artscapeレビュー

2010年02月15日号のレビュー/プレビュー

田部光子 展

会期:2010/01/08~2010/01/23

ギャラリー58[東京都]

1963年からリンゴを描いているというから、もう半世紀近くになる。さすがに描き方、とらえ方は50~60年代のネオダダっぽい。九州派の彼女も今年77歳。なんだか今日は25歳と77歳が多くて、落差が激しい。

2010/01/21(木)(村田真)

『山と建築』vol.1「スイスと日本の山岳建築」

発行所:信州大学工学部建築学科土本研究室

発行日:2009年12月25日

信州大学で行なわれた国際山岳建築シンポジウム信州2008の記録をベースにした本。おそらく普通は目につかない本であろうから、ここで紹介したい。スイスからは、グラウビュンデン州の建築家アルマンド・ルイネッリと、美術史家レッツア・ドッシュが来日した。グラウビュンデン州は、ピーター・ズントーを生んだ土地で、また多くの質の高い建築もある。 日本からは、信州大学の坂牛卓、梅干野成央らが参加し、土本俊和がコーディネートを務めた。グラウビュンデン州はアルプスに囲まれ、独特の地域的な文化を育んできた。その山岳建築と、長野県を中心とした日本アルプスの山岳建築を比較するという、一見アクロバティックであるが、興味深い試み。実際、いくつかの共通点が見いだされている。そして距離的に離れたローカルな場所同士をつなぐ試みともいえよう。

2010/01/22(金)(松田達)

可能世界空間論

会期:2010/01/16~2010/02/28

NTTインターコミュニケーション・センター(ICC) ギャラリーA[東京都]

ICCメタバース・プロジェクトにおける、メタバース研究会から生まれた展覧会。メタバースとは、メタとユニバースの合成語であり、ネット上の電子三次元空間を指す。舘知宏は多様な形を生成出来る建築折紙を、柄沢祐輔+松山剛士は一種の都市モデルを、田中浩也+岩岡幸太郎+平本知樹は単純なピースを組み合わせたさまざまな家具を、エキソニモはコンピュータ・ディスプレイ上に仕掛けのあるインスタレーションを行なった。特にこのなかで積極的に都市論に触れようとした柄沢+松山の展示について、触れておきたい。ポール・クルーグマンの経済理論を援用しつつ、均質な空間から多中心の世界に変化するモデルが、つねに格差を固定化する方向にしか働かない経済─都市モデルであることを示しつつ、それに対し、格差が固定化するその瞬間に、移動をもたらすことで、新しい都市モデルを提示しようとしたものである。二つのスクリーンがモデルの動的変化を示し、前面の展示物がその時間的な切断物であるという。固定化を阻む方法論が重要な点だと思われたので、その移動の瞬間が、リセットをかけるように見えたことは多少気にはなったけれども、都市の数理シミュレーションを可視化し、自己組織化プロセスをコントロールする都市モデルとして提示したことはとても意欲的かつ重要な試みに思われた。

展覧会URL:http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2010/Exploration_in_Possible_Spaces/index_j.html

2010/01/23(土)(松田達)

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「エレメント」構造デザイナー セシル・バルモンドの世界

会期:2010/01/16~2010/03/22

東京オペラシティアートギャラリー[東京都]

セシル・バルモンドは、世界中の建築家とともにプロジェクトを手がけ、自らもデザインも行ない、もはや単なる構造家とはいえない人物である。展示で興味深いのは、いわゆるプロジェクト紹介は最後にパネルでまとめて行なわれる形で、むしろコンセプチュアルな思考そのものが展示されていたことだった。特に印象的だったのが、二つ目の部屋の《ヘッジ》と題されたインスタレーションである。H型のアルミプレートがチェーンとともに多数立体的に浮かび、きらびやかな空間が構成されている。チェーンでプレートを釣っているわけではなく、チェーンへのプレストレスを利用することにより、単独では自立しないもの同士が、お互いに支え合う構造をつくりだしている。全体として、二次元でもない三次元でもない中間次元の存在であるという。バナーと呼ばれる第一の部屋の200本の垂れ幕による迷路状の空間や、いくつかの彼自身のプロジェクトともあわせて、フラクタル的な空間への志向が明確に現われていた(第一の部屋の自然の写真は、フラクタル幾何学を想起させよう)。バルモンドは、自然の形態を模倣するのではなく、その背後にある幾何学を抽出する。「ディープ・ストラクチュア」という彼の言葉が印象的だ。彼は自然界の構造の最深部に迫ろうとしているのであろう。ヨーロッパでは、建築家でも構造家でもあるエンジニアリング・アーキテクトが増えてきており、セシル・バルモンドはその代表格といえよう(ほかには例えばヴェルナー・ゾーベックなど)。デザインする構造家という、オルタナティブなアーキテクト像が生まれてきているのかもしれない。

展覧会URL:http://www.operacity.jp/ag/exh114/

2010/01/23(土)(松田達)

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オサム・ジェームズ・中川「BANTA─沁みついた記憶」

会期:2010/01/20~2010/02/02

銀座ニコンサロン[東京都]

オサム・ジェームズ・中川は1962年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。7カ月で日本に戻り、15歳まで過ごした後、ふたたび渡米してセントトーマス大学、ヒューストン大学で写真を学んだ。今回の作品は、母親の故郷である沖縄で2008年に制作されたもので、「BANTA」というのは海から切り立った崖のことである。中川は断崖の上から下を見おろして、あるいは下から見上げる角度でシャッターを切る。だが、このシリーズが通常とはやや歪んだパースペクティブで見えてくるのは、彼が何度もくり返して崖の細部を写しとり、複数の視点から見られた画像をフォトショップで繋ぎあわせ、縦長の画面として再構成しているからだ。最大で100カット近い写真が繋ぎあわされているのだという。
デジタル加工による「ハイパーリアルな写真」ではあるが、彼の試みには沖縄で実際に崖の前に立った時の「美と畏れ」に裏打ちされた、強烈な現実感がみなぎっている。沖縄戦において、これらの「BANTA」ではアメリカ軍に追いつめられて多数の投身者が出た。デジタル加工による視覚の歪みは、あたかも彼らの最後の視線をなぞるようにおこなわれているのだ。それは中川が「見た」光景を「見るべき」光景へと変換させようとする魔術的な行為であり、ぎりぎりの所で写真家の営みとして成立していると思う。崖のディテールのごつごつとした物質的な手触りが、そのまま正確に写しとられているので、「リアル」と「ハイパーリアル」がせめぎあって異様な緊張感を生じさせているのだ。そのことによって、中川自身にも完全には統御不可能な「ある/ありえない」光景が出現してくる。デジタル時代における写真の可能性を問いかける、意欲あふれる作品といえるだろう。

2010/01/23(土)(飯沢耕太郎)

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