2023年06月01日号
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artscapeレビュー

KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2022
ジャールナン・パンタチャート『ハロー・ミンガラバー・グッドバイ』

2022年12月15日号

会期:2022/10/15~2022/10/16

ロームシアター京都 ノースホール[京都府]

タイの俳優、劇作家、演出家、プロデューサーであるジャールナン・パンタチャートが、タイと隣国のミャンマーの俳優たちと作り上げた多言語の演劇作品。荒唐無稽でゆるい雰囲気で始まるが、国家が基盤として欲する神話や伝説の虚構性、「神格化された絶対的権威」としての演出家を通した王室プロパガンダ批判、国籍・民族・言語といったアイデンティティと「役」の着脱(不)可能性など、さまざまなメタ批判を重ねていく。タイとミャンマーの歴史を古代から近代の植民地支配、そして現在の軍事クーデターへと駆け抜けた先に、「日本人観客」の消費の眼差しの倫理性を突きつける。重層的で非常に秀逸な作品だ(なお、ミャンマー/ビルマの表記の使い分けについて、本稿では、KYOTO EXPERIMENTでの表記に従った)。

会場に入ると、舞台上には、お土産用のいかにもエキゾチックなフィギュアが並べられ、モニターには絢爛豪華な寺院や青い海など「魅力的な観光地」のアピール映像が旅行会社の広告のように流れ、観客はまず「観光客」として迎え入れられる。また、上演前、観客=観光客は、舞台上を回りながら俳優が英語や日本語で「ガイド」を務める「ツアー」に参加できる(もちろん、「観光客のふるまい」として、写真や動画撮影は推奨されている)。



ジャールナン・パンタチャート『ハロー・ミンガラバー・グッドバイ』(2022)
[撮影:岡はるか 提供:KYOTO EXPERIMENT]


前半で展開されるのは、ジャールナン自身の「伝説的な半生」だ。民族衣装風の服装と儀式的なダンスを交えて語られる、桃太郎のように人間を逸脱した生誕。「賞を総なめにしたスーパー演出家」「どんな役でもこなせるスゴい俳優」「踊るだけで雨を降らせる伝説のダンサー」……。ジャールナンを崇拝する俳優たちは、トランプ前大統領の信奉者のようにおそろいの顔写真Tシャツに着替え、背後のモニターやスクリーンにはジャールナンの「神格性」を表現するふざけたCG合成映像が映る。だが奇妙なことに、俳優たちは誰もジャールナン本人に会ったことがないという。



ジャールナン・パンタチャート『ハロー・ミンガラバー・グッドバイ』(2022)
[撮影:岡はるか 提供:KYOTO EXPERIMENT]


「神のような絶対的権威」であるジャールナンへの崇拝と忠誠度を競い合い、互いに牽制しあう俳優たちの語りは、「誰がジャールナンの役を演じるのにふさわしいか」をめぐって口論に発展する。「神聖な役をビルマ人が演じるなんて」と発言するタイ人男優。「(マイノリティに)チャンスを下さい」と反論するビルマ人女優。「タイの王子と少数民族の娘の悲恋」の配役をめぐる議論でも、「国籍や民族をめぐる帰属」とマジョリティ/マイノリティの微妙なパワーバランスや差別意識が露呈する。次第に浮き彫りになるのは、4人の俳優自身のバックグラウンドの差異や複雑な対立構造だ。タイ人(3人)/ビルマ人(1人)という非対称性。タイ人どうしでも、方言の強い地方出身者、先祖が中国出身の華僑という細分化された周縁性がある。女優のひとりは臨月に近い妊婦だ。「妊娠してなければジャールナンの役がやれたのに」という台詞は、マタハラを示唆する。ひとつのシーンを終えるたびに何度も衣装を着替える俳優たちは、国籍・民族・文化・言語的アイデンティティと「着脱可能なものとして役を演じること」との齟齬をメタレベルで上演している。さらに会話には、タイ語、ビルマ語、少数民族の言語、英語、フランス語が混じり合い、植民地支配の歴史が影を落とす多言語状況が浮かび上がる。このようにして、おそろいの顔写真Tシャツが可視化するように「ジャールナンへの崇拝と忠誠」によって形成される「共同体」の内部に分裂や亀裂が出現し、「近代国民国家の均質性」が揺さぶられていく。

