2019年11月01日号
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artscapeレビュー

福井裕孝『舞台と水』

2019年05月15日号

会期:2019/03/21~2019/03/24

スパイラル・ガーデン[東京都]

学生クリエイターを支援するクマ財団クリエイター奨学金の給付を受けた奨学生たちによるショーケース「KUMA EXHIBITION2019」の一環として上演された本作は「デスクトップシアター」の「ワークインプログレス」と冠されている。デスクトップシアターとはその名の通り、机上を舞台に見立てた演劇である。俳優は指。人差し指と中指を交互に前に出すことでヒトが歩く様子を表現するようなものを思い浮かべればおおよそのところは正解である。机上にはほかに盆栽や灰皿、掌サイズの石などが置かれ、「舞台美術」の役割を果たす。観客は机の前に三脚並んだ椅子に腰かけ、あるいはその後ろに立ってそれを「観劇」する。

そこだけ切り出して見るならば単なる手遊びと言えなくもないのだが、指の「本体」たる俳優もまたその存在を主張してくるところがこの作品の面白さだ。机の向こうの黒子であるはずの「本体」は隠れる様子もなく、過剰に目につくと言ってもよいくらいである。観客の知覚は机上の指による「演劇」とその背後の俳優(?)たちとの間を行き来することになる。

いや、この言い方は正確ではない。指は手と、手は腕と、腕は俳優の胴とつながっているのだから、そもそも観客はそれらを一体のものとして知覚しているはずだ。手遊びの部分だけが切り出され「演劇」として認識されるのは、つくり手が用意したフレームに観客が「ノって」いるからだ。

用意されているフレームは指=机上とその背後の「黒子」だけではない。福井は演劇が上演されている空間、あるいは上演の外側の環境をもフレームとして利用する。あるいはそれこそがデスクトップシアターの意義であると言ってもよい。開かれた空間の只中に「劇場」を置くこと。

イベントの性質上、上演は展覧会の会場内で行なわれた。展覧会の会場自体もまたオープンスペースであり、隣接する空間には展示と無関係な人々が行き来する。舞台となる机の向こうにはカフェとその客が見える。上演が始まるとすぐに、椅子に座って「観劇」している私の目の前にアイスコーヒーが置かれた。「舞台美術」であろうそれは、いま目の前にあるのが舞台であると同時にカフェとひと続きの空間に置かれた単なる机であることを強く意識させた。

さらに「外」を意識させられる場面もあった。上演中、視界の端にコンビニ袋が入ってきたかと思えばそれを提げているのは出演者のひとりで、彼はそこからペットボトルを無造作に取り出すと机上に置いたのである。商品から舞台美術へ。何食わぬ顔で行なわれる「侵犯」がフレームの恣意性を暴く。コンビニ袋を下げた男は私の視界に入ってきた瞬間には間違いなく「出演者」だったが、ではその前、私を含めた「観客」に認識される前の彼はどうか。私は机上を動き回る指を「俳優」として見ていたが、そこにつながる掌は、腕はどうか。そう考え始めると、何か奇妙に落ち着かないモノを見せられているような、そんな気分にもなるのであった。

KUMA EXHIBITION2019:https://kuma-foundation.org/exhibition2019/
公式サイト:https://fukuihrtk.wixsite.com/theater

2019/03/23(山﨑健太)

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