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artscapeレビュー

ジャン=リュック・ナンシー『ミューズたち』

2018年06月01日号

訳者:荻野厚志

発行所:月曜社

発行日:2018/04/07

哲学者ジャン=リュック・ナンシー(1940-)が「芸術」を論じた(あるいは語った)論文・講演原稿を収めたのが本書である。ナンシーの芸術論といえば、すでに邦訳もある『肖像の眼差し』(岡田温司・長友文史訳、人文書院、2004)や『イメージの奥底で』(西山達也・大道寺玲央訳、以文社、2006)といった著作が真っ先に思い浮かぶ。だが、これらの力点はあくまでも「肖像」や「イメージ」という──厳密には「芸術」とは別の圏域に属する──概念に置かれており、そこで美や芸術一般をめぐる思索が十全に展開されていたわけではなかった。対して、これら二書に先立って刊行された本書『ミューズたち』(原著1994/増補版2001)こそ、美や芸術をめぐるナンシーの哲学的主著と呼べるものである。

その要点は、表題にすでに現われている。本書において、ナンシーは西洋における芸術の象徴たる「ミューズ」が、単数ではなく複数であることに繰り返し注意を促す。「存在するのはミューズたちであって、ミューズなるものではない」(9頁)。これは、芸術をめぐる思考の歴史にとって、けっして些末な問題ではない。なぜなら、現に複数のジャンルからなる芸術は、ある時にはその複数性において、またある時にはその単数性(すなわち、それらを束ねる「芸術」なるもの)において論じられてきたからだ。他方ナンシーは、こうした複数性と単数性のいずれかに与する立場をともにしりぞけつつ、かつて自著の表題にも用いた「単数複数存在(être singulier pluriel)」としての芸術について論じる。むろん、そこでは「芸術」なるものの単数/複数性にとどまらず、ギリシア語の「テクネー」、ラテン語の「アルス」から分岐した(今日でいう)「技術」と「芸術」の関係もまた、同じく議論の俎上に載せられる。

カラヴァッジョの《聖母マリアの死》(1605-06、ルーヴル美術館蔵)にまるごと捧げられた第Ⅲ章「閾の上に」のような例外もあるが、基本的に本書はナンシーという哲学者の思弁が開陳された書物であり、読解に際してはある程度、著者の用いる概念や論法に馴染んでおく必要がある。そのため晦渋な記述に行き当たることもしばしばと思われるが、訳者の言葉を借りればそれはナンシーが「フランス語をかなり酷使して書く」(279頁)がゆえであり、そこではけっして無益な言葉遊びがなされているわけではない。比較的コンパクトながら、本文でも繰り返し言及されるヘーゲルやハイデガーの美学・芸術哲学に伍する内容を秘めた、熟読に値する一書である。

2018/05/28(月)(星野太)

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