artscapeレビュー
国吉康雄と清水登之 ふたつの道
2018年06月01日号
会期:2018/04/28~2018/06/17
栃木県立美術館[東京都]
若くしてアメリカに渡り、苦労しながら絵を学んだ国吉康雄と清水登之。このほぼ同世代の2人の画家の作品を比較する展覧会。同世代の画家の比較展示という点では、先ごろ兵庫県立美術館で見た「小磯良平と吉原治良」とよく似ているが、小磯・吉原の場合アカデミズムvsアヴァンギャルドという対照性が見どころだったのに対し、国吉・清水は同じような道を歩みながら戦争で決定的に袂を分かった点、さらに同時代に渡米して活躍した芸術家たちの作品も加えた点が異なっている。もともと栃木県立美術館は同県出身の清水の作品収集と研究で知られており、そこに岡山県出身の国吉をぶつけることで清水の画業と人生を浮き立たせる狙いもあっただろう。
清水と国吉は20世紀初めに相前後して渡米し、西海岸で労働しながら糊口をしのぎ、ニューヨークに移ってアート・スチューデンツ・リーグで本格的に美術を学んだ。2人が出会ったのはこの学校でのこと。ともに都市に生きる人々を素朴なタッチで描いていた。同展には、同じころニューヨークで活動していた石垣栄太郎や古田土雅堂の作品も出品されているが、とくに人のあふれる大都市の雑踏を描いた古田の作品は、デュシャンの初期の未来派的な絵画を思わせとても新鮮だ。清水はその後パリに2年ほど滞在し、元号が昭和に変わって間もない1927年に帰国。国吉は病床の父を見舞うため1度帰国したきりで、日米開戦が近づいてもアメリカにとどまった。ここが2人の運命の分かれ道となる。
清水は満州事変の翌年、いち早く従軍志願して中国の戦場を取材。初めのころは比較的のんびりしたもので、戦場を抽象画とも見まがうほどデフォルメして描いたり、敵であるはずの中国人難民を大作に仕立てるなど、異例の戦争画を残した。おそらく彼は愛国精神より、新しい絵のモチーフとして「戦争」に惹かれたのかもしれない。だが、日米が開戦してからはそんな悠長なことをやってられなくなったのか、写真を参考にした写実的な記録画に徹し、藤田嗣治や小磯良平らと並ぶ代表的な戦争画家のひとりとして名を馳せていく。一方の国吉はアメリカで反ファシズム運動に身を投じ、開戦後は「アメリカ人画家」として、日本人を貶めるための対日プロパガンダのポスターなどを手がけ、自由と民主主義の国アメリカへの忠誠を誓った。国吉のこの姿勢は戦後も貫かれ、美術家組合を設立して会長に収まり、アメリカ美術専門のホイットニー美術館で回顧展を開いたり、国別参加のヴェネツィア・ビエンナーレに出品するなど、アメリカを代表する画家のひとりとして認められていく。
それに対して晩年の清水は悲惨だ。ニューヨーク滞在中に生まれた長男の育夫が海軍に入隊し、戦艦乗組員として出動したものの、敗戦の2カ月前に戦死の報が届く。以後、清水は取り憑かれたように育夫の肖像を何枚も描き、半年後に病死。同じような道を歩んだ両者だが、最後は戦争によって正反対の方向に歩まざるをえなくなった。まるで長編小説でも読むかのようなドラマチックな展示構成だ。
2018/04/28(村田真)