2018年06月15日号
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artscapeレビュー

福岡道雄 つくらない彫刻家

2017年12月15日号

会期:2017/10/28~2017/12/24

国立国際美術館[大阪府]

福岡の作品はこれを見るまで、「波」の彫刻と「何もすることがない」シリーズしか知らなかった。「波」のほうは黒い直方体の上面にさざ波だけを彫ったもので、「何もすることがない」はその言葉を黒い板いっぱいに延々と刻んだもの。どちらも無意味なことの繰り返しだが、こうした虚無感は若いころだれしも感染する症状であり、そんなものをいい年してつくり続けてるのはどんなやつだろうと興味があったのだ。福岡は1950年代、砂浜を手で掘った穴のなかに石膏を流し込み、砂だらけの彫刻を発表。最初から「彫刻をつくる」という意志は希薄で、「できちゃった彫刻」とでもいうべきか。この無作為の作為こそ彼の彫刻を貫く芯といっていい。60年代には屹立する男根状の彫刻になり、やがて地から離れて宙づりのバルーン彫刻に行きつく。ここで地中から始まって地上に直立し宙に浮くという物語が完成してしまい、魔が差したのか、70年ごろからウケ狙いの具象彫刻に走ったこともあった。
そんな制作に嫌気が差し、しばらく趣味の釣りに浸るが、やがて釣りをする自分を表わした「風景彫刻」を始め、そこから余計なものが削り取られて水面だけ残ったのが「波」のシリーズだ。福岡の名を全国区にしたのはおそらくこの「波」シリーズからだろう。これが20年ほど続き、90年代後半から「何もすることがない」シリーズが始まる。その外見はロゼッタストーンを思わせるが、数千年後これが発見されて解読したら「何もすることがない」という言葉が繰り返されるだけで、未来人はどう思うだろう。もし未来人がAIロボットだったら、この「無作為の作為」のジレンマを理解できるだろうか。いやロボットでなくても現代人でもどれだけ理解できるだろう。おっと展示はまだあった。粘土をこすって「ミミズ」に見立てたり、丸めて「きんたま」をつくったり、もっとちっちゃく丸めて「つぶ」にしたり。もうここまで来れば「何もいうことがない」。

2017/11/08(水)(村田真)

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