後半では、写真や映像で繰り返し偶像化される「ジャールナン神話」はいつのまにか消えてしまう。代わりに語られるのは、男装して象に乗りビルマ軍と戦ったタイ王妃、植民統治下のビルマの不条理さを描いたジョージ・オーウェルの『象を撃つ』、独立後に繰り返される軍事クーデターという近現代史の断片だ。「村民の殺害を命じられた」という証言は時代や場所が曖昧化され、暴力や迫害の反復や遍在性を示す。2021年にミャンマーで起きた国軍によるクーデターに対し、2014年の軍事クーデターで成立したタイ政権は非難声明を出さなかったこと。



ジャールナン・パンタチャート『ハロー・ミンガラバー・グッドバイ』(2022)
[撮影:岡はるか 提供:KYOTO EXPERIMENT]


本作の特徴である、一見脈絡のない断片的な語りは、国民国家の統合手段である「整合的で一貫したナラティブとしての歴史」への抵抗でもある。そして、途中でどこかへ消え失せた「絶対的権威として君臨するジャールナンの偶像」は、演出家の権力性への自己批判であるとともに、「タイ国家が統治の手段として国民にばらまく国王の御真影」「軍事政権のトップ」へと姿を変えて回帰してくる。

そして、俳優自身が親族や知人が軍事政権の弾圧を受けた当事者であることが語られる終盤、「現実の政治」がフィクションの領域を突き破って、一気に観客席に侵入してくる。冒頭、「気楽な観光客」として歓待された私たちは、舞台上の当事者たちにどのように向き合えばよいのか。現実の弾圧状況も、あなたたちは観光客と同じ眼差しで「消費」してしまうのかという倫理的問いを本作は突きつける。この問いを補強するのが、一見、「催涙弾の煙の立ち込めるデモ現場」に見える映像をスクリーンに投影する仕掛けだ。この映像は、実は、舞台前面に置かれたアクリルボックスに、チープでキッチュなお土産のフィギュアを閉じ込め、中でスモークを焚きながら「中継」されている。あなたたち観客は「観光客と同質の消費の眼差し」を内在化しているのではないかという無言の非難。あるいは、「舞台上にあふれる演出家の偶像」を通して「王室プロパガンダ批判」を繰り広げる本作が投げかける、「いかにイメージが信用できないか」という視覚の制度への批判。



ジャールナン・パンタチャート『ハロー・ミンガラバー・グッドバイ』(2022)
[撮影:岡はるか 提供:KYOTO EXPERIMENT]


このように、重層的な仕掛けで、(観客を含む)アイデンティティの差異や分断、視線の政治性を鋭く問う本作だったが、それだけに、日本語タイトルには疑問が残った。邦題では『ハロー・ミンガラバー・グッドバイ』だが、原題は『I Say Mingalaba, You Say Goodbye』と異なる。「Mingalaba」はビルマ語で「こんにちは」にあたる挨拶の言葉だ。「Mingalaba」と挨拶する「I」とは誰で、「Goodbye」と英語で返す「You」とは誰か? ビルマ語で挨拶したビルマ人と、「支配者の言語」で返すイギリス人か。「支配者の言語」を身に付けた植民地エリートとの、ビルマ内部の分裂なのか。あるいは、「片言の相手の国の言葉」で挨拶して心理的距離を縮めようとする「よき観光客」に対し、「グローバルな言語」で応対するビルマ人なのか。「他者」との埋められない距離やすれ違いを原題は端的に提示するが、邦題はその複雑なニュアンスを捨象してしまった(あるいは、このカタカナの並列化には、あらゆる差異をフラットに均してしまう日本の均質性という暴力が表出しているともいえる)。「個人」として出会っても、既に背負ってしまった先入観やステレオタイプな他者イメージにより、私たちはそのつど出会い損ねてしまう。それでも、さまざまに帰属の異なる者どうしが舞台上に集う本作には、やはり演出家の希求が込められている。


公式サイト:https://kyoto-ex.jp/shows/2022_jarunun_phantachat/

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