artscapeレビュー
宇田川直寛「パイプちゃん、人々ちゃん」
2018年09月15日号
会期:2018/07/18~2018/08/10
ガーディアン・ガーデン[東京都]
とても刺激的で面白い展示だった。宇田川直寛は2013年の第8回写真「1_WALL」展のファイナリストで、今回は同展のグランプリ受賞者以外の作家による「The Second Stage at GG」の枠での展覧会である。にもかかわらず、本展は「写真展」ではない。宇田川は、「写真家と名乗る俺」がよく撮影する「パイプちゃん」(鉄パイプ)という被写体の意味、またそれを作品化するというのはどういうことなのかを問い詰め、あえて写真作品を展示しないやり方を取ることにしたのだ。
会場に並んでいるのは、「観測者」である「人々ちゃん」たちに、パイプを取り扱う「ルール」を考えてもらい、その「ルール」に従って制作している過程を彼が撮影した映像を流す10台のモニター、実際に制作作業に使用した平台(彼のアトリエに常備してある)、「人々ちゃん」たちがつくったルールを別の第三者に伝え、それに従って石膏やパイプで再制作してもらった作品などである。「ベニヤ板と単管パイプ」という基本的な組み合わせが、「木の枝と石、ラップとクランプ」、「長い草と短い草」という具合に読み替えられ、最後はルールづくりのコミュニケーションのあり方を問題にして、電話による指示を聞きながら作業するという段階にまで至る。作品制作のプロセスそのものがテーマなのだから、できあがった「作品」は見せる必要がないし、写真による記録も視点の固定化を促すという理由で潔癖に排除されている。宇田川の思考と実践の往復運動が、会場構成にもよくあらわれていて、とても見応えのある展示が実現していた。
だが、今回の試みの最大の弱点は、作品の重要なファクターである「人々ちゃん」が、宇田川の周囲の、コミュニケーションしやすい仲間たちに限定されていることだろう。そうなると、次に何が出てくるかわからないスリリングな展開はあまり期待できなくなる。もっと異質な「人々ちゃん」──例えば子ども、外国人、障がい者などにも作品制作のプロセスを開いていくことで、「パイプちゃん」の変容はより加速するのではないだろうか。
2018/08/01(水)(飯沢耕太郎)