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チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』

2017年07月01日号

会期:2017/06/16~2017/06/25

シアタートラム[東京都]

「3.11」の日、何をしていたか。あの日、日本にいたひとならだれでも覚えているのではないか。けれども、その直後、社会が機能しなくなり、個々人の人間的な力が試され、その結果、協働する意識が人々に芽生えた、あの苦しくも幸福な日々のことは、多くの人が忘れてしまったのかもしれない。『部屋に流れる時間の旅』は、震災の四日後に妻を喘息で亡くした男が、妻と暮らした部屋で、いまなお死んだ妻と対話を続けながら、さらに新しい恋の相手と会話をする男の話。妻は震災直後に幸福感が増し、生まれ変わる自分を感じた直後、死去した。この妻とは、あの日々を覚えているぼくらのことだ。「ねえ、覚えている?」そう妻は何度も執拗に繰り返す。ぼくらは妻=あの日々の自分たちを携えつつ、あの日々の幸福感の微かな記憶とともに、でも、別の人生を生きようとする。ひとりの人生には複数の時間が流れているのだと時間の哲学として理解するのも、妻の死の苦しみを新しい恋人によって埋め合わせるという倫理的な問題として理解するのも、できそうだが、なんだか違う。チェルフィッチュは若い登場人物たちを通して、一貫して社会の問題にフォーカスしてきた。非正規雇用のアルバイターや浮浪者を取り上げることもあれば、若い夫婦が主人公のときもあった。ところで本作の、妻の死後に容易に新しい恋人を獲得する男は、まるで村上春樹の主人公たちのようだ。とはいえ、村上の主人公たちが独特な趣味や性格で読者をひきつけるのとは異なり、岡田の描くこの男は、驚くほど無味乾燥で単調な人間だ。棒読みの(と言いたくなるほど、抑制的な)台詞回しが、なによりこの男を特徴づけている。新しい恋人候補への誠実な逡巡以外は、この男の心は個性化できない。敢えて言えば、普遍的な「男性」を具現化することがこの男の仕事なのだ。この芝居はこうして、普遍的な物語として顕在化する。そして「震災以後の人生」という体裁を帯びながら、その特性も抽象化して、「時間」をめぐる、普遍的な「人生」をめぐる「旅」の物語となっていた。

2017/06/19(月)(木村覚)

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