えてくださったのは皆さんなのよ。お馬鹿さんね」。第三部のモチーフは国家と個人だ。俳優たちは手を取り合い、群体のようにもつれ合う。そうして演劇が立ち上がる。
アンダースローでは2月26日から新作『正面に気をつけろ』を上演する。同作はブレヒトの未完の作品「ファッツァー」を劇作家・松原俊太郎が翻案した書き下ろしで、空間現代が生演奏で音楽を担当している。イェリネクにも通じる松原の文体はどのように舞台に乗せられるだろうか。
公式サイト:http://www.chiten.org
2018/02/01(山﨑健太)
小沢剛 不完全─パラレルな美術史
会期:2018/1/6~2018/2/25
千葉市美術館[千葉県]
会場に入って最初に目に飛び込んでくるのが、白い綿の固まりから首を出す数十体の石膏像だ。マルス、ヴィーナス、ヘルメス、ブルータス、モリエール……仏頭まである。美大予備校に通ったことのある者にはおなじみの像で、白い綿から見え隠れするさまは雲上の神々といった趣だ。そう、極東の予備校生からすればこれらの石膏像は美術の神々だった。その向こうの壁には石膏デッサンが20点ほど並んでいる。青木繁や中澤弘光らのサインも入っているので、明治期に美術学校で描かれたものだとわかる。石膏デッサンは欧米ではとっくに廃れてしまったが、日本では明治以来100年以上の歴史があるわけで、もはや日本画と並ぶ伝統芸術といっていいかもしれない(いまでも受験に使われているのだろうか?)。しかしよく見ると、いまのデッサンとは違って背景を描かず、輪郭線が強調され、陰影の描き方が平坦に見える。これって19世紀後半のジャポニスムの時代に、ヨーロッパの画家が日本美術から学んだ描き方じゃなかったか? それが反転して日本に逆輸入されたってわけか。この石膏像とデッサンを合わせたインスタレーションのタイトルが、展覧会名にも使われている《不完全》というものだ。これは岡倉天心の『茶の本』のなかに繰り返し出てくる言葉らしいが(読んだことないけど)、それは完全ではないというネガティブな意味ではなく、完成に向かう可能性を秘めた状態を指す言葉だという。なるほど、西洋美術を目指しながら永遠に追いつくことのない日本美術を指すにはふさわしい言葉かもしれない。
以下、《金沢七不思議》も《す下降にンバンレパ兵神神兵パレンバンに降下す》も《帰って来たペインターF》も《油絵茶屋再現》も《醤油画資料館》も《なすび画廊》も、すべて日本が西洋美術(油彩画)を受容する過程で生じたズレや勘違いをユーモラスに表現したものばかり。たとえば《油絵茶屋再現》は、明治初期に油絵が導入されたとき、画家たちはそれをどこに飾り、どうやってお金にすればいいのか知らなかったため、見世物小屋よろしく小屋を建てて作品を飾り、お茶代を取ったという。それを可能な限り再現したものだ。《醤油画資料館》は、狩野派から草間彌生まで醤油で描いた日本美術を一堂に集めたもので、日本の象徴ともいえる醤油が油絵の代わりに画材として採用されていたらこうなっていただろうという「仮説」の資料館だ。《す下降にンバンレパ兵神神兵パレンバンに降下す》と《帰って来たペインターF》は、日本美術の特異点ともいうべき戦争画に焦点を当てた作品だし、《なすび画廊》は日本独自のガラパゴス現象である貸し画廊に切り込んだもの。いずれも日本美術の奇形的な部分を俎上に上げている。90年代にこうした傾向の作品が登場してきたとき、たしか「自虐的美術史観」と批判した人がいたが、笑いをもって自己を批評する態度は「自ギャグ的」というべきかもしれない。
2018/02/02(村田真)
岩松了プロデュースvol.3『三人姉妹はホントにモスクワに行きたがっているのか?』
会期:2018/01/26~2018/02/04
下北沢 駅前劇場[東京都]
意地の悪いタイトルである。
岩松了プロデュース公演は岩松が若い俳優たちとワークショップを経て公演をつくり上げるシリーズ。1作目ではチェーホフ『かもめ』、2作目では鶴屋南北『東海道四谷怪談』と古典作品を題材とし、本作はチェーホフ『三人姉妹』を上演しようとしている若い俳優たちを描いた群像劇となった。高架下の川べり。ある者は台詞合わせに余念がなく、ある者は作品論を闘わせ、ある者は噂話に興じている。稽古は始まらない。いつまでたっても現われない演出家を彼らは待ち続ける──。
つまり、本作はサミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』を下敷きにした作品でもあるわけだ。若い俳優たちは稽古が始まるのを待っているだけではない。自分を見出してくれる演出家の、映画監督の、あるいは観客の登場を待っている。努力するのは当然として、見出してくれる人の存在なしに彼らは成功することができない。だがそのときはいつ訪れるのか、いつか訪れるのか。稽古を、恋を、生活をしながら、彼らは待ち、生き続ける。「生きていかなくては」。これは『三人姉妹』の台詞かあるいは彼ら自身の言葉だったか。
いつしか彼らの服はボロボロになっている。ある者はそれに気付かず、ある者は他の者の様を嘲笑い、ある者は自分の服がボロボロであることの意味をうまく掴めない。「やがて時がたてば、私たちもこの世に永遠の別れを告げ、忘れられてしまう」「いつになっても、私たち、モスクワへは行けない」「私、わかってた」。残酷な言葉だ。彼らが『三人姉妹』であるならば、「ホントにモスクワに行きたがっているのか?」という問いはホントに意地が悪い。しかしそんな台詞を口にする彼らのなんと魅力的なことか。若さは儚い。「そうかもしれん」、だが「まだ何もかもやってみたわけじゃない」。これは岩松のシニカルな愛情なのだ。だが俳優たちはそれに無頓着なようにも見え、そのことがますます彼らの刹那を際立たせる。
公式サイト:http://www.dongyu.co.jp/iwamatsu-pro3/
2018/02/03(山﨑健太)